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写真を撮りながら近所を散歩。上の写真は、先にツイッターで投稿したときにはピンクのやつ(?)がより左右の真ん中に来るように、写真の左側(と天地)をすこしトリミングしたのだけど、ここでは思い直してノートリミングにした。草花の遍在性や多様性と、構図の中心性や視線のあり方とのバランス。まあ、印象はたいして変わらないかもしれない。
この写真の画面左の葉っぱのように、主となる被写体の手前につい何かを入れてしまうという癖が僕にはあるけれど(画面を重層化して奥行きを出したり、主となる被写体を相対化したり、画面に入りきらないその場の環境のあり方を示唆したりしたいのだろうと思うけど)、それをあえてしているとは思われたくない。たとえば「もうちょっと右に移動して撮ればきちんと全体が写りそうなのに」と思われてしまわないようにしたい(ということは、僕が誰か他人が撮った写真を見てそういうことを感じる場合があるということだけど)。あくまで自然なかたちで。そもそも写真を撮ればそういうふうに撮れるという景色自体を好んでいるということもあるのだろうと思う。以下4点。
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あらためて見てみると、どれも手前に何かが写った写真だった。いちばん上の写真のフェンスは、外そうと思えば外せるけど、あえて入れているという感じ。その下の2点の屋根は、必然的に構図に含まれるもの。そのことも踏まえてカメラを構えている。一方で下掲の写真の植物は、これだと多すぎるという印象。本心としてはもっと間引きたいけれど、それが可能なポジションがなかったのだと思う。
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