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箱根で宿泊した《ザ・プリンス 箱根芦ノ湖》(旧箱根プリンスホテル、設計=村野藤吾、1978年竣工)。ここはやはりiPhoneではなく一眼レフによる写真が主になった。一眼レフのほうが空間の奥行きを捉えるのに適していて、一眼レフが「視線」だとすると、スマホは「視面」という感じがする。以下、写真10点。

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これもiPhoneで撮った写真。右手前にザ・プリンス 箱根芦ノ湖(旧箱根プリンスホテル、設計=村野藤吾、1978年竣工)、奥に芦ノ湖とさらにうっすら富士山。朝日に照らされ、山と湖が金色に輝いている。水平垂直は一眼レフで撮る写真に近いけれど、画角の広さや明暗の捉え方(どちらかが完全に飛んだり潰れたりしない)はスマホならではかもしれない。ただ、iPhoneと一眼レフの両方で写真を撮ろうとすると、どちらにも集中できなかったり、自分の体験が疎かになったりしてしまう感じもあって、そこは本末転倒にならないように気をつけたい。そういえば昔、フィルムカメラとデジカメの両方を持ち歩いていた時期にも同じような感じがあった。両方の機材でとりあえず「押さえておく」という感じ。宿泊したザ・プリンス 箱根芦ノ湖の写真は、また日を改めて載せることにする。

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1泊2日で箱根へ出かけた。同一県内での普通列車の旅。今日は午前中から岡田美術館、箱根美術館、ポーラ美術館を回り、ザ・プリンス 箱根芦ノ湖に宿泊。
上の写真は夕暮れ時の芦ノ湖。ふだん写真はネットにアップする前に色調や傾きを補正したりトリミングしたりして、いちおう自分が納得してから出したいのだけど、一方では現地で撮ってそのままライブ的に人に見せたいという気持ちもある。今回、いつもの一眼レフとは別にiPhoneでカメラアプリ(Dazz)を用い、あえてラフにエモく撮ることで(それをそのままツイッターに載せることで)、ふたつの思いが両立することとなった。iPhoneで撮ることは一眼レフで固定化しかかっている自分の写真の撮り方を崩す意味でもいいような気がするし、場合によって一眼レフよりも対象をうまく捉えやすい。日付が入っているのがiPhoneで撮ったもの。

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多木浩二の肩書きを書くべきとき、どうしたらよいかいつも困っていた。ウィキペディアだと「美術評論家・写真評論家・建築批評家」となっているけど()、どれもあまりしっくりこない。ご本人が「雑学者」を自称しているからといって、他人が文脈もなしにそう記すわけにもいかない。

私は自分を哲学者とか、美術史家とか、建築評論家とか、写真評論家とか、なにかの肩書きでは示すことができない。それは編集者が、著者のプロフィルを書くときに、さまになるように勝手に付けているにすぎない。

  • 多木浩二『雑学者の夢』岩波書店、2004年、p.1

しかし上のように書いておきながら、じつは多木さん自身がその数年後の森山大道論で「私は哲学者であり文化の研究者である」と書いているのを今回色々と資料を読み返していて知った(「都市の神話」『森山大道論』淡交社、2008年)。とはいえこれも「自分は写真評論家ではない」ということを説明する一節ではあるのだけど、まあ実際に妥当なところだろうと思い、書評でもこの言い方をアレンジして用いた。下は、今たまたま読んでいた本で哲学の説明として書かれている文。

哲学者(philosophos)というギリシア語は、学者(sophos)と対立する言葉であって、知識をもつことによって知者と呼ばれる人と異なり、知識(知)を愛する人を意味する言葉であります。[…]哲学の本質は真理を所有することではなくて、真理を探求することなのであります。哲学とは途上にあることを意味します。

  • カール・ヤスパース『哲学入門』草薙正夫訳、新潮文庫、pp.15-16

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ホンマタカシ監督・撮影『建築と時間と妹島和世』を渋谷のユーロスペースで観た。2018年竣工の《大阪芸術大学アートサイエンス学科棟》の建築の過程を定点観測的に捉えたドキュメンタリー(製作=大阪芸術大学)。妹島さんが設計を進めていくときの雰囲気が感じられる。

録画しておいた『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982)で、京都の河井寬次郎記念館(2016年2月29日)が舞台になっていた。寅次郎と意気投合した陶芸家・加納作次郎の陶房兼住居として、わりとたくさんのシーンで出てくる。すでに記念館としてオープンしてから10年近く経った後だけど、映画の物語のなかで生活の場としての雰囲気がうかがえる。映画自体は前にも観ているけれど、そのときは河井寬次郎を知らなかった。丹後半島の舟屋の景色も見どころ。

『建築と日常』No.5では、陶芸家の河井寬次郎(1890-1966)が自ら設計した京都の自宅(現・河井寬次郎記念館)をめぐり、坂本一成先生にインタヴューした。伝統的な家屋に見えながら、モダニズム的でありポストモダニズム的でもあるその魅力。
richeamateur.theshop.jp

写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)の書評執筆をきっかけに、下記のトークライブを企画しました。詳細はリンク先にて。

多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵
大村高広×塩崎太伸×長島明夫
11月15日(日)19:00〜オンライン配信

話者の一人、大村高広さんがご自身のブログにアップした告知文。

「多木さんの写真は好きで、やっぱりすごいなと思います」という大橋富夫さんの言葉(『建築雑誌』2010年7月号)も、書評の引用候補にしていた。同時代の建築写真家で多木浩二の建築写真を表だって褒めている人を他に知らないけれど、プロとしての自信に裏打ちされた、大橋さんらしい実直な言葉だと思う。
下の文は、その大橋さんが亡くなったとき、『住宅建築』2018年2月号の巻末に編集部のクレジットで載った追悼文の一節。

「あんた、写真上手いね」。よく大橋さんは皆さんの写真を褒めていました。「自分はプロだからいつも80点の写真を撮らなければいけない。だけど君たちは0点のときもあるけれど、300点の写真も撮れるんだよ。羨ましいよ」と。

あえて関係づければ、多木浩二は「建築写真」のセオリーから外れたアマチュアリズムの実践として、この300点の写真を狙っていたと言えるのではないかと思う。

以下、多木浩二が建築写真を撮っていた当時の建築界の写真認識の例として、書評の引用候補にしていた言葉(結局文字数が多くなりすぎて、ぜんぜん入らなかった)。どちらも『Commercial Photo Series 建築写真・表現と技法』(玄光社、1978年)より。書評では多木浩二の建築写真と対照的な言葉として位置づけるつもりでいたけれど、それぞれ今でも一理あると思う。

しかし、社会的に及ぼす影響を考えてみると、写真の方が現実の建物より良いというのは、やはり問題があると思います。

  • 前川國男「スポンターニティが息ずく生活空間を求めて」

つぎに建築写真のコピーライト、著作権の問題ですが、それが建築家にあるか写真家にあるかは、明らかにしておかなければならないことだと思います。まず本質的には建築家にあると私は思います。

  • 丹下健三「限られた時間と空間を切り取ることの難かしさ」

上記のうち、前川國男の発言は常識的に分かりやすいけれど、建築写真家の著作権を軽視するような丹下健三の発言に対して「今でも一理ある」と言ってしまうのは誤解を招くかもしれない(現在の日本では基本的に建築写真の著作権は撮影者にある)。もちろん、丹下健三の建築を撮影した平山忠治や石元泰博や村井修といった人たちの写真に著作権を認めたくないというわけではない。
僕が思うのは、たとえば極端な話、今日のSNS上で「代々木体育館やばい」「エモい」みたいな言葉に著作権が認められることはないのに、それと同レベル(?)の写真には、それが写真であるだけで著作権が認められるのはなんとなく変な気がする、みたいなこと。
また、一般に絵画の写真(複写)は画家のクレジットのみが表記され、撮影者の著作権は認められない(技術的な創意工夫もあるはずなのに)。それが建築写真になると建築家の著作権は一様に認められなくなり撮影者の著作権だけが絶対的にある、というのはなんとなく変な気がする、みたいなこと。
法律としての著作権は社会的に妥当なところで便宜的に定められているのだろうから、べつにその是非を問題にするようなつもりはない。ただ、建築写真の著作権はこういう矛盾も含みながら便宜的に成り立っているものだということは、少なくともそれに仕事として関わるなら認識しておいたほうがいい気がする。
ちなみに同じ『Commercial Photo Series 建築写真・表現と技法』で多木浩二は「日本の建築写真家では平山忠治さんの存在が重要でしょう」と言っているけれど、その平山忠治の本を読むと、丹下健三は建築写真の著作権に対する意識が薄く、「何度もけんかになった」と書かれている。またその反対に、写真家に配慮する「前川さんはさすが」とも書かれている(『眼の力・平山忠治』建築家会館、1996年、pp.50-51)。

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写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)の書評を寄稿した『住宅建築』12月号が発売になった。

本文3200字+註2000字ほどで、タイトルは「若気のいたりで撮られた写真」。2年前の『雪あかり日記/せせらぎ日記』(谷口吉郎、中公文庫)の書評()が同じ誌面で約3500字だったので、そのおよそ1.5倍の文字数になる(依頼は前回と同じく3000〜3500字)。他の資料からの引用が必要な個所や、書評の筋と離れたところで断片的に指摘しておくべきことが多く、分量が膨れ上がってしまった(註にできる部分は註に回し、その註の文字を特に小さくするなどして無理に誌面に詰め込んでもらっている)。それでも多木浩二の写真そのものについて深くは論じられなかったという思いが残るけれど(そもそも写真集の書評なのに写真図版がない)、とりあえずこの写真集を読むための基本的な視点は提示できたのではないかと思う。担当の編集者は、この書評を読む前と後では写真集の受け取り方がだいぶ変わるのではないかと言ってくれた。

『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)の書評として、多木陽介さんが下のように書かれている。

 例えば、それが撮影者の意図であったかどうかは別として、明らかに写真によって建築が比喩化されている例として、実際には建築を撮っているのに、父の先出の講演にも出て来るオリヴァー・ボバーグの作品のように、建築を模した模型か舞台セットを作って、それを本物らしく撮ったかのように見えるものがあるのだ。殆ど抽象的な空間の中に、かろうじてそれが「家」だと思えるように、椅子等最低限の家具が舞台装置のようにセットされ、時には本物らしさを増すために撮影者自身の人影まで導入する、そんな演出の下でリアリティとシミュラークルの境界に戯れるかのように。

  • 多木陽介『「家」ではない建築たちの写真──『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』刊行に寄せて』建築の建築、2020年

僕自身は多木浩二の建築写真を見て「模型っぽい」と思ったことはこれまでなかったけれど、言われてみると確かにそう見えなくもない(ただしそれを多木の建築写真の特徴とするには、同じ建築を同様のコンディションで撮った他の撮影者による写真が「模型っぽくない」ことを確認する必要があると思う。建築写真も建築模型も、実物の建築を縮減して写すという意味では同等の行為を前提にするので、どこかしら類似した印象を抱かせるのは不思議ではないかもしれない)。
しかし、多木浩二自身が意図して建築を模型写真のように撮ったということは、特定のカットで例外的に行われた可能性は否定できないとしても、おそらく基本的にはない気がする。多木の建築写真が他の建築写真と比べて特に模型写真のように見えるとすれば、それは多木が人より強く建築を抽象化して捉えていたためではないだろうか。つまり実物のディテールやテクスチャーを写すことは重視せず、空間構成や部材の組み合わせ方に主眼を置けば、それらはとりわけ建築模型で表現される要素なので、結果として模型を写したような印象を与えることもあると言えるかもしれない(実際の建築の空間よりも写真としての構図を優先させたような写真も、建築の体験的視点や撮影者の身体性から離れるという意味で、模型の印象に近くなるかもしれない)。そして一方では、撮影対象である篠原一男の建築が、そうやって多木に建築を抽象化して見る視線を要請したとも言えると思う。
そういえば『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』に磯崎新の建築を撮った写真を載せることはできなかったのだろうか。収録された4名(篠原一男・坂本一成・伊東豊雄・白澤宏規)の建築の写真と同様に、もし磯崎さんの手元に多木さんが撮った建築写真が残っていて、それを今回の写真集で借りられていれば、その効果は大きかっただろう。磯崎新の建築は篠原一男の建築と並んで初期の多木浩二にとって決定的に重要なものだったし、単に写真集の総量が増すというだけでなく、「篠原スクール」として括られる上記4名の建築を相対化するものとして、より多面的に「多木浩二の建築写真」の実体を示すことになったに違いない。また、多木が撮影した磯崎の建築は他の4名の建築と異なり住宅ではないので、その意味でも多木の建築写真の広がりを示し、なおかつ多木の建築写真を『生きられた家』(初版、田畑書店、1976)と絡めて語ることに対して一定の慎重さを求めることにもなったと思う。

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芦藻彬『バベルの設計士』(上巻、実業之日本社、2020年)を読んだ。古代メソポタミアを舞台にした建築の物語で、著者は東京工業大学の建築学系の大学院生。リンク先のインタヴュー記事で、本棚に篠原一男の本に挟まれて別冊『多木浩二と建築』()が見える。

今後どういう進路になるのか知らないけれど、領域をまたいだユニークな仕事を期待したい。