吉田秀和「芸術と人生」より、パウル・クレーの詩。クレーの絵画を思わせるリズミカルで空間的・視覚的な詩だけれども、しかしこれを実際に絵に移し換えることはできない。この表現には絵よりも言葉あるいは文字のほうが適切だからこそ詩になったという話。

これ以上は絵でなくて、言葉、そうして言葉もそれ以上は言葉で語るべきでないという一点まで、この詩は、最高に簡潔な言葉による表現を用いながら、ぎりぎりのところまで、言いつくしている。これは、ほかのどんな言葉におきかえることもできない。

  • 吉田秀和「芸術と人生」1980年(『響きと鏡』中公文庫、1990年)

同じ詩の英訳版があった。吉田秀和の本で引かれた日本語訳(出典:万足卓『季節の詩』北国出版社、1979年)とは言葉の組み立てが異なるようだ。原詩がどういうものか知らないけど、「最高に簡潔な言葉による表現」には日本語訳の独創性も含まれていると見るべきだろうか。

Water
Waves on the water
A boat on the waves
On the boat-deck, a woman
On the woman, a man.

  • 『Some Poems by Paul Klee』Anselm Hollo訳、Scorpion Press、1962年(PDF

興味が出て古本で買ってみた『クレーの詩』(高橋文子訳、平凡社、2004年)は、103篇の詩にクレーの絵画やスケッチを合わせた画文集。そこにも同じ詩が収録されている。訳は万足卓によるものとほぼ同じ。だけどすこし違う。


その上に波
その上にボート
その上に女
その上に男。

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写真を撮りながら近所を散歩。今のところ撮り飽きることもなく、近所の写真がどんどん溜まっていく。写真が増えていくことで、より細密に近所の景色がアーカイヴされていくような感じがある。しかし一方でもし僕の写真の根本に偏りがあるとしたら(技術面の未熟さはともかく)、写真が増えれば増えるほど、その全体は近所の景色の実体から離れていくということになる。もっとも「植物図鑑」(中平卓馬)だろうがGoogleストリートビューだろうが完全な客観としての写真などないのだから、それがどうしたということかもしれないけど。
ただ、たとえば僕が1日に写真を30点撮り、そのうちの5点をブログにアップしていったとして、そうして溜まった10日分の写真50点と、ブログで小出しにせず、10日間で撮った300点の写真から選んだ50点とでは、おそらく前者のほうが偏りは強く出てくるだろう。そのことで「近所の景色の実体」から離れていくことには注意していたい気がする。以下、写真4点。

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昨日の日記では自然に「氏」という言葉が出てきたけれど、「氏」は今の世の中でだいぶ価値を落とした言葉ではないかと思う。つまり慇懃無礼というか、まったく敬意を持たない相手の名前に対して形式主義的に空々しく「氏」を付けてみせるという用法がかなり目立つ気がする。その形式と実際のずれに嫌味を感じることが多い。昔、貴乃花が実兄である元若乃花のことをあえて「花田勝氏」と呼び、兄弟の不仲がワイドショーで騒がれたことがあった。今、インターネット上ではむしろそういう使い方のほうが大勢を占めてきた感じさえする。あるいは以前ならば呼び捨てでかまわなかった場面でも、今は敬称が求められるように世間の空気が変わってきたせいで、「氏」がいびつな状態で使われるようになったということもあるだろうか(たとえば一般人が政治家を語るときに「氏」は必要なのか?)。そもそも誰かに対して批判や非難をしたり、腐したり揶揄したりする言葉が世の中に圧倒的に多く顕在するようになったということが根源かもしれない。
関係ないが吉田秀和は相撲好きで、相撲についての文もたびたび書いている。

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ある夜、ふいに自分は吉田秀和(1913-2012)の書くものが好きだったということを思い出し、ネットで適当に著作を見つくろって注文した(これ以外にも図書館でいくつか借りた)。吉田秀和の文章はもう11年近くも前、以下の一節をこのブログで引用しているけど(2010年6月8日)、この文はその数年後、『建築と日常』No.3-4の坂本先生へのインタヴューでも引くことになったのだった(そういえばもともと初めて吉田秀和の名前を意識したのは、坂本先生の1970年代半ばに書かれた文章で参照されていたのを読んだときだったかもしれない)。

私の考えでは、芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性にしたがって創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことは、できないものだと思う。芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発されて、芸術家の魂を目覚まされ、そこでそれを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。そうして、彼の成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫ってゆくという順序を踏むのではないか。

  • 吉田秀和「ソロモンの歌」1966年(『ソロモンの歌・一本の木』講談社文芸文庫、2006年)

今、たまたまAmazonの『ソロモンの歌・一本の木』のページを見たら、自分がその本を2007/7/2に購入しているという情報が表示されていた。思ったよりも前だった。吉田秀和にはこんな文もある。

いってみれば、本には二種類ある。新しいことを知るため読むものと、「読書」の対象になるものと。若い時は、誰だって累積がたりないから、何だって読み、それが精神の糧になるけれど、ある年齢をすぎると、どんな本でも同じというわけにはいかなくなる。そうなってからのこととしていうと、読書というのは、同じ本を何度も読みかえすことを指すのであって、初めて読むのは読書のうちに入らないことがわかってくる。

  • 吉田秀和「ベートーヴェンの楽譜とセザンヌの絵」1984年(『物には決ったよさはなく……』読売新聞社、1999年)

残念ながら僕は、吉田秀和の本領であるクラシック音楽についての文章を十分に読むことはできない(グールドならばここ十数年で多少聴いてきたので、なんとか察しはつくという感じ)。しかしその他の美術評論や随筆も、おそらく氏にとって必ずしも余技と言われるべきものではないだろう。上のふたつの引用文にもうかがえると思うけれど、氏の活動は個々の自律した専門ジャンルによって純粋に区切られることがなく、人生において、日常において、底のところで確かにつながっている。

芸術は、私たちが毎日こうして暮している、その生活の中から生れてくるのですから、それだけをとりだして、ほかの目的のために役立たせようとしても、それは生活という大地に根ざして咲いている花を、切ってしまって花瓶にさして眺めるようなもので、長もちはしない。
芸術は人生にどう役立つか? 役立つも役立たないもない。芸術は人間の生きている、その生き方そのものの中に根をはっているもの、生きるということ自体の内容の一部にほかならないのです。だから芸術が人生にどう役立つか? ときくのは、人間の身体をみて、その手や足、あるいは心臓や肺臓について、何の役に立つのか? ときくようなものだと、私は思います。

  • 吉田秀和「芸術と人生」1980年(『響きと鏡』中公文庫、1990年)

僕が教養や常識といった保守的な概念に価値を見るようになって久しいけど(たとえば「谷口吉郎の教養と常識」2018年)、吉田秀和こそそれらを豊かに湛えて生きた書き手ではないかとあらためて思う。上の言葉もまさに常識的だ。しかし、当たり障りのない単なる紋切り型ではない。社会や政治から全面的に芸術を擁護するわけではなく、「生きるということ自体の内容の一部」ではないような「芸術」に対する批判もその前提として含んでいる。氏の文章を読んでいると、柔らかな文体のなかにそういう厳しさも感じられる。

多木浩二さんが2011年の4月13日に亡くなって、今日でちょうど10年。ツイッターで「多木 since:2011-04-13 until:2011-04-15」と検索すると、当時多木さんの訃報を受けて思い思いに発せられた各人のツイート(3日分)が無数のツイートの海から浮かび上がる。この10年でアカウントごと無くなってしまったものもあるだろうけど、過去の空間の触れ方として新鮮さを感じる。

去年の後半は多木さんの建築写真に関して書評トークライブをしたせいか、先月末の『建築と日常』半年分の定期精算(ツバメ出版流通)では、別冊『多木浩二と建築』がよく動いていた。

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ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチ論 全三篇』(恒川邦夫・今井勉訳、平凡社、2013年)より。ヴァレリーというとデカルトの系譜にいる「卓越した理性の人」という印象が、ろくに読んだこともないのに僕のなかでつくられていた。しかし上のような言葉はそのいいかげんな印象に反省を促す。おそらくヴァレリーの理性は、理性というものそれ自体の批判もするような理性なのだろう。保守と革新という対比で考えたとき、理性は革新と結びつきやすいけれど、ヴァレリーの理性は多分に保守思想にもとづくものなのではないかと思う。
吉田健一が自身で翻訳も手がけているT・S・エリオットとヴァレリーを比べて、ヴァレリーのほうが上だったか共感するだったか、たしかそういうことをどこかで書いていた。吉田とエリオットは両者とも『建築と日常』No.3-4で大いに共感しながら参照していたから、その物言いには多少引っかかったのだけど、エリオットとヴァレリーの比較はさておき、吉田健一がヴァレリーに惹かれるのは分かる気がした。たとえば以下の文にも、過去や文化や日常や近代といったものに対するヴァレリーの認識がうかがえる。

 美術館はあまり好きではない。見事なものはたくさんあるが、居心地のよい美術館というものはまったくない。分類、保存、公益といった理念は正しいし明快だが、愉楽とはあまり関係がない。
[…]
 逸楽も道理も蔑ろにするような文明だけが、この不調和の館を建造することができたのだろう。死んだヴィジョンの数々がこうして隣り合わせに並んでいる様子からは、何かしら狂気じみたものが生じている。それらは互いに嫉妬しあい、みずからを生きた存在にしてくれる眼差しを奪いあっている。それらは四方八方から、私の不可分の注意を惹こうと呼びかけてくる。それらは、生の際立つ要所を狂ったように逆上させ、見る者の身体器官の全体をそれが惹きつけられるもののほうへと引きずり込もうとする……。

  • ポール・ヴァレリー「美術館の問題」1923年、今井勉訳(『ヴァレリー集成Ⅴ 〈芸術〉の肖像』筑摩書房、2012年)

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写真を撮りながら近所を散歩。一眼レフで撮るときはいつもだいたい垂直性を重視した建築写真的な写真になっているけれど(上の写真も微妙に回転&トリミングして、超高層ビルが垂直になるように合わせている)、一般的な建築写真が撮影者の視線を感じさせず、あたかも無限遠から対象をフレーミングしているかのような性質があるのに対し、僕の写真では撮影者の視線の存在がそれなりの意味を持っている気がする。それは必ずしも特定の対象(上の写真ならば遊具で遊ぶ子ども)を見つめているといったことだけではなくて、人間が散歩中に景色を見るときに果たしてこういうフレーム/バランスで見るかどうかとか、この部屋に入ったときに「写真を撮る」行為以外でそこをそういうふうに見るかどうかとか、そのへんの動作としてのリアリティとの関わりが大事なように思っている(そのリアリティを最優先するということではない。それは時に写真の垂直性・抽象性と対立する)。僕には「なんでもないもの」を撮って詩的もしくは叙情的に成り立たせたり、写真を現実からある程度切り離して「絵」として見せたりするセンスや技術はないので、あくまで現実の力を活かすというか、その力となるべく関係させたかたちで写真を撮るのがよいのだと思う(さいわい最近歩きまわっているこの近所の景色は被写体としてそれだけのポテンシャルを持っている)。写真における視線のあり方は、撮影後にトリミングして写真の重心やバランスをずらすことでも多少は調整できるし、それは僕にとってけっこう重要な作業だけれども、その事後的な操作には限度があるので、やはりまず撮るときにそこを的確に捉えられるに越したことはない。以下8点。

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青梅線で御嶽という駅まで行き、そこから歩いて玉堂美術館(設計=吉田五十八、1961年竣工)と青梅市吉川英治記念館(設計=谷口吉郎、1976年竣工)を訪問した。本当は先日訪れた乗泉寺(1月14日)の八王子別院(設計=谷口吉郎、1971年竣工)にも行くつもりがあったのだけど、思ったより時間が早く過ぎ、すでに吉川英治記念館に向かう途中で見切りを付けた。あまり詰め込んで観てもよいことはない。


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玉堂美術館は、吉田五十八いわく剛軟両面がある川合玉堂(1873-1957)の画風に倣い、飛騨の民家と仏教寺院を混然一体としたという大スケールの外観。立面の大きさと平面の小ささがずれとして体験され、観念の広がりを生むような印象がある。眼下の多摩川の渓流とのあいだには塀を築き、周囲の自然を借景にしている(庭園は中島健による)。渡り廊下で繋がれる別棟に玉堂の画室を再現。


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吉川英治記念館では実際に作家(1892-1962)が暮らした広い敷地の一角に、生前親交があった谷口吉郎が展示館を設計している(農家を改装した既存の母屋や洋館風の書斎、庭も管理が行き届いていて見応えがあった)。玉堂美術館とは逆に、丘の上に建てられながらも平屋で高さを抑え、複数の屋根に分節しながら建物を横に下に連続させていくという構成。谷口は渋谷の乗泉寺や東京工業大学創立70周年記念講堂(2015年11月11日)でも、傾斜した敷地においてその高所にエントランスを配し、ファサードの高さを抑えて水平性を強調しつつ、地面が低くなっている側面や裏側に建物のヴォリュームや垂直性が表れてくるようなデザインをしている。ただ、吉川英治記念館と玉堂美術館の対照的なあり方は、ふたりの建築家のちがいというより、ここでは敷地のちがいが大きいだろう。特に親交が深かったのかどうか知らないけど、谷口は10歳上の吉田五十八について何度か文章を書いている。建築として共感するところもあったのかもしれない。

 よく西洋建築で、「建築は凍れる音楽」といわれる。これはゲーテの言葉とされているが、そんなゲーテ的言辞によれば、吉田さんの新数寄屋は「凍れる長唄」といってよかろう。吉田さんの意匠には、まさしく、そんな美しさが造形的に演奏されている。
[…]
 このような藤井[厚二]さんや、堀口[捨己]さんの作家態度にくらべて、吉田五十八さんの造型は、もっと感性的だといえる。同じ日本建築の近代化であっても、学究とか、哲理というものよりも、もっとジカに、その美にホレこんで、それを手塩にかけて新しく磨き上げようとする、二十年も三十年も年季をいれた職人を使って、その職人気質を十分に活かし、更に自己の近代感覚によって一層洗練させようとする。学究的理論よりも、外国崇拝よりも、下町ッ子らしいキレイ好きのカンで、日本の京都や奈良の美を近代的に磨こうとするのが、この建築家の本領でなかろうか。

  • 谷口吉郎「吉田五十八」『芸術新潮』1954年8月号(『谷口吉郎著作集 第三巻 建築随想』淡交社、1981年)

玉堂美術館から吉川英治記念館へは歩いて1時間ほど。多摩川沿いの遊歩道がすばらしい。ちょうど今から5月くらいまでがいちばんよい季節ではないかと思う。以下、写真8点。

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古谷利裕さんが東京工業大学で国内外の小説に関する全14回の講義を担当されるらしい(2021年度/第3クォーター)。学生向けの講義があえてブログで告知されるというのは、なんらかの暗黙のメッセージだろうか。興味を惹かれるラインナップ。

ある人物がその研究対象とする故人の建築写真集をつくるという名目で非営利のアーカイヴから大量の写真を無償で借り、写真集の出版後、それらの画像データを今度は事情を知らない海外の第三者に高額で貸し出して商売を始めようとしたという話を聞いた。ふっかけられた金額を不審に思った海外の第三者がアーカイヴに問い合わせたことで発覚したらしい。モラルもリスペクトもあったものではない。その写真は「ある撮影者の写真作品」としての意味だけでなく「ある建築家の建築作品の写真」としての意味も持っているので問題はより複雑だ。
同じ人物はまた、写真集の出版目的で借りたその写真フィルムを用いて新たに無断でプリントを作成し、大胆にも写真集の刊行に合わせて「スペシャルエディション」と称して一般販売したという。こちらのほうがより明白に計画性があり、未遂でもないため事件性が高い。アーティストを肩書きにしているその人物は、自身が制作した作品については人並みかそれ以上にきっちりとコピーライトを管理しているようだから、権利関係の知識がないわけではないのだと思う。
これは単に詐欺的な手続きで盗品的なものが売られたというだけでなく、研究者然アーティスト然としたその人物(某大学の博士課程を修了しているという)が、故人である撮影者やその写真をいかにも尊重するかのように見せ、そのじつ自らの身勝手な利益のために故人の遺志を踏みにじっているという点で、より卑劣な行為に感じられる。日本の写真史でも重要な位置を占める故人はしかし、ある時期に自らの写真活動を全否定し、以降、それが自身の作品として扱われることを嫌ったのは周知のことだろう。件のアーカイヴもその故人の遺志を重んじ、公共的な利益との兼ね合いのなかでこれまで運営がされてきたのだし、写真集の制作者にもそのことは重ね重ね伝えられていたはずだ。にもかかわらず、それが作品どころか不正な手段で商品にまでされた。もし故人が生きて今回の件を知れば、激怒し深く傷ついたと思う。

たとえば法律上この件がどう位置づけられるのか、僕には定かではない。少なくとも法的には当事者同士、つまりその人物と写真の所有者・著作権者の問題になるのだろうから(「スペシャルエディション」の販売業者と購入者も関わってくるかもしれない)、その意味では僕は部外者にほかならない。けれどもこれが出版(publication)に関係している以上、単なる当事者間の権利問題を超えて、より公共的な(public)問題でもあるのだと思う。
僕がいま自分の立場で書きとどめておきたいのは、このモラルやリスペクトのなさは、出版された写真集自体にもすでに見受けられるということだ。僕が見るかぎり、上記の事件と写真集の内容とは決して別個のことではなく、表裏一体の関係にある。モラルやリスペクトがなくてもそれなりの価値が認められる本ができることはあるだろうが、本書の場合、この編者兼発行者の態度によって、写真やその撮影者がもつ意味は相当に歪められ、あるいは損なわれてしまっているように思われる。そしてこのことは上記のような法的な犯罪行為よりもむしろ影響は重大であると僕には感じられる(貸し出した写真を悪用されてしまったアーカイヴには気の毒だが、それ自体は世の中に無数にある犯罪のうち比較的ちんけな部類に入るだろうし、問題が発覚してしまえば解決はさほど困難ではないはずだ)。
この写真集が抱える問題について細かいことを挙げていくと本当に切りがなく、またそれらの一部は書評として別のところで書いてもいるので、ここでは特に本質的と思われる点をいくつか記しておくことにする。
モラルやリスペクトのなさはまず表紙のデザインに表れている。すなわち写真の撮影者である故人の名前と、編者である自らの名前を同じサイズの文字で等価に並べている点。これは出版物の内容やそこで編者が担っただろう仕事の程度からして明らかに妥当ではない(たとえば編者であるベレニス・アボットが決定的な役割を果たしたウジェーヌ・アジェの写真集でさえ両者の名前が等価に記されることなどないし、同様の形式の本と比べてもまったく例外的にちがいない。焼却を望んだカフカの遺志に背いてその遺稿を出版した友人マックス・ブロートは、その歴史的にも重要な仕事において自らの名前を大きく打ち出そうなどと考えただろうか)。また、有名な撮影者の名前と無名の編者の名前を並べて見せることは、販売促進、つまりより多くの人に手に取ってもらうための効果も期待できないどころか、極端に言って撮影者のクレジットが1/2に薄められて見えるわけだから、むしろせっかく出版する本の販売に悪い影響が予想される。にもかかわらずどうしてこうなっているのか。表紙は本の顔と言われるが、この写真集の表紙が語っているのは、何はともあれ自分をなるべく大きく見せたいという編者の欲望だと思う(もしもまともな出版社や編集者がついていたなら、おそらくこの表紙デザインは採用されなかっただろう。本書が抱える様々な問題は、編者が編集者や発行者も兼ねているという点に大きく依存していると思われる)。
このような印象は、同じ編者による巻頭言を読むことでより明確になる。詳しくは書かないが、文章を立派に見せようとする意識ばかりが前面に出て、本来あるべき説明の抜けや論理のいびつさが散見される。こうした欠陥は、単に研究が未熟だったり作文の技術が足りなかったりすることだけが原因ではないと思う。もしそれらの力が十分ではなかったとしても、書き手の根本に対象への深い興味と実感があれば、当人の能力の範囲内で、ある種の秩序と必然性を感じさせる文章は書かれえただろう。しかしこの巻頭言はそうして内的に生成されたものではなく、自身の見え方を気にして外的に繕われたものに思われる。だからかえってボロが出る。そもそも本書には編者の研究にもとづくような知見はほとんど見られないが、こうしたハッタリ的な態度自体がおよそ健全な研究というものからかけ離れている。
ひとつ重要と思える例を挙げれば、この写真集では、撮影者が建築写真を撮るとともにそれぞれの建築について書いた建築批評の存在がなぜか無視されている。たとえ本書が写真を扱う本だったとしても、同じ人物が同じ時期に同じ建築に対してなした写真と批評の行為が無縁であるはずはない(仮に無縁だったとしたなら、むしろそれこそ活動の特徴として特筆されるべきことだろう)。また、撮影者自身は写真よりも批評のほうこそ自分の仕事だと考えていたことは疑いえないのだから、一方の写真だけを持ち上げて批評の存在に触れもしないというのは、作者にとってとりわけ侮辱的なことに思われる。写真集のタイトルを思い起こしても、そこで批評の「ことば」がなかったことにされているのは極めて不自然かつ不十分、不可解と言うほかない。面倒だったのか興味がなかったのか、それとも対象にとって重要であっても自分が苦手な領域は除外したかったのか、理由は分からない。
そして本書の作業の中心とも言うべき写真の編集の仕方にも疑問は感じられる。本書の写真の並びからは、いったい編者はこれらの写真のどこに魅せられ自ら出版企画を起ち上げるまでになったのか、その関心の有り様をうかがうことができない。撮影者による建築批評のテキストを無視していることからも察せられるように、おそらく編者は写真の被写体である個々の建築には記号として以上の興味を抱いていない。とするとそれぞれの建築の作品性を外したところで写真そのものを直観的に観ることになるのだろうが、それはそれでひとつの態度だとしても、そこに一貫した固有のまなざしが感じられない。もとより撮影者が個々の建築作品に向き合うことで生まれている写真なのだから、そこを抜きにしてなんらかの有用な価値基準で位置づけようとすることには無理があるのだろう。結果、点数を絞って厳密に写真を組むことができず、それなりに多くの視点をそれなりに多くのカットで示すという消極的な編集方法になったということではないか(それにより不出来なカットや内容が類似するようなカットも拾われることになる)。写真集を商品として考えた場合、たしかにそうして多くの写真を載せることはひとつの売りになる。
しかし一方で、そのように写真を定量的に扱い、足し算的に編集をすることは、ある種の建物を情報として伝える場合には有効だとしても、一般的な建築写真における情報性や記録性への過信・盲信を批判した撮影者の建築写真にはそぐわない。1点の写真は必ずしも自律的な存在ではなく、隣接する別の写真や言葉によって様々に意味を変えるものだ。実際本書ではその弛緩した編集により、撮影者が対峙した作品としての建築の存在はぼやかされ、内容の重複する写真同士が互いの作品性を相殺するようなことが起きている、と僕には思われる(10点の写真が1点の写真の10倍の体験をもたらすとは限らない。むしろ然るべき体験を10倍に希釈するかもしれない)。
以上のようなことが編集の基本的性質として考えられるなかで、この写真集ではいくつかの部分でいかにも意味ありげな写真の構成がなされている。しかし、そのアピールを真に受ける必要はないだろう。読者が向き合うべき内実はそこにはないと思う。全体の核心を欠いたまま部分的・表面的な装飾で虚勢を張るさまは巻頭言の文章と共通し、たしかにどちらも同じ人物の手によるものだと納得させられる。
編者の認識は、たとえば本の宣伝文句にある「収録写真の半数以上が、本書において初めて発表されます」という言葉によく表れていると思う。「住宅作品をうつした写真の大半が、撮影後50年ものあいだ未発表であった」と言うけれど、多少でも写真というメディアに馴染みのある人なら誰でも常識的に分かるとおり、どんな写真家であれ、特に大判・中判ではなく35㎜のフィルムを用いている場合、撮られた写真の大半が発表されないのはごく当たり前のことだ(とはいえ厳密に調べたわけではない僕が知るかぎり、この写真集に掲載されている建築17作のうち少なくとも12作の写真は過去になんらかのかたちで発表されているし、発表されなかったものも、撮影者の自宅である1作を除いては、ただ単に発表されるには至らなかったというだけで、そこにことさら特別な理由があったとは思えない。この撮影者には、撮った写真はすべて作品化して自身の業績としなければならないという職業的な写真家の強迫観念はなかった)。
そもそもある人がシャッターを切った写真、プリントした写真をすべてその人の作品と認めることには困難を感じさせる。それらの写真はあくまで作品未満の素材、あるいは使われない可能性も含んだ素材候補のようなものではないか。だとするなら、それら未発表写真を撮影者の作品として他者が発表することには、どれだけあっても十分とは思えない作品への深い理解と大きな責任を必要とする。未発表写真の数を得意気に売りにするような物言いには、そのことに対する恐れが感じられない。しかも本書ではそれらの未発表写真をかつて作品化された写真と区別せず一緒くたにしているのだから、やはり写真の創作に対するモラルやリスペクトは欠落している(まず実際にどの写真がすでに発表されているのか、研究の初歩的な作業であり地道に調べれば分かることを、この編者がきちんと把握しているかどうか定かではない。本書にはそれらの写真が生きた存在証明とも言うべき過去の掲載媒体の記載がない。初出情報を示さないということは、当時においてそれらの写真がどのような媒体でどのように発表されたかという重要な事実から読者を断絶させるというだけでなく、それらの写真が世に出ることに関わった存在、つまりその仕事がなければ今の自分の仕事もないかもしれない過去のメディアや編集者などを尊重する意志も持ち合わせていないということだ。
いったいこの編者は自らの仕事をことさら自分の手柄として見せるために、先達の営みを切り捨てるきらいがある。たとえば写真集の宣伝文などにおいて、今回の編集対象の写真を自分が「みつけた」と表現している点。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したとき、たしかにそれまで西洋世界でその大陸は「見つかっていなかった」だろう。けれども故人の建築写真はこの世界で「見つかっていなかった」のか? まさかそんなことはない。数十年ものあいだそれぞれの所有者によって大切に管理されてきたはずだし、そのことは建築その他の出版メディアや美術館などにも当たり前に知られており、機会があるごとに貸し出されては、この編者を含む一般の目にも触れていたのである)。

以上、写真集について長々と書いたことは冒頭の事件の印象を弱める盛大な蛇足に思われるかもしれない。僕自身の主観的な考えをさらしてしまってもいるだろう。しかしそれでも書かずにはいられないことだった。
この写真集には撮影者の仕事の側面と編者の仕事の側面の両方がある。ふつう一冊の本はその統合をめざすものだが、ここでは両者が明確に分かれている。撮影者の仕事の側面を考えたとき、かつての写真がいまあらためて出版されたことの意義は(故人が望まないことだったにせよ)否定できない。この写真集によって、収録された写真や建築に新たに興味を惹かれる人もいるだろう。なんらかの思考や行動が触発されることもあるかもしれない。しかしその出版の意義を認めようとすればするほど、それを実現させたはずの編者の仕事が同時に、その意義に反するもの、それらの写真や故人の活動を貶めるものに思えてしまう。


【追記】上記の文章をnoteに再掲しました。(2021年5月28日)
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