noteに「思い出すことは何か」(約4000字)をアップした。編集を担当した『建築のポートレート』(写真・文=香山壽夫、LIXIL出版、2017年)の巻末に「編集者あとがき」として掲載された文章で、香山先生の写真を解説しつつ、建築家が撮影した建築写真について論じている。LIXIL出版の廃業によって、いずれ『建築のポートレート』()も手に入りづらくなると思うので、今のうちに興味を持ってもらえたらありがたい。
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「思い出すことは何か」では香山先生が若い頃に撮った建築写真について、その建築の意味をあらかじめ理解して構図を決めたというより、「若者の直感によってまず撮影され、その写真が事後的に、若者に建築家としてのまなざしを与えた」のではないかと書いた。この「理解が先か写真が先か」問題は、この前の「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()でも取り沙汰された(が話はあまり深められていない気がする)。多木浩二の建築写真は、一般の記録的な建築写真に比べれば明らかに、写真が事後的に意味を生成するところがあると思う。しかし一方で、建築の写真を撮るにはまず建築を見なければならず、多木さんにとって見ることは読むことでもあっただろうから、知性の導きなく感性の趣くまま撮ったとも考えにくい。実際の写真の主なものを見ても、なんの知的な見通しもないまま撮れる写真ではないように思える。それに比べると香山先生の写真はより保守的で、日常に根ざしている。

昨日は原美術館の後、岡﨑乾二郎さんのふたつの展覧会「TOPICA PICTUS てんのうず」Takuro Someya Contemporary Art(〜12/12)と「TOPICA PICTUS きょうばし」南天子画廊(〜12/12)をハシゴし、さらに日本橋髙島屋の美術画廊Xで「海へ還る──緒方敏明展」(〜12/7)を観た。


  
岡﨑さんの〈ゼロ・サムネイル〉シリーズは、それが十数年前に作られ始めた頃には、キャンバスとして最小の単位を用いることで美術の高度な専門的文脈から離れた「そのもの」(色、形、それらの組み合わせ)としての魅力が迫ってくるような印象があったのだけど(僕には)、ここ数年の岡﨑さんにおける歴史への積極的な言及や『抽象の力』(亜紀書房、2018年)などの仕事を経て、〈ゼロ・サムネイル〉の小さな作品群がじつは美術の歴史の網の目のなかに深く組み込まれていることが浮かび上がってきた。岡﨑さんにとっては最初から当然のごとくそういうものだったのかもしれないけど、今の岩波のウェブ連載()やいくつかの展覧会場で掲示ないし配布されているプリントによって、〈TOPICA PICTUS〉ではそうした関係性のありよう(制作した絵とテキストと参照された作品の「三体問題」)が実際にテキストで表現されるようになってきている。とはいえ作品がそのように歴史的なネットワークの中にあることと、作品がそこに「そのもの」としてあることとは、決して矛盾するわけではないのだろうとも思う。あるいはむしろ作品が「そのもの」としてあるからこそ、歴史的なネットワークにも確かに存在しうると言えるだろうか。


     
「海へ還る──緒方敏明展」は陶芸による作品群。未知の作家だったけれど、たまたまネットで展覧会のことを目にして訪れてみた。会場に掲げられた舟越桂による短文「緒方君の建物を飛ぶ」で書かれているとおり、ミニチュアとして想像的に身を置くことができる空間性を備えているように思われる。ファンタジー性の強いかたちもあるけれど、シンプルな外形のものは1970年代に坂本一成さんがつくっていた建築やその模型、あるいは当時の文章を思い起こさせる。

 それは単に家の形をしていたにすぎない。かといって具体的な形を思い出すこともできないのだが。町の一画にひどくあたりまえに、穏やかに、そしてそこにあることに疑いをもたせない何気なさのなかにあった。一見素朴でありながら、粗野というわけでなく、むしろ洗練されているかに見えた。それはその町の片隅のまわりの家々から必ずしも際立ってはいなかったが、埋没しているわけでもなかった。[…]どこかにこの家はあった。私の生まれた町の一隅にあったかも知れない。いやもしかしたら幼い時の絵本の1ページにあったのかも。あるいは旅の汽車から下りた小さな町での家かも。いやそんな遠くでなくともこの町のどこかにもその家はありそうなのだが。こんな記憶の家があなたにもないだろうか。

  • 坂本一成「家形を思い、求めて」『坂本一成 住宅─日常の詩学』TOTO出版、2001年(初出:『新建築』1979年2月号)


原美術館とTakuro Someya Contemporary Artは同じ品川区内で意外と近く(それぞれの場所の地域性はかなり異なる)、写真を撮りながら歩いて移動したのだけど、帰宅して数日後、一眼レフで撮ったそれらの写真をうっかり削除してしまった。iPhoneと一眼レフを併用することで起こったミス。街のかたちも面白く、けっこういい感触で撮っていたので残念だ。


先日(9月27日)のリベンジであらためて原美術館を訪れ、「光―呼吸 時をすくう5人」展を観た(〜1/11、要予約)。どの作家の作品も現実的な空間に想像的な時空が重ねられているという点で共通するのではないかと思う。それは原美術館(旧原邸、設計=渡辺仁、1938年竣工)という現実の空間の最後の展覧会であることと響き合うような気がした。
どれも見応えがあったなかで、特に佐藤雅晴の《東京尾行》(2016)が印象深い。動画作品が展覧会場で流されていると「YouTubeでいいじゃん」と思ってしまいがちだけど、これは原美術館の現実の空間で観る意味がある(出展作は下のYouTube版よりずっと長いというか多い)。

短い断片が集合した映像なのでどこから観始めてもストレスがないという展示上のメリットも大きいけれど、YouTubeだと鑑賞者自身が作品世界をその都度ゼロからスタートさせるのに対し、展覧会場では散在する複数のモニターでそれぞれの断片がエンドレスに流され続け、自分と関係なく存在する多様な世界の印象をもたらす。そして実写+アニメによって現実と想像の時空を重ねるような作品のあり方は、(自らの私性に覆われた私室で観るよりも)さまざまな歴史や文脈をたたえたこの空間に身を置いて観ることで、鑑賞者自身もその作品世界に反響し混じり合うような効果を強める気がする。
1階の会場全体に流れていた無人ピアノの演奏(ドビュッシー「月の光」)は、空間的に断片化された作品世界を音によって統合する機能をもつ。無人でありながら鍵盤が動いて音楽が演奏され続けるピアノは、「ここではないどこか」を想像させる装置として、それ自体が現実と想像の時空を重ねる作品の一部であり、またかつて住宅だった(裕福な一家の洋風の邸宅で当時からピアノが置かれていたかもしれないと思わせる)原美術館の空間とも響き合う重要な要素になっていた。
実写の一部をアニメに差し替えるという手法自体はきっとだいぶ昔からあるだろうし、コマーシャルに使われそうな大衆性も感じさせるものの、作品としての切り取り方や完成のさせ方がよいのだろうと思う。そうした手法の単純さや原始性、大衆性が作品の力になっている。アニメ化された部分のほうにむしろ生き生きしたものが感じられる(そしてそれが周囲の環境や背景も活性化させる)という経験は、抽象という行為の意味や人間の認識の仕方、世界のあり方を考えさせる。

先日(11月15日)のトークライブ「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()について、話者の塩崎太伸さんと大村高広さんがそれぞれブログにテキストを書かれている。

こうしてあらためて書かれたものを読んでみると、当日のトークではおふたりの思考をなかなか拾い切れていなかったのだなと思う。企画の言い出しっぺであり、『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』の書評のために資料を読み込んでいた僕が司会役として議論のレールを敷くのは妥当だったとしても、実際のトークではそのレールの上をスムースに進んでいくことに気を取られてしまったきらいがある(しかし、もしおふたりの思考をすべて拾いながら議論を進めることができたとしたら、トークは5時間でもとても足りなかったという気はする)。
僕個人としては、まず写真集の書評で書いた「評者にとってまず問題なのは目の前の写真そのもの」という意識が、こうしたかたちの企画を立てる前提にあった。目の前の写真と向き合うこと。
具体的に写真や言葉をモニターで提示しながら話をしたのは専門外の人にも分かりやすくするため、そうトークの結びで言ったけれど、それは理由の半分であって、残りの半分は自分たち自身が具体的なものから目を逸らして抽象的なほうに話を寄せてしまわないためだった。実際、多木浩二の建築写真に対する最近の言葉を色々と眺めていて、一体どの写真のどういうところを見て、どういう感覚に基づいてそういう言葉が発せられているのか察しがつかないということが多かったので、自分たちは合っているにせよ間違っているにせよ捉えどころのある言葉で話をしたいと思った。
それは僕が今回、書評に追加する文章を「書く」のではなく「話す」ことにしたいと思ったことにも繋がっている。「書く」ことはその内容を細密に構築できる一方、実感から切れて捉えどころをなくすことにも向いている。それに対し、ある時間ある空間のなかで「話す」ことには、そういう自由さが欠けている。実感のないことはなかなか話しづらいし(技術的にも倫理的にも)、話したとしてもそのときの口調や表情などによって、「実感のない言葉」であること自体まで聴く人に比較的正直に伝わり、場合によって相手からツッコミが入れられることもあるだろう。
そうして「話す」ことは、ふつうは特定の誰かにその場限りで現象する行為だけども、それが文明の利器(ビデオとネット)を得て時間的にも空間的にも広がりを持ち、その点で文字と似た働きを担いうるようになった。その「話す」ことの固有性と普遍性、私的なあり方と公的なあり方の混じり具合も、今回の目的や内容には適当と思われた。
実際のトークのスタンスとしては、多木浩二の建築写真は撮影対象にされた建築を知ることでより深く読める、というのがひとつの前提になっていたと思う。これは「建築写真は建築の専門家にしか読めない」という排他的な縄張り意識のつもりはない。要するに、鋭い批評的知性を持った多木がそれぞれの建築の意味を読むとともに写真を撮ったのだとしたら、その写真を見る人は(建築家だろうが写真家だろうが哲学者だろうが)そこで撮られた建築がどんなものだったかを知ることが写真を読む有効な手立てになるに違いない、ということ(そもそも撮影対象の建築を知ろうとすることは、それらの建築に向き合ってなされた創作を論じるときの初歩的なマナーという気もする)。同様に、それぞれの建築に対して多木が書いている批評文(写真集では無視されていたけれど、多木にとってはこちらのほうが本来の仕事)も、当然考慮すべきものだった。
その上で今回、建築写真というものに対して様々な見方がありえるなかで、あくまで僕個人としては多木浩二の写真をかなり一面的に知的な見方で捉えようとしたと思う。それは多木の写真自体が一面的(建築のある一面を特化しているということ)で知的であることを特徴とすると考えているためだ。トークでの僕の発言は、聴く人によってはひどく断定的で、写真の可能性を限定しているように感じられるかもしれない。僕としては公に話をする以上、それなりに確信を持った決定的な見方だと思っているわけだけど、もし他に的確な見方があるのなら、また別の誰かがその人の信念に基づいて上書きしていけばよいのだと思う。今回の話が100%否定されるようなことはないはずだし、なんらかの足がかりにはなるだろう。告知の趣旨文で「今後の思考の地ならしとなるような話をしたい」と書いたのはそういう意味だった。

NHK Eテレ「日曜美術館」の「アニマルアイズ~写真家・宮崎学~」が面白かった。

中平卓馬が「植物図鑑」なら、宮崎学は「動物図鑑」か。自然の運動を深く読み、その必然性にもとづく発明家/工作者としての写真家のあり方。この人に写真を撮らせる単純でどうしようもないパッションは、「なぜ写真を撮るのか?」などという小賢しい問いを抱かせる余地がない、と思う。
こうした単純なパッションや発明家/工作者としてのあり方は、『自然の鉛筆』(8月4日)のトルボットなど、写真の黎明期の人たちと重なる気がしたけど、過去には「宮崎学 自然の鉛筆」という展覧会もあったらしい。中平卓馬のドキュメンタリー映画を撮った小原真史さんと本も作っている。

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11年ぶり2回目の大相撲観戦@両国国技館。通常なら福岡で開催される11月場所の14日目。前回(2009年9月25日)は2階席でも前のほうだったけど、今回は2階席のまさに最後列。でもその前が通路になっていて、最後列1列だけが独立しているという、ちょっとした特等席のような感じもあった。写真は前回と同じ55-200mm(APS-C)の望遠ズームを用いている。肉眼だと取組が見えにくいため、望遠レンズを通して土俵を眺めつつ、気が向いたときにシャッターを切るというスタイル。同じように望遠で土俵を撮っているだけでも、この11年あまりで空間を撮るのは一応上達している気がする。以下、写真14点。

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日曜(11月15日)のトークライブ「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()の動画を予告どおりYouTubeに再アップしました。結局編集はほとんどせず、当日話したままのノーカットです。5時間通して聴くのはなかなかしんどいかもしれませんが、個人による執筆や一般のシンポジウムや文章化目的の座談などにはない、無観客&動画&自宅収録&ネット配信ならではのあり方を、この時間の長さが成り立たせているような気がします。公開期限は特にないので、以下、少しずつでも一緒に考えつつ見てもらえたらありがたいです。



前編(2時間43分)

  • 00:00 趣旨説明・話者紹介
  • 18:50 多木浩二プロフィール
  • 34:25 多木浩二の建築写真集を読むに際しての問題
  • 54:48 篠原一男の建築に対する批評と写真
  • 1:17:08 篠原建築の写真の分析 1


後編(2時間21分)

  • 00:00 篠原建築の写真の分析 2
  • 1:09:46 建築写真の主体性
  • 1:37:20 伊東豊雄《中野本町の家》と坂本一成《代田の町家》の写真の分析
  • 2:02:52 結び

渋谷区神宮前のQUICOが2021年2月上旬に閉店するらしい。建物は2005年竣工で、坂本先生の設計。2021年3月から同ビル3階で「salon QUICO」を展開する予定とのこと。

QUICOの建築は坂本先生の作品のなかでも特に好きなものの一つで、10年近く前に『INAX REPORT』で文章を書いたことがある(→誌面PDF)。しかしうまく書けずに後悔が残り、号外『建築と日常の文章』()にも収録していない(その反省もあったので、『建築家・坂本一成の世界』()ではQUICOのページは一層慎重にまとめた気がする)。閉店セールもするようだし、2月までにまた訪れてみたい。

予告していたトークライブ「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()が予定時間を大幅にオーバーしつつも午前0時過ぎに無事終了。もともとは本当にリアルタイムで行うつもりだったのだけど、慣れない配信でトラブルがあったり、技術的なことに気を取られて議論に集中できなかったりするとよくないので、前日(昨日)に収録したものを「ライブ配信」で流すことにしたのだった。とはいえ録画した動画を「ライブ配信」するだけでも失敗しないかけっこう緊張するものであり、なおかつ画質や音質も制限されるので、結局ふつうに録画データをYouTubeにアップして一般公開するのがよかったのかもしれない。特に今回は1〜2時間の予定(予告)が5時間まで延びたので、本当にリアルタイムでやっていたら悲惨なことになった気がする。
トークライブの最後、多木さんが若い頃デカルトの『方法序説』を読んだエピソードを引き合いに出して多木さんのアマチュアリズムに触れたのだけど、誤ってその出典を『雑学者の夢』(岩波書店、2004年)と言ってしまった。たしかに『雑学者の夢』にも『方法序説』を読んだ話は書かれているけれど、僕が言及したのは『映像の歴史哲学』(今福龍太編、みすず書房、2013年)のほうの記述。以前このブログでも引用したことがあった(2019年10月15日)。

ここ最近、家で観た映画。工藤栄一『十三人の刺客』(1963)、相米慎二『セーラー服と機関銃』(1981)、中原俊『12人の優しい日本人』(1991)、ジョン・カーペンター『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)、山下敦弘『くりいむレモン』(2004)、堀禎一『団地妻 ダブル失神』(2006)、いまおかしんじ『契約結婚』(2017)。
最後の2本以外はどれも前に観たことがあるもの。ワクチンができるのは喜ばしいにせよ、万が一それに高い権利料がかけられ、貧しい人には使えなくなってしまうというのなら、大統領でもセレブでも分け隔てなく感染する原始的な世界のほうがましなのではないか、ということを『エスケープ・フロム・L.A.』のラストを観て思った。


東京フィルメックスの特別招待作品として、C・W・ウィンター&アンダース・エドストローム『仕事と日(塩谷の谷間で)』(2020)をアテネ・フランセ文化センターで観た(ベルリン映画祭エンカウンターズ部門最優秀賞。来年一般公開予定とのこと)。上映時間480分で、午前11:30に始まり、3回の休憩を挟んで終了したのが夜21:30。僕がこれまで観た映画のなかで疑いなく断トツで長い映画(次点は『ハッピーアワー』317分、『ファニーとアレクサンデル』311分あたりか)。
けれども映画で撮られた京都の山間の村を旅したような気分になったのは、単に上映時間の長さだけによるのではないだろう。写真集のような映画と言っていいかもしれない。みずみずしいものをすくい取ろうとして断片的・自律的になる映像と、それを緻密に再構成しようとする編集の拮抗。ドキュメンタリーっぽいけどドキュメンタリーではなく、かといってフィクションとも言いがたい、多少の演出も現実をよりありありと写すため、というような作品のあり方も写真に近いように思える。
道を歩く人をロングショットで追ったり、一つの場面を複数のカメラで構成したり、映画的な技巧も前作(2010年2月24日)より豊富な気がする。そのような構築性は僕が知っている写真家としてのアンダースさんらしくない気もしてしまうけれど、彼にとっての写真の仕事と映画の仕事は、親子ではなく兄弟のような関係として考えるべきなのかもしれない。リンク先の宣伝用画像はたぶんフィルムカメラで撮られたスチールだと思うけど(映画の映像はデジタルで、よりクリア)、写真集のような映画と言っても、単純にスチール写真の数や量を増やしていけば映画の世界が成り立つというようなあり方ではない。

『仕事と日(塩谷の谷間で)』の原題は『The Work and Days (in the Shiotani Basin)』となっているけれど、「Work and Days」は古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの作品のタイトルでもあるらしい(映画のタイトルとの因果関係は不明)。まさに『仕事と日』という邦題で、岩波文庫にも収録されている。ウィキペディアによれば()、他に『仕事と日々』『労働と日々』『農と歴』といった訳もあるようだけど、『農と歴』という意訳も、より大きななかで人が日々を生かされているような感じがあって、映画のあり方に通じる気がした。
今回、アンダースさんとカーティスさんはコロナの影響もあって来日していなかった。ただ、今日の上映を教えてくれたデザイナーの大橋修さんや、映画の出演者でもある角田純さんと数年ぶりに会って、長い休憩時間に話ができた。僕にとっては滅多に会わない親戚が冠婚葬祭で集合するようなもの。

本は読み過ぎてはならないというより、一定以上には読むことができないのである。人間が読んで消化し、血肉とできる本の量は、ほんとうはごく僅かであって、それは私たちの、言ってみれば精神的な生の限界と重なっている。だから、読む本は、生涯の内で慎重に選ばれなくてはいけない。
[…]読書し過ぎて馬鹿になることは、実にたやすい。読書で精神の血肉を養う工夫は、生きる努力そのものと一致している。ひとつの魂が、自己自身を超えて行こうとする努力と、必ず一致しているだろう。それを知らなければ、読書こそは百害無益、人を口達者な愚か者とするのに一番手ごろな手段である。(pp.90-91)

前田英樹『愛読の方法』(ちくま新書、2018年)を読んだ。「見得でするやたらな読書は、何と人を間抜けに、阿呆にしてしまうものか」(p.11)という読書批判・文字批判を含んだ読書論。「真にものを言うということは、単に何かを言うだけではない。何者かが何者かに向かって何かを言うことなのだ」という、このまえ読んだオルテガの『大衆の反逆』(8月23日)にも繋がっている。

 どんなに不完全なもの、整っていないものでも話す言葉は、おそらく書かれた言葉以上に生きる上では大事なものだ。ごまかしの利かないものだ。紛れもないその人が、今そこにいる、という感触を、実感を、私たちはその人が現に話す言葉からじかに得ている。あまりにも直に得ているだろう。言葉の意味というものは、声の抑揚、強弱、リズムから決して切り離せないし、もともとはひとつのものである。ということは、言葉の意味は、話されるたびごとに、そこに生まれ、人の心に入り込み、そこで別の命に生まれ変わって持続していく、そういうものだということでもある。(p.14)

今度のトークライブ「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()は、『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』の書評(10月17日)で考えが及ばせられなかったところを考えたいと思って企画したのだけど、自分で追加のテキストを「書く」のではなく、複数で「話す」ことにした一因には、上記のような「ごまかしの利かない」話し言葉の性質がある。
以下、抜粋メモ。

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村野藤吾『建築をつくる者の心』(なにわ塾叢書4、ブレーンセンター、1981年)を読んだ。長谷川堯がコーディネーターとなり、当時89歳の村野藤吾(1891-1984)を一般参加者十数名(建築関係者が多い)が囲んで行われた講話、全4回の記録。ただ、村野の人柄は伝わってくるものの、言葉の意味が取りづらい個所も多く、具体的に村野の作品の質を解き明かしてくれるような感じはしない。村野の建築に馴染みのある人ならば、最晩年の滋味深い言葉として、もっと響いてくるものがあるのかもしれない。

現実には、様式はもうないんですけどね。[…]様式も近代建築もない。そういうことを意識したことはありません。
 現実には、筆を下ろした時が、その瞬間が……、それ以外ないわけです。問題に取り組んで、その問題と対処した時に始めて答えが出てくるわけです。だから、それを第三者が近代建築とか様式とか言ったりするのだと思います。あまり学問がない方がいいような気がします。(p.17)

 というのは、私が小さい時の話ですが、田舎ですから、隣近所が、夏になると皆水を打つわけです。私の母親は、必ず水を打たせてから、子供を学校へ行かせる。
 その水を打つ時、自分の前だけでなく、両隣り、お向いに打ち、皆水を打たないと自分の家に水をまいた気がしない。美しくないということです。[…]建築家になれる資質というのは、あるいはそういうところじゃないかと思います。(p.117)

パナソニック汐留美術館で「分離派建築会100年展」(〜12/15)を観て、記念シンポジウム「分離派建築会──新しい様式を求めて」(香山壽夫・藤岡洋保・田路貴浩)を聴いた。
最近多木浩二の写真について考えていたこともあってか、分離派建築会(1920-28)が多木浩二らによる同人誌『プロヴォーク』(1968-69)と妙に重なる印象がある。個にもとづく創作の主張をしたところや、後に大成する人たちの若い頃の活動であるところ、実際の制作物よりも鮮烈なマニフェストや伝説的な運動としての歴史性が取り沙汰されがちなところ。たしか藤森照信さんがむかし森田慶一(1895-1983)に会いに行って分離派の話を聞こうとしたら、「みんな分離派のことを聞くけどそんな若い頃のことよりその後の研究のほうがよっぽど重要だ」みたいなことを言われたと書かれていた気がするのだけど、どこで読んだのだったろうか。そうやって後年の当事者たちからは「若気のいたり」くらいに思われているところも『プロヴォーク』と共通するかもしれない(森田以外の分離派のメンバーが自分たちの活動をどう思っていたのかは知らない)。
展示は多くの資料を集めた充実の内容だった。ただ、分離派のことを思うときいつも「分離派の建築」と「分離派メンバーの建築」の境界がよく分からない。言い換えると、分離派のメンバーたちはその当時、みな常に分離派とイコールの存在だったのだろうか。個人雑誌をやっている僕でさえ『建築と日常』=自分とは思えないし、ましてや分離派のそれぞれのメンバーの個性や仕事の広がりを考えたとき、なかなか「分離派建築会が希求した建築の芸術」に焦点が定まらない。対象を広げたほうが展覧会としては色々あって面白いとしても、そうすると余計に、分離派の建築史的エッセンスや、野田俊彦(「建築非藝術論」「建築と文化生活」)や谷口吉郎(「分離派批判」)らが感じていたような同時代的リアリティはぼやけてくる気がする。あるいは分離派の第一の主張が個人にもとづく自由な創作ということなら、結果としての全体像の捉えどころのなさも分離派らしいと言えるだろうか。そうした輪廓の曖昧さ/拡張性があるからこそ、100年後の研究者にまで研究テーマを供給し続けられているとも言えるかもしれない。
そういうなかで、あえて(と言ってよいと思う)分離派の創設メンバー6人に共通の精神を見いだそうとした香山先生の関連シンポジウムでの発言は、多少無理筋だとしても(確固たる様式概念の認識がなく混沌とした当時の日本建築界において建築言語による秩序を求めたのは、分離派よりも例えばその一学年上の吉田鐵郎だったのではないか)、香山先生の思想において必然性のある問題提起であり、新鮮で興味深かった。議論は深まらず残念だったけれども。

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新しくオープンしたurizen storeで、岡﨑乾二郎さんの新作画集『TOPICA PICTUS とぴかぴくたす』(寄稿=中村麗・ぱくきょんみ、装丁=森大志郎、発行=urizen、4000円+税)を購入。

関連の展覧会。

■豊田市美術館 特集展示「岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUS こざかほんまち」10月17日(土)-12月13日(日)
■東京国立近代美術館「TOPICA PICTUS たけばし」11月3日(火)-2021年2月23日(火)*展示替えあり:前期=11月3日-12月20日/後期=12月22日-2月23日
■Takuro Someya Contemporary Art「TOPICA PICTUS てんのうず」10月31日(土)-12月12日(土)
■南天子画廊「TOPICA PICTUS きょうばし」11月6日(金)-12月12日(土)

関連のウェブ連載。

TOPICA PICTUS 〜 An overflow from the River Lethe 〜
2020年3月から6月にかけて、造形作家・岡﨑乾二郎氏がこれまでにない密度で集中的に制作した150点強の絵画群「TOPICA PICTUS」。本連載ではそこから毎回数点をえらび、その作品に関連する過去の絵画と並べてみるところから、星座のように連動する絵画の宇宙を作家自身が語ります。