乃木坂のTOTO出版で打ち合わせ。こんど東工大の退職記念の一環で刊行される坂本先生の論文集に、編集として関わらせてもらえることになった。内容は、2001年の『坂本一成 住宅─日常の詩学』(TOTO出版)に収録されていないものを中心に、1970年代以降の坂本先生の論文が選択してまとめられる予定。坂本先生の論文は『建築と日常』No.0のインタヴューの時に大部分を通して読んだけど、これは退職記念という枠を超えて、現在的・普遍的意義を持った本になると思う。
建築はある程度の専門性が必要とされる分野だからか、設計作品にしても、歴史や評論あるいは編集にしても、なんとなく大学入学以降につちかわれた問題意識でやっているという雰囲気を感じる場合が多い。それは音楽や絵画、文学などのあり方との違いを思い浮かべればわかりやすいと思うけど(下のような言い方には真実味を感じる)、

私の考えでは、芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性にしたがって創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことは、できないものだと思う。芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発されて、芸術家の魂を目覚まされ、そこでそれを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。そうして、彼の成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫ってゆくという順序を踏むのではないか。
───吉田秀和「ソロモンの歌」(『ソロモンの歌・一本の木』講談社文芸文庫、p.120)

ソロモンの歌・一本の木 (講談社文芸文庫)

ソロモンの歌・一本の木 (講談社文芸文庫)

僕はやっぱり建築でも建築の文章でも、その人自身が感じられるもの(のうちのある種のもの)に興味があって、坂本先生の活動は設計作品だけでなく論文においても、そういった質が多分に含まれている*1。これは岡崎さんが今号のインタヴューで言っていた「思想」ということにも関連するだろうけど、そこに根差しているので、その時々の問題意識で書かれた文章がいまも生気を宿している。

坂本一成 住宅-日常の詩学

坂本一成 住宅-日常の詩学

*1:だからこそ日常的な受容のレベルにおいて異ジャンルの作品(思想)とつながりうる、ということを前号のインタヴューでは示そうとしたのだった。ハンナ・アーレントエドワード・ヤン忌野清志郎チェルフィッチュ佐藤伸治……