先日(11月15日)のトークライブ「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()について、話者の塩崎太伸さんと大村高広さんがそれぞれブログにテキストを書かれている。

こうしてあらためて書かれたものを読んでみると、当日のトークではおふたりの思考をなかなか拾い切れていなかったのだなと思う。企画の言い出しっぺであり、『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』の書評のために資料を読み込んでいた僕が司会役として議論のレールを敷くのは妥当だったとしても、実際のトークではそのレールの上をスムースに進んでいくことに気を取られてしまったきらいがある(しかし、もしおふたりの思考をすべて拾いながら議論を進めることができたとしたら、トークは5時間でもとても足りなかったという気はする)。
僕個人としては、まず写真集の書評で書いた「評者にとってまず問題なのは目の前の写真そのもの」という意識が、こうしたかたちの企画を立てる前提にあった。目の前の写真と向き合うこと。
具体的に写真や言葉をモニターで提示しながら話をしたのは専門外の人にも分かりやすくするため、そうトークの結びで言ったけれど、それは理由の半分であって、残りの半分は自分たち自身が具体的なものから目を逸らして抽象的なほうに話を寄せてしまわないためだった。実際、多木浩二の建築写真に対する最近の言葉を色々と眺めていて、一体どの写真のどういうところを見て、どういう感覚に基づいてそういう言葉が発せられているのか察しがつかないということが多かったので、自分たちは合っているにせよ間違っているにせよ捉えどころのある言葉で話をしたいと思った。
それは僕が今回、書評に追加する文章を「書く」のではなく「話す」ことにしたいと思ったことにも繋がっている。「書く」ことはその内容を細密に構築できる一方、実感から切れて捉えどころをなくすことにも向いている。それに対し、ある時間ある空間のなかで「話す」ことには、そういう自由さが欠けている。実感のないことはなかなか話しづらいし(技術的にも倫理的にも)、話したとしてもそのときの口調や表情などによって、「実感のない言葉」であること自体まで聴く人に比較的正直に伝わり、場合によって相手からツッコミが入れられることもあるだろう。
そうして「話す」ことは、ふつうは特定の誰かにその場限りで現象する行為だけども、それが文明の利器(ビデオとネット)を得て時間的にも空間的にも広がりを持ち、その点で文字と似た働きを担いうるようになった。その「話す」ことの固有性と普遍性、私的なあり方と公的なあり方の混じり具合も、今回の目的や内容には適当と思われた。
実際のトークのスタンスとしては、多木浩二の建築写真は撮影対象にされた建築を知ることでより深く読める、というのがひとつの前提になっていたと思う。これは「建築写真は建築の専門家にしか読めない」という排他的な縄張り意識のつもりはない。要するに、鋭い批評的知性を持った多木がそれぞれの建築の意味を読むとともに写真を撮ったのだとしたら、その写真を見る人は(建築家だろうが写真家だろうが哲学者だろうが)そこで撮られた建築がどんなものだったかを知ることが写真を読む有効な手立てになるに違いない、ということ(そもそも撮影対象の建築を知ろうとすることは、それらの建築に向き合ってなされた創作を論じるときの初歩的なマナーという気もする)。同様に、それぞれの建築に対して多木が書いている批評文(写真集では無視されていたけれど、多木にとってはこちらのほうが本来の仕事)も、当然考慮すべきものだった。
その上で今回、建築写真というものに対して様々な見方がありえるなかで、あくまで僕個人としては多木浩二の写真をかなり一面的に知的な見方で捉えようとしたと思う。それは多木の写真自体が一面的(建築のある一面を特化しているということ)で知的であることを特徴とすると考えているためだ。トークでの僕の発言は、聴く人によってはひどく断定的で、写真の可能性を限定しているように感じられるかもしれない。僕としては公に話をする以上、それなりに確信を持った決定的な見方だと思っているわけだけど、もし他に的確な見方があるのなら、また別の誰かがその人の信念に基づいて上書きしていけばよいのだと思う。今回の話が100%否定されるようなことはないはずだし、なんらかの足がかりにはなるだろう。告知の趣旨文で「今後の思考の地ならしとなるような話をしたい」と書いたのはそういう意味だった。