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『建築と日常』を始めたとき、ともすると無自覚のうちにその型に嵌められてしまうジャーナリズムやアカデミズムの文体ではなく、ブログのような文体で自分の文を書きたいと思っていた(そのことは雑誌名の「日常」にも通じる)。自我という言葉がどういう意味をもつのか、昔からいまいち実感がないのだけど、「近代的自我」の権化として悪者にされがちなデカルトの、次の文で指摘されるようなところは見習いたいと思っている。

「一番最初に原語で読んだ哲学書はデカルトの『方法序説』でした。これを読んで、このように素手で書いていいものなのだ、と衝撃を受けました。本当の哲学というものと哲学史というものとを分けて考えることができるようになったのは、デカルトの『方法序説』を読んだときからでした。」(多木浩二『映像の歴史哲学』みすず書房、p.11)

次のは自我の尊重を謳った白樺派についての指摘だけど、こんな白樺派も見習いたい。

「白樺派の文体について、柳と同級生だったことのある里見弴は、そこに集まった青年たちが文体上さけようとした点として、「いい子病」「意味ありげ」「知ったかぶり」の三点をあげている(里見弴「二三の神経」『銀語録』相模書房、1938年)。
「いい子病」というのは、この社会で権威ある者のところに身をすりよせて、自分の善い面ばかりをあれこれ言っていい子になりすますような文体のこと。
「意味ありげ」というのは、五の内容を十あるいは二十にも見せようとする言いまわしのこと。青年時代には、わかるということが平凡に感じられるもので、そこで「意味」よりも「意味ありげ」を重んじるようになるのだが、白樺派の間ではその「意味ありげ」をいやみと感じてやっつける気風があった。わからないところは仲間がその場で説明することを求めるので、自然にかれらは、そろっておしゃべりになったという。文体の上では、やさしい言葉をえらんで使うようになった。
「知ったかぶり」というのは、自分の知らぬことを知っているようなふりをすること。このために、白樺派では、学問は重んじられなかった。勉強家の柳宗悦や児島喜久雄は、不必要な引用にかざられた学者風の文体をまぬかれるよい訓練の機会をもった。」(鶴見俊輔『柳宗悦』平凡社、pp.143-144)

デカルトや白樺派のことはよく知らないけど、自我というものが既成の学界や学閥、世俗的な人間関係やポジショニングへの意識から離れて自律的・主体的に思考する根拠になっているのだとするなら、それは安易にくさして済むようなものではないだろう。またその意味での自我は、必ずしも独善的な態度を導くのではなく、信仰や倫理や常識などを基盤にして、他者とも通じ得るのではないかと思う。自我と無私とが両立するような状態として。