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台風一過の朝。空気が澄んで、光がきれいだ。近所では恐れられていたほどの被害はなかったようで、折れた傘を何本かと、くたびれた感じのハトを見かけたくらいだった。以下、写真3点。

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金沢旅行2日目(10月4日)は朝から強い雨。みぞれのようにも見える。ホテルの部屋で外の様子をうかがいつつ、コピーしてきた建築の資料から目についた言葉を拾って発したツイート。


金沢に来て行かないわけにはいかないと思って行った兼六園も、とても落ち着いて観ていられる感じではなかった。
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金沢初日の夜は、ホテルから鞍月(くらつき)用水沿いを歩いて夕食を食べに行った。橋詰めに建つ木造家屋を改修したお店で、通りを見下ろす2階の大きな窓からの眺めがとてもよかった。道行く人も、地元の人と旅行者、日本人と外国人とがほどよく混じり合い、開放性を湛えている。飲んで食べた後、ほろ酔いで歩いて帰る水路沿いの道のりもまたよい。金沢でしかありえない体験ということもないだろうけど、都市の豊かさを感じさせる。以下、写真2点。

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前にも訪れたことがある《金沢21世紀美術館》(設計=妹島和世+西沢立衛/SANAA、2004年竣工)は2日目に行こうと思っていたのだけど、ちょうどホテルに向かう途中にあり、まだ日も落ちていなかったので、すこし立ち寄ってみた。結局、翌日は本格的な雨になったので、もっとちゃんと写真を撮っておけばよかったと思う。とくに建物の全体像と周辺環境との関係が見て取れるような遠景写真。
いくつかの建築を観たなかでもっとも心を惹かれたのが《金沢市立玉川図書館》、と最初(10月3日)に書いたけれど、やはり《金沢21世紀美術館》は現在の金沢にとっておそらくもっとも重要な建築であり、現代を代表する建築のひとつなのだと思う。今となってはこの敷地に他にどういう建築が可能だったか、想像することが難しい。以下、写真6点。

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鈴木大拙館を後にして「金沢くらしの博物館」へ。旧石川県第二中学校本館(重要文化財、設計=山口孝吉/石川県技師、1899年竣工)を活用した博物館。「昭和のこどもと遊び」という展覧会が開催中で(〜11/17)、ここで見なければこの先の人生で一度も見ることも思い出すこともなかったと思えるような、個人的に強い懐かしさを感じさせるおもちゃも並べられていた。
この「金沢二中」は谷口吉郎の母校らしい。谷口の家があった「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」からずっと歩いてきたので、実際のルートは違うとしても、100年ほど前、10代の谷口は毎日こういう道のりを学校まで通っていたのか(Googleマップで現在の最短距離を調べると2.2km)という感慨を覚えた。その過去に対する想像のリアリティは、現実の建物から与えられる「谷口はこの校舎を使っていたのか」という想像のリアリティよりもなぜだか強い。

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金沢旅行1日目。《鈴木大拙館》(設計=谷口吉生、2011年竣工)。これはむしろ街との断絶、建築の自律性や超越性が、プログラムとして積極的な意味をもつ建築だろう。谷口吉生の作家性が存分に活かされていると思う。鈴木大拙のことを多少でも知っておいたほうがよいと思って(柳宗悦関連でも気になっていた)、『日本的霊性』(岩波文庫、1972年)を買っていたのだけど、読むのが間に合わなかった。ただ、この建築のあり方を鈴木大拙の思想のあり方と厳密に結びつけようとしたり、この建築の(いかにも意味ありげな)意匠の謎解きをしようとしたりする必要はあまりないのではないかと思う。もし近所に住んでいたら、たまに気が向いたときに訪れて、ぼんやりと時間を過ごしたいような建築。

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吉田健一の小説『金沢』(河出書房新社、1973年)で描かれる主人公の家も犀川越しに金沢の街を望めるようなので、あるいは谷口吉郎が暮らした家(現在の金沢建築館)と近い位置が想定されているのかもしれない。吉田健一はいわゆる近代的な建築をあまり好ましく思っていなかっただろうけど、それが人々の生活にとって必要なものならば、風景として許容する大らかさがあった。

その木の間から見えたり木よりも高く建ったりしている建物の凡てが昔からの木造ではなくて放送用の塔を付けた洋風の建物もその中にはあったが、それが前からそこにあったものと眼が納得して犀川とその対岸の景色が一つのものに受け取れるのは金沢に住むものがそういう建物も必要になったので建ててそれを使う気持もそれを見る眼も自分達が住んでいる家に対する時と同じである為に違いなかった。大体が人間が自然の中に自分が住むものを作ってその住処と廻りの自然が一つになるのはその両方を自分がいる場所と見ているからで用もないのに最新式というような観念に取り憑かれて何か作れば自然は顔を背ける。

  • 吉田健一『金沢』河出書房新社、1973年、pp.39-40

[…]一つの町が変らずに一つの場所でその町であるのは伝統とか何とかいうことに説明を求めなくてもそこに住む人間の生活の問題であり、これは逆に伝統とか何とかいうのはその場所に住んでいる人間の生活に求めなければならないということである。或る町が落ち着いて人間が住めるものになるまでにどれ位の変化と努力と時間の経過が必要であるかは落ち着いてしまえばその変化や努力は忘れられるのであるから確かなことは言えない。併しそこにその町の金沢ならば金沢の歴史があり、それを知ることでその歴史が生きたものになる。

  • 吉田健一『金沢』河出書房新社、1973年、pp.6-7

谷口吉郎も建築家の作品と街の建物とを断絶させることなく、それらを人々の生活の地平で統合的に考えていたところは吉田健一と共通すると思う。ふたりにとって現在の金沢の街並みが許容できるものなのかどうかは分からないけれども。

だが、そんな建築も、それは建築家のみによつては實現されない。それには「設計者」のほかに、その居住者である「建築主」と、それを工事する「施工者」とを必要とする。この點で、建築は、繪や彫刻とも異なる。繪や彫刻ならば、作者が、ひとり、アトリエの中で精進すれば、とにかく未完成であつても、作品は形成されていくが、建築はそうはいかない。紙の上に描かれた製圖は、設計圖に過ぎなく、決して建築物とはいい得ない。
故に、建築の造形は、建築家のほかに、それを建てる人人の参加を必要とする。
從つて、人間の生活環境が美しくなるためには、明るい意匠心を持つた多くの建築家とともに、建築を愛する人人の参加協力を必要とせねばならぬ。美しい郷土は、多くの人人が心を合せて作つた協同作品である。
そんな意味で、私のつたない文章が、一人でも「建築を愛する人」を増すことができれば、それこそ幸である。この愛情によつて、環境や郷土の美しい建設が少しでも増進すれば、それこそ望外の喜びと言わねばならぬ。

  • 谷口吉郎『清らかな意匠』朝日新聞社、1948年、pp.284-285(あとがき)

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金沢旅行1日目。犀川を越え、高台にある《谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館》(設計=谷口吉生、2019年竣工)へ。谷口吉郎が暮らした家の跡地だという敷地は、そこそこ車通りのある坂道の途中に位置し、裏手側から犀川越しに金沢の街を見渡すことができる。金沢に点在する谷口父子の建築を統合するような施設ができたことをまずは喜びたい。開催中の開館記念特別展「清らかな意匠──金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界」(〜2/16)も、谷口吉郎の活動の全体像を描くような内容。
展示(常設)の目玉である《迎賓館赤坂離宮 和風別館》(設計=谷口吉郎、1974年竣工)の広間と茶室の再現は、新築の建物にぴったりとはまり、むしろこの谷口吉郎の代表的な仕事を見せることを核にこの建築が設計されただろうことを窺わせる。ただ一方で、再現部分は立入禁止となり、元の建築の環境や文化や体験からは切り離されているので、この展示は自ずと部材の組み立て方の洗練や素材・施工のよさなど、物質的・視覚的なところが注目されることになると思う。それ自体、たいへん見応えがあるとしても、谷口吉郎の建築を捉えるには欠落が多いことにも注意する必要があるかもしれない。
おそらく谷口吉郎がいう「清らかな意匠」(3月22日)というのは、以下、『建築と日常』No.5()で抜粋した吉田鐵郎の文章で書かれる「ただの水」のようなものだろう。しかしここでの扱いは、どちらかというと「蒸留水」に近い気がする。それは水盤越しに現在の金沢の街を見渡す眺めをあえて木々で遮っていることが象徴しているかもしれない。

純粹なものがいい、いや複雜なものがおもしろい、とふたりの男が論じあつて、たがいにゆずらない。あげくにひとりがいつた。
『とにかく、僕は純粹なものがいいなあ。ちようどすきとおつた水のような……』
すると、ひとりが念をおす。
『それぢあ、蒸溜水ならなおさらいいわけだね』
『いや、そうぢあない。ただの水だよ。蒸溜水は、純粹は純粹だろうけれど、味がない。純粹といつたつて、乾燥無味ぢやこまるよ。微妙な味がなくちやね……』
『それぢあ、純粹といつても複雜なところもあるわけだね』
『……なるほど、そうか』
そこでふたりは顔をみあわせて樂しそうにわらつた。

  • 吉田鐵郎「くずかご」『建築雜誌』1950年3月号

以下、写真2点。

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金沢旅行1日目の続き。次に中心市街地のほうまで歩いていき、《日本基督教団金沢教会》(設計=香山壽夫建築研究所+進藤圭介建築研究所、2002年竣工)を訪れた。敷地の斜め前、4本の道と小さな公園が集まる都市のヴォイドのほうに礼拝堂のボリュームを置いて教会の存在感を示しつつ、建物の向きは前面道路に正対させ、左右対称のオーソドックスな教会建築の形式を成り立たせている。全体として奇抜に主張するようなところがなく、敷地環境に対応しながら教会建築の伝統を踏襲するとともに、素材や構造、色の扱いで、軽やかな現代性を漂わせてもいる。街中に建つ現代の教会のあり方として、たいへん好感を持った。以下、写真4点。

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金沢市立玉川図書館の近所にある《金沢市西町教育研修館》(旧石川県繊維会館、設計=谷口吉郎、1952年竣工)。RC造だが、金沢の多雨を考慮して勾配屋根が載せられ(この日も降ったり止んだりの変な天気だった)、柱もタイル貼りの外壁の外には露出させず、窓にはすべて庇が付けられている。1階がセットバックしているのは冬の積雪を想定してとのこと。それぞれのデザインは機能主義的に説明されつつも(谷口吉郎「雨と糸」『建築文化』1953年5月号)、その総体としての外形もまた魅力的なプロポーションを備えている。
勾配屋根は一見して日本建築との関連を思わせるけれど、上記の解説文で「スイスのように雨の多い國では、鐵骨や鐵筋コンクリート構造のモダーンな小學校に、わざわざ木造の勾配屋根を取りつけている所さえある」と書かれてもいるので、金沢の風土は意識しているとしても、別段「日本的なもの」を狙っているわけではないのかもしれない。この外観はどことなく大江宏による「国史館」計画のスケッチ(1938-41年頃)を思い起こさせる(2015年3月13日)。『建築と日常』No.3-4の購入特典として制作したポストカードに用いたスケッチで、それは当時何人かの人から、アルド・ロッシのスケッチによく似ていると言われた。
内部は昔は茶室や露地、撞球室などもあったようだけど、今はだいぶ変わっているらしい。ホールに吊された折鶴型の照明は竣工当時からのもの。