f:id:richeamateur:20200526152124j:plain
f:id:richeamateur:20200526152442j:plain
『「自画像」は、どう探求されたか──特別展「日本建築の自画像 探求者たちの もの語り」記録集』(香川県立ミュージアム、2020年)をいただいた。『建築と日常』No.3-4()の大江宏関連の企画でご協力いただいた富永讓さんと石井翔大さんが参加したシンポジウム「大江宏の建築を語る」の記録が収録されている。種田元晴さんが『建築と日常』No.3-4に言及してくれていた。熱のこもったシンポジウム。

富永 そうではない、大江さんはもっと民主的な精神で、建築が一人一人の人間にどういうふうに働きかけているか、ということをクローズアップしていた。だから、分かりにくくなった。分かりにくい、というのもおかしいんだけれども、今はメディアの社会でしょう。メディアの社会だから、写真に写らないものは無いも同然というわけですよ。[…]みんな建築を「見てきました」、「知っています」と言うんだけれども、みんな人差指でぱっとスマホの画像をたぐってみただけ。それだけの経験なんです。[…]だから、逆に建築家そのものの今のアクチュアルな状況というのは、メディアが喜ぶものを造らないと売れない、という状況があるんですよ。それは、大江さんが言っている建築とは、全く正反対のもの。メディアの中に出ている写真とかいろんなものというのは、お札でいえば偽札みたいなものだ。だから、本札つかまないで、偽札をいっぱいポケットの中に入れて、内ポケットの中に入れて、見て知っているような感じになっているんだよね、今の建築状況って。

他も盛り沢山の充実した内容で、香川県立ミュージアムがその土地のミュージアムとしての責任のもとに、主体的に企画に取り組んでいる熱意が伝わってくる。そうでなければ次のような言葉は決して出てこないだろう。「特にパネルディスカッションでの緊張感あふれるやり取りは、そのまま文字化した方がその場での臨場感が伝わるし、そのことで相互の意見の相違を浮き上がらせることができるはずである。残念ながら、発言者の方の意向で「きれいな」文章へと変容してしまった」(「おわりに」)。編集の立場として、こう書いてしまいたくなる気持ちはよくわかる。

ツイッターで政治に関する発言をして、たくさんリツイートされたりすると、妙に浮ついたような足元がおぼつかないような気になってしまう。また逆にまったく反応がなくても、なんとなくみじめな気分になってしまう。

「昔は馬鹿は黙っていたものなのに今は馬鹿である程ものが言い易くなっているとするとそれが今と昔、日本の現代とそれ以前の時代の違いっていうことになりますか。」

  • 吉田健一『絵空ごと』河出書房新社、1971年、p.84

好んでよく引用してしまう一節(2014年9月21日)。小説内の登場人物のセリフだけど、作者である吉田健一自身の言葉として受け取ってもいいだろう。馬鹿は黙っていたほうがよい。僕自身そういう意識が強く、自分でも確信がないことについてはなるべく発言したくない。
この吉田健一の言葉は、それこそ昨今ツイッターなどで頻繁に飛び交っている、相手を黙らせるための呪いのような言葉にも通じるかもしれない。ただ、吉田健一が言う「馬鹿」は、無知な非専門家に対してではなく、むしろ当時の賢しげな知識人に向けられていたと思う。彼らを進歩的に見せる理屈っぽい借り物の言葉に対する苛立ち。だから重要なのはそれぞれの言葉がそれを発する人の人生の実感に根ざしているかどうかのはずで、そこで素人か専門家か、また有名か無名かは問題にならない。そう考えると、たとえば発言に一定の専門性が求められる科学や歴史などとは異なり、政治は(そして建築も)素人が日常の地平で自分の言葉を語ることに意義が認められる領域だろう。とくに今の日本の政治の破滅的な状況では、素人の「馬鹿」ではない確かな言葉が一定の可能性を持っているようにも思われる。

今度の都知事選にまた宇都宮健児が立候補するらしい。2014年あるいは2016年の都知事選以降、その活動を特にフォローしていたわけではないけれど、選挙で積極的に投票できる候補者がいるのは今や幸運なことのように思える。宇都宮健児ならば、個々の事案に対して多少自分と異なる見解を持っていたとしても、その見解の前提となる意志は信頼できるし、見解が異なる他者との建設的な議論も可能だろう。他に名前が挙がっている人たちではその当たり前なことが望めない。

【追記】 その後、山本太郎と小野泰輔が出馬を表明した。彼らも上記のことが望める人たちかもしれない。ただ、前者は首長の仕事向きのキャラクターではない気がするし、政治志向が重なる宇都宮健児と比べたとき、都政全般に対する準備不足は否めない。後者は維新との協力関係に決定的な危うさを感じる。宇都宮健児が当選するには小池百合子が落選する必要があるわけだけど、試しにツイッターで小池百合子の名前で「話題のツイート」を検索すると出てくるのは批判や非難ばかりで、肯定的な発言はまったく見当たらない。にもかかわらず「小池圧倒的有利」となるような世の中が嫌だという気持ちがある。

川島雄三『洲崎パラダイス 赤信号』(1956)がYouTubeで6月4日まで無料配信されている。

またこちらは有料だけど、ジャン・ルノワール『ピクニック』(1946)がHelp! The 映画配給会社プロジェクト第一弾、クレストインターナショナルの配給作品見放題パックのうちの1本として配信されている。

どちらも『映画空間400選』(INAX出版、2011年)で短い紹介文を書いた作品。版元の廃業によってこの本もいずれ手に取りにくくなるだろうし、本の宣伝も兼ねてテキストを転載しておくことにする。こういう紹介文を400本分と、他にコラム等を掲載した本。

f:id:richeamateur:20200925145727j:plain
f:id:richeamateur:20200925145725j:plain
見放題パックのほうは、マノエル・ド・オリヴェイラ『アンジェリカの微笑み』(2016年1月23日)や、ホン・サンスの『それから』(2018年7月1日)、『夜の浜辺でひとり』(2018年9月12日)、『正しい日 間違えた日』(2018年7月31日)、『クレアのカメラ』(2018年8月3日)もラインナップされているので、僕も申し込んでみようかと思う。

「配給会社別 見放題配信パック」第一弾配信作品リスト
クレストインターナショナル見放題配信パック 3カ月2,480円(税込)
1 『ピクニック』ジャン・ルノワール監督
2 『愛して飲んで歌って』アラン・レネ監督
3 『アンジェリカの微笑み』マノエル・ド・オリヴェイラ監督
4 『未来よ こんにちは』ミア・ハンセン=ラブ監督
5 『めぐりあう日』ウニー・ルコント監督
6 『いとしきエブリデイ』マイケル・ウィンターボトム監督
7 『イタリアは呼んでいる』マイケル・ウィンターボトム監督
8 『嘆きのピエタ』キム・ギドク監督
9 『それから』ホン・サンス監督
10 『夜の浜辺でひとり』ホン・サンス監督
11 『正しい日 間違えた日』ホン・サンス監督
12 『クレアのカメラ』ホン・サンス監督

ホームページをリニューアルしたせいか(5月7日)、『建築と日常』オンラインショップ(https://richeamateur.theshop.jp/)からの注文が増え始めた。これまではずっとAmazonマーケットプレイスからの注文が多かったのだけど、そちらだと掛け率がよくないし、購入者も配送料が余計にかかってくるので、この流れはありがたい。前よりもBASEなどのネットショップが一般化しているという背景もあるのかもしれない。記録としての意味も込めて、ふたつを比較した表を作成した。

f:id:richeamateur:20200925093620j:plain

LIXILがINAXから引き継いでいた文化活動の一部を終了させることに対し、SNSでは「文化」の大切さを訴えるようなコメントが少なからず発信されている。これに限らず、コロナ以降、「文化」という言葉をよく目にするようになった。しかしどうもその言葉の使われ方に違和感がある。文化は別にそれがあれば絶対によいというものではなく、むしろないほうがよい場合だってあるはずだけど、一般に無条件でよいものだとされる傾向が強い。そして芸術や学問などごく限られた分野を指す言葉として使われがちだけど、本来は特定の分野に限定される概念ではなく、たとえば政治でも経済でも、個々の枠組みを超えて通底しうるものだろう。逆に芸術や学問の中においても、たとえば「常識を打ち破るまったく新しい思考!」などと形容されるようなものは、時として文化を壊すものだと言い換えられるかもしれない。
結局のところ、作品であれ人であれ活動であれ、良いものとそうでないものとが文化という抽象概念によって括られ、社会制度上、一緒くたに「大切」とされることに違和感があり、その節操のなさに苛立つのだろうか。少なくともそこで語られているのは政治であって文化ではない(政治は政治で大切だとしても)。「良いものとそうでないもの」という線引きには主観的・独善的な響きがあるけれど、そうした価値観を単なる主観や独善にとどめず、人々に共有可能にさせ、またそれによって人々をつなぐものこそ文化であると思う。

昔のINAX出版の近刊案内。レム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房、1995年)は、もともとINAX出版から刊行される予定だったらしい。なにがあったのか知らないけど、もしこれが出版されていたら、その後のINAX出版の軌跡も多少変わっただろうか。
f:id:richeamateur:20191227121008j:plain

先日の10+1 websiteの更新終了(4月1日)に引き続き、LIXIL出版とLIXILギャラリーが今秋で活動終了とのこと(書籍の販売は2022年秋まで継続)。

INAX出版/LIXIL出版には様々な仕事でお世話になった。おそらく既刊本はもう増刷されることはないので、ご購入はお早めに。以下、編集した本。

これを機に、『建築家・坂本一成の世界』の巻頭に載せた編集言をnoteにアップしました。

「こと」と「ことば」の微妙なずれが気にかかる。内容としては10の「こと」を、11とか12くらいの意味をもつ「ことば」で語りがちな人がいて、そうするとせっかくの10のことも、逆に6とか7とかに感じられてしまう。そしてそういう人が世間一般では「ことばに力のある人」として受け取られているさまを見るのも歯がゆい。