noteに「思い出すことは何か」(約4000字)をアップした。編集を担当した『建築のポートレート』(写真・文=香山壽夫、LIXIL出版、2017年)の巻末に「編集者あとがき」として掲載された文章で、香山先生の写真を解説しつつ、建築家が撮影した建築写真について論じている。LIXIL出版の廃業によって、いずれ『建築のポートレート』()も手に入りづらくなると思うので、今のうちに興味を持ってもらえたらありがたい。
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「思い出すことは何か」では香山先生が若い頃に撮った建築写真について、その建築の意味をあらかじめ理解して構図を決めたというより、「若者の直感によってまず撮影され、その写真が事後的に、若者に建築家としてのまなざしを与えた」のではないかと書いた。この「理解が先か写真が先か」問題は、この前の「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」()でも取り沙汰された(が話はあまり深められていない気がする)。多木浩二の建築写真は、一般の記録的な建築写真に比べれば明らかに、写真が事後的に意味を生成するところがあると思う。しかし一方で、建築の写真を撮るにはまず建築を見なければならず、多木さんにとって見ることは読むことでもあっただろうから、知性の導きなく感性の趣くまま撮ったとも考えにくい。実際の写真の主なものを見ても、なんの知的な見通しもないまま撮れる写真ではないように思える。それに比べると香山先生の写真はより保守的で、日常に根ざしている。