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昨日はその後、渋谷駅方面へ歩いて行くなかで《乗泉寺》(設計=谷口吉郎、1965年竣工)も訪れた。実はこちらもこれまで内部に入ったことがなかった。廻廊で繋がれた本堂棟・講堂棟・福祉館が中庭を囲むように配され、その中庭には池の上に六角形平面の霊堂が立つという構成。竣工時と比べると、中庭は生け垣で分節され、池は規模が縮小されているようだった(池はともかく、生け垣は中庭が取りもつ建築の一体感を損ねている気がするし、手入れの手間もかかるだろうから、なくてもよいのではないかと思った)。以下、写真6点。


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内部を見学したのは本堂棟のみ。2階に上げられた本堂はファサードの縦格子的な開口によって西日で照らされる。明るく輪廓のはっきりした明朗な空間。構造体の太い線とその他の細い線が対照をなし、内陣奥の格子状の壁は《駿府教会》(設計=西沢大良、2008年竣工)の内壁を思い起こさせる。


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吹き抜けの壁画《合掌》は海老原喜之助によるもの。取って付けた感じがせず、存在感があった。谷口吉郎らしく、ところどころで他分野の作家とのコラボレーションがある。


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本堂の前室に棟方志功による板画。もとは1階の玄関ホールに設置されていたらしい。窓のほうに向かって高くなる天井。


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本堂棟の妻面。傾斜の向きが異なる二重の屋根が特徴的。それぞれの傾斜が2階の天井面に現れ、それによって本堂とその前室の空間に変化を付け、また本堂内部でも身廊部と側廊部の空間に変化を付けている。敷地は傾斜地であるため、中庭に面して2階建て(地下2階)の建物は、裏側では3階建て(地下1階)のようになっている。


いずれにせよこの時期の建築としては、よく使われ、よく残っていると思う。それは現在に至るまで建物に機能上の破綻がないということのほか、建築家に対する施主の敬意と信頼が、伝統として今も続いているということもあるのかもしれない。以下、当時の設計スタッフの言葉(竣工は東京オリンピックの翌年)。

 寺の話では、この本堂の設計を依頼した時期は東宮御所の完成[1960]よりもずっと以前のことだそうである。資生堂会館が昭和37年[1962]秋に完成してすぐに、境内の東端に現場小屋を建て、それを設計室にした頃、いよいよ建て始めるのですかと言われ恐縮したのを覚えている。
[…]手順は決っても設計はなかなか捗らなかった。寺の方で自由な創意を期待し、寺内での使用上の細かな要求は大分伏せられていたから、一番苦手な設計環境にあったわけで、余計に決断がつかないのであった。竣功時期もたびたび延びたが、寺の方からオリンピック[1964]までには何とかしたいとの話があり、それで大枠はやっと決ったのだった。

  • 砂川雄二郎「作品解説」『谷口吉郎著作集 第五巻 作品篇2』淡交社、1981年


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ここの全体模型と、同じく谷口の設計による八王子の霊園(1971年竣工)の模型。やはり八王子のほうも訪ねるべきか。
下のリンクは一昨年書いた『雪あかり日記/せせらぎ日記』(谷口吉郎、中公文庫)の書評。