村野藤吾『建築をつくる者の心』(なにわ塾叢書4、ブレーンセンター、1981年)を読んだ。長谷川堯がコーディネーターとなり、当時89歳の村野藤吾(1891-1984)を一般参加者十数名(建築関係者が多い)が囲んで行われた講話、全4回の記録。ただ、村野の人柄は伝わってくるものの、言葉の意味が取りづらい個所も多く、具体的に村野の作品の質を解き明かしてくれるような感じはしない。村野の建築に馴染みのある人ならば、最晩年の滋味深い言葉として、もっと響いてくるものがあるのかもしれない。

現実には、様式はもうないんですけどね。[…]様式も近代建築もない。そういうことを意識したことはありません。
 現実には、筆を下ろした時が、その瞬間が……、それ以外ないわけです。問題に取り組んで、その問題と対処した時に始めて答えが出てくるわけです。だから、それを第三者が近代建築とか様式とか言ったりするのだと思います。あまり学問がない方がいいような気がします。(p.17)

 というのは、私が小さい時の話ですが、田舎ですから、隣近所が、夏になると皆水を打つわけです。私の母親は、必ず水を打たせてから、子供を学校へ行かせる。
 その水を打つ時、自分の前だけでなく、両隣り、お向いに打ち、皆水を打たないと自分の家に水をまいた気がしない。美しくないということです。[…]建築家になれる資質というのは、あるいはそういうところじゃないかと思います。(p.117)