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写真を撮りながら近所を散歩。上3点、どれも壁面の構成やプロポーションに特徴がある家。ただし、写真に撮ることでその特徴が濃く見えるようになるか薄く見えるようになるかは定かではない。撮影者である僕自身は、やはり実物を見ているだけあって、写真ではそれぞれの印象は相対的に薄くなりそうなものだけど(たとえば一番上の写真の家は、縦長のプロポーションが現地ではもっと際立っていたような気がする)、現地では他に視界に入ってくる家々との微妙な違和感として知覚されたその家の特徴が、写真ではより客観的・分析的に見えてくるということもある(3つめの写真は、撮ったときには外壁の構成は特に意識しておらず、それよりも光が照らすさまに目を引かれて撮影した)。
こうした家の特徴は、僕自身はどちらかというと好ましく思っているわけだけど、それぞれの家に住んでいる人にとっては必ずしもそうではないかもしれない。というか別にふだんは良くも悪くも思っていないかもしれないが、見ず知らずの他人に興味本位で写真を撮られたりするのは快く思わないというのが普通かもしれない。だからこちらとしては、せめてなるべくちゃんとした写真を撮りたい。いかにも雑に撮ったという感じがうかがえるものや、皮肉っぽく見えたり馬鹿にしているように見えたりするものは、少なくともネットで公開することは避けるようにしている。これは建築家の住宅やハウスメーカーの住宅でも変わらない。現実の建築の存在は、作品や商品としての枠組みに収まらない意味をもっている。
しかし本来の性格としては多分に皮肉っぽいところがある僕が、写真でそれを表現したくないと思うのは、建築に対する上記のような認識が作用しているというほかに、そもそも写真という表現媒体のもつ曖昧さが皮肉には向いていないということがあると思う。たとえ写真に皮肉を込めたとしても、その写真に付随する文字や文脈がなければ、その表現はどうしてもぼやけてしまう。皮肉は鋭さが命だ(あんまり鋭いと、切られた人は切られたことに気づかず、周りの人にだけそれが見える)。やはり皮肉はより細密に意味内容をコントロールできる言語という媒体に向いている。
以下、写真2点。

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写真を撮りながら近所を散歩。上の写真は、先にツイッターで投稿したときにはピンクのやつ(?)がより左右の真ん中に来るように、写真の左側(と天地)をすこしトリミングしたのだけど、ここでは思い直してノートリミングにした。草花の遍在性や多様性と、構図の中心性や視線のあり方とのバランス。まあ、印象はたいして変わらないかもしれない。
この写真の画面左の葉っぱのように、主となる被写体の手前につい何かを入れてしまうという癖が僕にはあるけれど(画面を重層化して奥行きを出したり、主となる被写体を相対化したり、画面に入りきらないその場の環境のあり方を示唆したりしたいのだろうと思うけど)、それをあえてしているとは思われたくない。たとえば「もうちょっと右に移動して撮ればきちんと全体が写りそうなのに」と思われてしまわないようにしたい(ということは、僕が誰か他人が撮った写真を見てそういうことを感じる場合があるということだけど)。あくまで自然なかたちで。そもそも写真を撮ればそういうふうに撮れるという景色自体を好んでいるということもあるのだろうと思う。以下4点。

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写真を撮りながら近所を散歩。上の2点は午前11時過ぎに撮影した。透明感の強い光。それがどこまで写真に反映されているか分からないけど、この場所を写したのはこの光の影響が大きいと思う。べつの時間帯だったら撮らなかったかもしれない。やはり午前の光には魅力がある。写真を抜きにした絶対的な魅力だけでなく、一般に建築写真は午前中に撮られることが多いようだし、ある種の客観性をもって空間の構造を抽象的に捉えようとする写真には、午前の光が具合がいいようにも思われる。
ただ一方で、写真があまり光に左右されるのもどうかという気がする。写真はphotography(光で描かれたもの、光画)であり、根本的に光に左右されるものだけど、実際の物や空間は、朝も夜も晴れの日も曇りの日もそこにあるわけで、特定の「良い光」にこだわって撮ろうとするのはどこか偏っている感じがして引っかかる。夕方や夜ばかり撮るのだったら、それはそれでそういうテーマとして理解できるものの、晴れた日の午前の光はそれ自体がテーマになるというよりは、あくまで被写体をよりよく写すための照明のような意味が強いように思われるので、リアリズム的には、どんな光であってもそれ相応の写真が撮れたほうが望ましい気がする。

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写真を撮りながら近所を散歩。今日はあまり写真に集中できず、撮影したのも10点ちょっとと少なかった。いい加減に撮ってしまったなと思っていたのだけど、上の2点にはそういう撮影時のテンションの低さはうかがえず、むしろいつもより肩の力が抜け、うまく撮れているようにさえ見えるかもしれない。どちらもノートリミング。

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写真を撮りながら近所を散歩。まえに書いた(2月28日)早渕川沿いの道。「写真に写した家はしばしば現実で見たよりも強く存在感をあらわすように思われる」(4月24日)というのは、たとえば上のような写真において。とりあえず僕が撮っているかぎりでは、あまり規模が大きくない建物に対して、標準から望遠のレンズを用い、ある程度距離をとってきちんと垂直になるように撮影すると、「それがそこに在る」という存在感が出る、と言える気がする。これはかなり安易なレベルでの話だけど、たぶんこの方向の先(?)にはウォーカー・エヴァンス(2017年2月11日)やベッヒャー夫妻がいるのだろうとも思う。この辺のことについて、多木浩二は次のように述べている。

 私を含め、建築と写真とを向かい合わせながら考える人間にとって、もっとも面白いのは、建築は、写真が登場する以前は必ずしも「見られるもの」ではなかったという点です。建築の周囲をまわり、中に入り、あるいは触ることはあっても、建築は必ずしも視覚的に「見られるもの」ではありませんでした。ところが写真が登場したことによって、建築は「見られるもの」あるいは「見えるもの」として存在し始めたのです。建築は視覚的形式をもつようになったのです。
 巨大な建築の全貌は、なかなかとらえにくいものですが、写真に撮られることによってそのイメージが縮小され、一方、人間にとっては、小さく縮小されたものの方が視覚的に知覚しやすいということによって、認識や知覚の違いが起こったのです。これについてはヴァルター・ベンヤミンも記しています。建築それ自身を目で見るよりも、建築写真を見る方が建築を認識しやすい理由は、結局、この「縮小」に鍵があります。

  • 多木浩二「建築と写真」『建築と写真の現在』TNプローブ、2007年

写真の登場以前には建築は必ずしも「見られるもの」ではなかったというこの指摘は、いまだにどう捉えていいのかよく分からない。例えばパルテノン神殿やピラミッドなどのまさしく建築を代表するような建築は、その存在の本質的なところで「見られるもの」だったのではないかと思うし、それらがなんらかの視覚効果を考慮して造られたことは明らかだろう*1。だから多木さんがどういうつもりで言っているのか定かではないのだけど、ともかくその部分はいったん棚上げし、同じ文章のなかで「何でもない建物が、写真に撮られることによって、誰にとっても普遍的な形で存在するものとして浮かび上がってきています」と、ウォーカー・エヴァンスなどの写真を例に述べていることについては、自分でも「何でもない建物」を写真でよく撮るようになり、たしかに実感するようになってきた。
おそらく写真におけるこうした「縮小」や「普遍化」の行為は、人間が言葉を生みだしたり地図を描いたり何かをコレクションしたりすることに通じる根源的な性質(抽象や超越への指向)を持つのだと思う。撮っていても、ある種の(ささやかな)快楽がある。しかしそういう写真ばかり多く撮っていると、それらの写真が「それがそこに在る」ことを超え、なんとなく象徴的な意味を漂わせていることが気にかかってくる。おそらくその象徴性はエヴァンスやベッヒャーの写真にもあるもので、そこがそれぞれの写真における表現(もっと言うとテーマやメッセージ)に関わるところなのだと思う。つまり、彼/彼女たちはただ単に「何でもない建物」を撮ったのではなく、それぞれの対象や状況に呼応して、「何でもない建物」を「何でもない建物(しかし何でもなくないもの)」として象徴化させたと言えるのではないか。
一方、と並べるのもおこがましいけれど、僕の場合はそういう表現の意図は特になく、近所を散歩する最中に「お」とか「お!」とか「おー」とか思う家や建物の情景をただ撮っている。だから「それがそこに在る」ことを写したいとは思っても、それぞれの「お」とか「お!」とか「おー」とかいう範囲を超えて、その家や建物が象徴的に際立ってしまうのはあまり本意ではない。けれどもそうして象徴化された写真は写真としては強度があるというか、バシッときまっているように見えるので、それはそれで捨てがたい。というかどうすればそれを捨てられるのか分かっているわけでもない。とりあえずは形式主義にならないように意識し、それぞれの空間の有り様になるべく反応して撮るほかないかと思っている。
以下、写真10点。

*1:それらの古代建築は、人間のスケールをはるかに超える巨大さを持ちながらも、それぞれの強い幾何学性によって、その全体像を想像的に知覚させやすい。そういう意味で、それらは頭の中でイメージとして「縮小」されているのだと言えるかもしれない(例えばゴシックの大聖堂だと、前知識なしに正面から裏側を想像することはできず、頭の中に「縮小」しづらい)。

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写真を撮りながら近所を散歩。午前の透明な光がこの季節特有の植物の息吹と相まってすばらしい。花はそれ自体の色や形が美しいというより、僕にとっては凝縮された生の象徴のような魅力がある。ある広がりをもった場所の全体が、春になって咲いた花がところどころに点在することで活性化する、そんな様子がなんとも言えずよい。
しかしそれを写真で撮るのは難しい。「花がある空間」もしくは「空間にある花」を写そうとすると、花は相対的に小さくなり、その平板化した写真の画面において、肉眼で見たときの生き生きとした存在感をほとんど消してしまうし、花自体をより大きく写そうとすれば、こんどは空間が写らない。さらに「花がある空間」「空間にある花」を写真として見るには、花の存在感が消えない程度の大きな画面が必要にもなるだろう。理想的には原寸大にまで写真を引き伸ばせたらよいのかもしれないが、写真をそういうサイズ依存の方向で位置づけると、結局写真と現実を直接的に対照させることになり、写真が現実の代用品ないし劣化版でしかなくなってしまう気もする。あるいはこうした情景は写真よりも絵画のほうが正確に表現できるのかもしれない。たとえば印象派の風景画に描かれた花は、その各々は絵の具の点にしか過ぎなくても、空間のなかで写真における花よりも強く存在感を出すことができる。
上掲の写真について言うと、空間の広がりも花の存在感もどちらも物足りない(上と下なら上のほうがまだ雰囲気はあるだろうか)。自分が経験した空間を再現するために、引いて撮った写真と寄って撮った写真で2点組にする方法も考えられるけど、それはそれで写真が説明的になり、現実の見方を限定してしまいそうな気がする。
ところでこうした花の存在感の写らなさと対照的に、写真に写した家はしばしば現実で見たよりも強く存在感をあらわすように思われる。だから家を撮った写真は絵になりやすく、それに気をよくして、ついそういう写真を撮りがちになる。しかしそれはそれで空間を正確に写しているのかどうか、疑問の余地がないとは言えない。
以下、写真8点。

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明日から各地の映画館でエリック・ロメールの特集上映が開始されるのだが、それとまったく同じラインナップで同時発売されたブルーレイボックスを買ってしまった。映画館の窮状が日々伝えられるなかでいくぶん後ろめたい。通常、新作ならば公開と同時にソフトが発売されるということはないはずだけど、今回は判断を迫られる感じがあった。価格はボックスの1と2合わせて、税込27,442円(割引価格)。収録されているのは長編が5本、55分の中編が1本、11〜23分の短編が7本で、長編3本以外は未見。自宅でプロジェクター&スクリーンで観られることや、都心の映画館までの移動のこと(交通費含む)も考慮し、思い切って買うことにした次第。僕にとってそれだけロメールが重要な作家だということでもある。
ロメールには建築をテーマにしたドキュメンタリーの仕事もあるようだけど、そのことが僕が興味をもつロメールの作品性と具体的にどう関係するのかは定かではない(長編作品でも有名な建築が出てきたりはする)。作品世界を俯瞰して捉え、それを幾何学的に構成して成り立たせるという映画のあり方に、建築との共通性が見いだせる気はするけれども、そういうつながりだろうか。人間の生を支えるものへの関心。YouTubeにアップされている下の動画はフランス語の音声から自動的に字幕が作成でき、さらにそれを自動翻訳で日本語字幕に変換できる。

長編第1作の『獅子座』(1959)はその後の長編とはだいぶ雰囲気が異なるだろうけど、都市(パリ)のひとつの側面が切実に表現されていて、建築系の人にも勧めやすい。(たとえば同時期に同じくパリを撮ったゴダール『勝手にしやがれ』ではなく)この映画を観て、あ、ロメールは味方だと思ったような記憶がある。その後、数多く作られることになる「バカンス映画」に先がけ、バカンスをネガとして描いていることの意味は大きい気がする。
以下、ふたつのボックスに含まれるタイトルのメモ(年代順で、短編・中編、ドキュメンタリーが混在)。

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吉田秀和「芸術と人生」より、パウル・クレーの詩。クレーの絵画を思わせるリズミカルで空間的・視覚的な詩だけれども、しかしこれを実際に絵に移し換えることはできない。この表現には絵よりも言葉あるいは文字のほうが適切だからこそ詩になったという話。

これ以上は絵でなくて、言葉、そうして言葉もそれ以上は言葉で語るべきでないという一点まで、この詩は、最高に簡潔な言葉による表現を用いながら、ぎりぎりのところまで、言いつくしている。これは、ほかのどんな言葉におきかえることもできない。

  • 吉田秀和「芸術と人生」1980年(『響きと鏡』中公文庫、1990年)

同じ詩の英訳版があった。吉田秀和の本で引かれた日本語訳(出典:万足卓『季節の詩』北国出版社、1979年)とは言葉の組み立てが異なるようだ。原詩がどういうものか知らないけど、「最高に簡潔な言葉による表現」には日本語訳の独創性も含まれていると見るべきだろうか。

Water
Waves on the water
A boat on the waves
On the boat-deck, a woman
On the woman, a man.

  • 『Some Poems by Paul Klee』Anselm Hollo訳、Scorpion Press、1962年(PDF

興味が出て古本で買ってみた『クレーの詩』(高橋文子訳、平凡社、2004年)は、103篇の詩にクレーの絵画やスケッチを合わせた画文集。そこにも同じ詩が収録されている。訳は万足卓によるものとほぼ同じ。だけどすこし違う。


その上に波
その上にボート
その上に女
その上に男。

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写真を撮りながら近所を散歩。今のところ撮り飽きることもなく、近所の写真がどんどん溜まっていく。写真が増えていくことで、より細密に近所の景色がアーカイヴされていくような感じがある。しかし一方でもし僕の写真の根本に偏りがあるとしたら(技術面の未熟さはともかく)、写真が増えれば増えるほど、その全体は近所の景色の実体から離れていくということになる。もっとも「植物図鑑」(中平卓馬)だろうがGoogleストリートビューだろうが完全な客観としての写真などないのだから、それがどうしたということかもしれないけど。
ただ、たとえば僕が1日に写真を30点撮り、そのうち「よく撮れた」と思う5点をブログにアップしていったとして、そうして溜まった10日分の写真50点と、ブログで小出しにせず、10日間で撮った300点の写真から選んだ50点とでは、おそらく前者のほうが偏りは強く出てくるだろう。そのことで「近所の景色の実体」から離れていくことには注意していたい気がする。以下、写真4点。

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昨日の日記では自然に「氏」という言葉が出てきたけれど、「氏」は今の世の中でだいぶ価値を落とした言葉ではないかと思う。つまり慇懃無礼というか、まったく敬意を持たない相手の名前に対して形式主義的に空々しく「氏」を付けてみせるという用法がかなり目立つ気がする。その形式と実際のずれに嫌味を感じることが多い。昔、貴乃花が実兄である元若乃花のことをあえて「花田勝氏」と呼び、兄弟の不仲がワイドショーで騒がれたことがあった。今、インターネット上ではむしろそういう使い方のほうが大勢を占めてきた感じさえする。あるいは以前ならば呼び捨てでかまわなかった場面でも、今は敬称が求められるように世間の空気が変わってきたせいで、「氏」がいびつな状態で使われるようになったということもあるだろうか(たとえば一般人が政治家を語るときに「氏」は必要なのか?)。そもそも誰かに対して批判や非難をしたり、腐したり揶揄したりする言葉が世の中に圧倒的に多く顕在するようになったということが根源かもしれない。
関係ないが吉田秀和は相撲好きで、相撲についての文もたびたび書いている。

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ある夜、ふいに自分は吉田秀和(1913-2012)の書くものが好きだったということを思い出し、ネットで適当に著作を見つくろって注文した(これ以外にも図書館でいくつか借りた)。吉田秀和の文章はもう11年近くも前、以下の一節をこのブログで引用しているけど(2010年6月8日)、この文はその数年後、『建築と日常』No.3-4の坂本先生へのインタヴューでも引くことになったのだった(そういえばもともと初めて吉田秀和の名前を意識したのは、坂本先生の1970年代半ばに書かれた文章で参照されていたのを読んだときだったかもしれない)。

私の考えでは、芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性にしたがって創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことは、できないものだと思う。芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発されて、芸術家の魂を目覚まされ、そこでそれを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。そうして、彼の成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫ってゆくという順序を踏むのではないか。

  • 吉田秀和「ソロモンの歌」1966年(『ソロモンの歌・一本の木』講談社文芸文庫、2006年)

今、たまたまAmazonの『ソロモンの歌・一本の木』のページを見たら、自分がその本を2007/7/2に購入しているという情報が表示されていた。思ったよりも前だった。吉田秀和にはこんな文もある。

いってみれば、本には二種類ある。新しいことを知るため読むものと、「読書」の対象になるものと。若い時は、誰だって累積がたりないから、何だって読み、それが精神の糧になるけれど、ある年齢をすぎると、どんな本でも同じというわけにはいかなくなる。そうなってからのこととしていうと、読書というのは、同じ本を何度も読みかえすことを指すのであって、初めて読むのは読書のうちに入らないことがわかってくる。

  • 吉田秀和「ベートーヴェンの楽譜とセザンヌの絵」1984年(『物には決ったよさはなく……』読売新聞社、1999年)

残念ながら僕は、吉田秀和の本領であるクラシック音楽についての文章を十分に読むことはできない(グールドならばここ十数年で多少聴いてきたので、なんとか察しはつくという感じ)。しかしその他の美術評論や随筆も、おそらく氏にとって必ずしも余技と言われるべきものではないだろう。上のふたつの引用文にもうかがえると思うけれど、氏の活動は個々の自律した専門ジャンルによって純粋に区切られることがなく、人生において、日常において、底のところで確かにつながっている。

芸術は、私たちが毎日こうして暮している、その生活の中から生れてくるのですから、それだけをとりだして、ほかの目的のために役立たせようとしても、それは生活という大地に根ざして咲いている花を、切ってしまって花瓶にさして眺めるようなもので、長もちはしない。
芸術は人生にどう役立つか? 役立つも役立たないもない。芸術は人間の生きている、その生き方そのものの中に根をはっているもの、生きるということ自体の内容の一部にほかならないのです。だから芸術が人生にどう役立つか? ときくのは、人間の身体をみて、その手や足、あるいは心臓や肺臓について、何の役に立つのか? ときくようなものだと、私は思います。

  • 吉田秀和「芸術と人生」1980年(『響きと鏡』中公文庫、1990年)

僕が教養や常識といった保守的な概念に価値を見るようになって久しいけど(たとえば「谷口吉郎の教養と常識」2018年)、吉田秀和こそそれらを豊かに湛えて生きた書き手ではないかとあらためて思う。上の言葉もまさに常識的だ。しかし、当たり障りのない単なる紋切り型ではない。社会や政治から全面的に芸術を擁護するわけではなく、「生きるということ自体の内容の一部」ではないような「芸術」に対する批判もその前提として含んでいる。氏の文章を読んでいると、柔らかな文体のなかにそういう厳しさも感じられる。

多木浩二さんが2011年の4月13日に亡くなって、今日でちょうど10年。ツイッターで「多木 since:2011-04-13 until:2011-04-15」と検索すると、当時多木さんの訃報を受けて思い思いに発せられた各人のツイート(3日分)が無数のツイートの海から浮かび上がる。この10年でアカウントごと無くなってしまったものもあるだろうけど、過去の空間の触れ方として新鮮さを感じる。

去年の後半は多木さんの建築写真に関して書評トークライブをしたせいか、先月末の『建築と日常』半年分の定期精算(ツバメ出版流通)では、別冊『多木浩二と建築』がよく動いていた。

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ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチ論 全三篇』(恒川邦夫・今井勉訳、平凡社、2013年)より。ヴァレリーというとデカルトの系譜にいる「卓越した理性の人」という印象が、ろくに読んだこともないのに僕のなかでつくられていた。しかし上のような言葉はそのいいかげんな印象に反省を促す。おそらくヴァレリーの理性は、理性というものそれ自体の批判もするような理性なのだろう。保守と革新という対比で考えたとき、理性は革新と結びつきやすいけれど、ヴァレリーの理性は多分に保守思想にもとづくものなのではないかと思う。
吉田健一が自身で翻訳も手がけているT・S・エリオットとヴァレリーを比べて、ヴァレリーのほうが上だったか共感するだったか、たしかそういうことをどこかで書いていた。吉田とエリオットは両者とも『建築と日常』No.3-4で大いに共感しながら参照していたから、その物言いには多少引っかかったのだけど、エリオットとヴァレリーの比較はさておき、吉田健一がヴァレリーに惹かれるのは分かる気がした。たとえば以下の文にも、過去や文化や日常や近代といったものに対するヴァレリーの認識がうかがえる。

 美術館はあまり好きではない。見事なものはたくさんあるが、居心地のよい美術館というものはまったくない。分類、保存、公益といった理念は正しいし明快だが、愉楽とはあまり関係がない。
[…]
 逸楽も道理も蔑ろにするような文明だけが、この不調和の館を建造することができたのだろう。死んだヴィジョンの数々がこうして隣り合わせに並んでいる様子からは、何かしら狂気じみたものが生じている。それらは互いに嫉妬しあい、みずからを生きた存在にしてくれる眼差しを奪いあっている。それらは四方八方から、私の不可分の注意を惹こうと呼びかけてくる。それらは、生の際立つ要所を狂ったように逆上させ、見る者の身体器官の全体をそれが惹きつけられるもののほうへと引きずり込もうとする……。

  • ポール・ヴァレリー「美術館の問題」1923年、今井勉訳(『ヴァレリー集成Ⅴ 〈芸術〉の肖像』筑摩書房、2012年)

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写真を撮りながら近所を散歩。一眼レフで撮るときはいつもだいたい垂直性を重視した建築写真的な写真になっているけれど(上の写真も微妙に回転&トリミングして、超高層ビルが垂直になるように合わせている)、一般的な建築写真が撮影者の視線を感じさせず、あたかも無限遠から対象をフレーミングしているかのような性質があるのに対し、僕の写真では撮影者の視線の存在がそれなりの意味を持っている気がする。それは必ずしも特定の対象(上の写真ならば遊具で遊ぶ子ども)を見つめているといったことだけではなくて、人間が散歩中に景色を見るときに果たしてこういうフレーム/バランスで見るかどうかとか、この部屋に入ったときに「写真を撮る」行為以外でそこをそういうふうに見るかどうかとか、そのへんの動作としてのリアリティとの関わりが大事なように思っている(そのリアリティを最優先するということではない。それは時に写真の垂直性・抽象性と対立する)。僕には「なんでもないもの」を撮って詩的もしくは叙情的に成り立たせたり、写真を現実からある程度切り離して「絵」として見せたりするセンスや技術はないので、あくまで現実の力を活かすというか、その力となるべく関係させたかたちで写真を撮るのがよいのだと思う(さいわい最近歩きまわっているこの近所の景色は被写体としてそれだけのポテンシャルを持っている)。写真における視線のあり方は、撮影後にトリミングして写真の重心やバランスをずらすことでも多少は調整できるし、それは僕にとってけっこう重要な作業だけれども、その事後的な操作には限度があるので、やはりまず撮るときにそこを的確に捉えられるに越したことはない。以下8点。

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青梅線で御嶽という駅まで行き、そこから歩いて玉堂美術館(設計=吉田五十八、1961年竣工)と青梅市吉川英治記念館(設計=谷口吉郎、1976年竣工)を訪問した。本当は先日訪れた乗泉寺(1月14日)の八王子別院(設計=谷口吉郎、1971年竣工)にも行くつもりがあったのだけど、思ったより時間が早く過ぎ、すでに吉川英治記念館に向かう途中で見切りを付けた。あまり詰め込んで観てもよいことはない。


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玉堂美術館は、吉田五十八いわく剛軟両面がある川合玉堂(1873-1957)の画風に倣い、飛騨の民家と仏教寺院を混然一体としたという大スケールの外観。立面の大きさと平面の小ささがずれとして体験され、観念の広がりを生むような印象がある。眼下の多摩川の渓流とのあいだには塀を築き、周囲の自然を借景にしている(庭園は中島健による)。渡り廊下で繋がれる別棟に玉堂の画室を再現。


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吉川英治記念館では実際に作家(1892-1962)が暮らした広い敷地の一角に、生前親交があった谷口吉郎が展示館を設計している(農家を改装した既存の母屋や洋館風の書斎、庭も管理が行き届いていて見応えがあった)。玉堂美術館とは逆に、丘の上に建てられながらも平屋で高さを抑え、複数の屋根に分節しながら建物を横に下に連続させていくという構成。谷口は渋谷の乗泉寺や東京工業大学創立70周年記念講堂(2015年11月11日)でも、傾斜した敷地においてその高所にエントランスを配し、ファサードの高さを抑えて水平性を強調しつつ、地面が低くなっている側面や裏側に建物のヴォリュームや垂直性が表れてくるようなデザインをしている。ただ、吉川英治記念館と玉堂美術館の対照的なあり方は、ふたりの建築家のちがいというより、ここでは敷地のちがいが大きいだろう。特に親交が深かったのかどうか知らないけど、谷口は10歳上の吉田五十八について何度か文章を書いている。建築として共感するところもあったのかもしれない。

 よく西洋建築で、「建築は凍れる音楽」といわれる。これはゲーテの言葉とされているが、そんなゲーテ的言辞によれば、吉田さんの新数寄屋は「凍れる長唄」といってよかろう。吉田さんの意匠には、まさしく、そんな美しさが造形的に演奏されている。
[…]
 このような藤井[厚二]さんや、堀口[捨己]さんの作家態度にくらべて、吉田五十八さんの造型は、もっと感性的だといえる。同じ日本建築の近代化であっても、学究とか、哲理というものよりも、もっとジカに、その美にホレこんで、それを手塩にかけて新しく磨き上げようとする、二十年も三十年も年季をいれた職人を使って、その職人気質を十分に活かし、更に自己の近代感覚によって一層洗練させようとする。学究的理論よりも、外国崇拝よりも、下町ッ子らしいキレイ好きのカンで、日本の京都や奈良の美を近代的に磨こうとするのが、この建築家の本領でなかろうか。

  • 谷口吉郎「吉田五十八」『芸術新潮』1954年8月号(『谷口吉郎著作集 第三巻 建築随想』淡交社、1981年)

玉堂美術館から吉川英治記念館へは歩いて1時間ほど。多摩川沿いの遊歩道がすばらしい。ちょうど今から5月くらいまでがいちばんよい季節ではないかと思う。以下、写真8点。

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