出版長島の設立を契機に、より積極的にSNSを活用していきたいと思っているのだけど、インスタグラムは使い方がまだよく分かっていない。とりあえず『精選建築文集1』の情報を載せてはみたものの、あとは #谷口吉郎 #清家清 #篠原一男 のタグが付いている投稿を見つけたらその都度♥を付け、こちらのアカウントに誘導することくらいしかしていない。あれこれ思い悩まず♥が付けられるようになったのは成長。
■
■
編集中、谷口と清家の言葉にしばしば柳宗悦と近いものを感じたので、『柳宗悦と民藝の哲学──「美の思想家」の軌跡』(2018年7月17日)の大沢啓徳さんに『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』を読んでいただいた。
『建築と日常』No.5では柳宗悦(1889-1961)に注目したけど、僕の谷口吉郎(1904-1979)への関心はそこから連続している。今回の谷口の収録文でも、たとえば「材質の清らかさ」(1937年)などは柳の思考と大きく重なっていると思う。15歳違いの谷口と柳には、おそらく多少の交流があっただろう。式場隆三郎の『二笑亭綺譚』(昭森社、1939年)には両者の寄稿文が収録され、『民藝』1940年1月号には両者が参加した座談「現代生活と民藝の本質」が掲載されている(ほかに大熊信行・式場隆三郎・田中俊雄)。柳と谷口は美学的および倫理的側面で響き合うとともに、両者とも美と倫理とを不可分なものとして捉えていたと言えるだろうか。ただ、谷口は建築家として最新の技術や材料を扱う実務家でもあったから、過去の世界に規範を見る理想主義者の柳とはそこで一線を画すことになる。その対比によって見えてくるものも興味深いのではないかと思う。
清家清(1918-2005)の文章も柳(および谷口)の思考との繋がりを感じさせるけど、清家の場合、柳は柳でも、東京美術学校で同時期に学んだ柳宗理(1915-2011)と比べたほうが得られるものは大きいかもしれない。このふたりは年齢も近く、もっと砕けた友人関係だったらしい。
■
昨日は『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』の出版の報告として、本のデザインをしていただいた服部一成さんを訪ねた。旗をモチーフにした出版長島のシンボルマークは「『精選建築文集1』で谷口吉郎の「旗の意匠」という文章を収録していることに由来するのかもしれません」(10月17日)といい加減なことを書いたけど、ご本人に確認したところ、そんな事実はなかった。確かに本当に「旗の意匠」を参照していたとしたら、旗の竿の部分がないのはおかしいなと思っていた。このシンボルマークは、本の背表紙に置かれたときの見え方を念頭にデザインされているのだという(書影を撮影してみたけど、背の部分がボケてしまった)。
しかしよく考えてみると、この表紙の書名は間違っている。『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』という正式な表記からナカグロ(・)が2つ抜けている。ただ編者としては、三者を上下関係や時系列の順番で位置づけるのではなく、それぞれの異なる個性を三つ巴のように捉えたいという思いがあった。だからこの表紙はそれがグラフィカルに表現されているとも言える。
ナカグロを抜いてタイトルを改変してしまうというのは、そこまで大それたことではないにしても、一応それなりの意思がないとできないことだろう。三者を三つ巴のように捉えたいということは、たぶん事前に服部さんには伝えていなかった気がする。しかし服部さんからこういうデザインが出てくるのは特に不思議には思われない。『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版、2016年)のときも、「主従関係というか、起承転結的なものではない配置にする」ことが意図されていた。
後はこのタイトルをどういうイメージで伝えるかですね。結局、単純に2本の線を引いて、3つの敷地に分けて、日本語タイトル・英語タイトル・出版社名をぽんぽんぽんと置いただけなんですが。本文のレイアウトもそうですが、主従関係というか、起承転結的なものではない配置にするということは、わりと考えていたかもしれません。だから例えばサブタイトルがあると困るなと思ったんです。qp君の『階段』もどうかと思いますけど、仮に『階段──坂本一成作品集』みたいに主従の関係を含むものだと、その順番に見せないといけない、デザインを縛ることになってきますよね。でも今回のタイトルの場合そうではないし、さらに著者名もないというか、坂本さんの名前がタイトルに入っている。普通はタイトルと著者名と出版社名の羅列になりますが、その制約もなかったので、そういう意味ではやりやすいタイトルではありました。
- 坂本一成×服部一成×qp×長島明夫「建築のデザインと本のデザイン──『建築家・坂本一成の世界』制作チームによる座談」10+1 website|201611 https://www.10plus1.jp/monthly/2016/11/pickup-01.php
■
金沢の〈谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館〉でも今日から『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』が販売開始。金沢出身であり初の名誉市民でもある谷口吉郎の生家跡に建てられたミュージアムで、設計は長男の谷口吉生さん(2019年竣工)。ここを訪れる人を想像しながら本を作ったようなところもあるので、ひときわ感慨深い。
たぶんあまり大っぴらにされていないことではないかと思うのだけど、〈谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館〉は単に谷口家の所有地が市に寄贈されたというだけでなく、土地の寄贈を決めた谷口吉郎の遺志を受け、吉生さんが「隣接地を少しずつ買い足してきた」のだという(水野一郎「随筆にみる谷口吉郎の金沢──犀川、兼六園は造形の図書館」『北國文華』2019年冬号)。なんというノブレス・オブリージュ。
■
『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』、11月15日現在の主な販売店リスト(今後まだ増加見込み)。三重の奥山銘木店というお店は聞いたことがなくて、一瞬、谷口吉郎と縁のあったところ?と思ったけど(1977年に「谷口吉郎の和風」という特集が組まれた雑誌『木』の発行元が篠田銘木店)、調べてみると2006年開店の独立系書店だった。近所にあったら通っているだろうお店。
otonamie.jp
以下、各地の書店での販売の様子。(随時追加)
■
国立国会図書館に『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』が所蔵されたらしい。資料収集のため、編集作業中には国会図書館にもずいぶん通っていた。
コロナの影響で大学図書館がどこも使えなかったのは痛かったけど、その代わりに自宅から比較的近い神奈川県立川崎図書館を大いに利用させてもらった。理工系に特化した図書館で(横浜の神奈川県立図書館のほうが人文・社会系)、戦後の建築雑誌のバックナンバーもそれなりにあり、書籍であれば基本的に貸出にも対応している。ちょうど今回の本の範囲と重なるところが多く、とても助かった。蔵書として受け入れてもらえるようならば、1冊寄贈したいと思う。
下は大学図書館の蔵書検索。
■
『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』をかついで大岡山の東京工業大学を訪問。写真は順番に、谷口吉郎による創立70周年記念講堂(1958年)、清家清による管理棟(1967年)、篠原一男による百年記念館(1987年)。特に清家と篠原は住宅作品が多いので、3人の建築の少なくとも外観は見学できる貴重な場所。対談で出ていただいた坂本一成さんによる蔵前会館(2009年)、塚本由晴さんによるエネルギー環境イノベーション棟(2012年)もキャンパス内に建っている。
■
ネットで無料公開されていた、草野なつか『王国(あるいはその家について)』(2019)を観た。驚くべき実験的映画。そのありようは例によって古谷利裕さんが詳細に記述している。
ただ、その極めて刺激的な実験性に引き込まれつつも、非専門家的な映画の観客としては、実験そのものより実験によって得られたものを用いて映画を見せてほしいという気もしてしまう。それは例えば、この映画のストーリーの軸になっている「王国」の存在(あるいは「王国」の存在を信じている人の存在)を監督は本当に信じているのかどうかというような水準の話。例えばホン・サンスの映画も実験性は強いだろうけど、そこでは映画の構造と物語、役者と登場人物が肌分かれせず、渾然一体としている。一方でこの映画は、物語よりも構造、登場人物よりも役者が重視されている印象を受ける。J-POPを聴いていて、音やメロディにはとても惹かれるのだけど、歌詞のせいでいまいち乗り切れないみたいな感じだろうか。
■
出版長島の代表自ら出荷作業。朝に始めて気づけば夜。これで現在までにいただいている『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』の注文分はすべて発送しました。