誤ってAmazonプライムに登録してしまったので、夜中にアリ・アスター『ミッドサマー』(2019)を観た。北欧のある村落(宗教的コミュニティ)での出来事を描いたホラー映画。評判ほど圧倒されることはなく、よくデザインされた作品という印象。そのデザイン性(作為的な人工性)の高さがカルト宗教のあり方と重なると言えなくもないけれど、そのぶん持続的な宗教的コミュニティとしてのリアリティは希薄に感じられた。劇中のお祭りは90年に一度のものらしいけど、一体この共同体はいつ頃からあり、お祭りはこれまで何度行われているのか、と疑問に思わせる。あるいはこういったジャンルでそのようなリアリティを問うのは野暮なのかもしれない。あくまでマニアックなジャンル映画の伝統のなかで作られつつも、その高度な洗練やウェス・アンダーソンを思わせる新鮮な映像表現によって、予期せず広く一般性を持ってしまったというような印象も受ける。実際、美しい風景のなかでの空間の造形には目を惹かれるものがあった。
下記、「ミッドサマー」で検索上位に来る解説記事。

映画の細部に込められた象徴的な意味や関連作品などが網羅的に記述されているけれど、こういう謎解き的な態度が、このジャンルの映画における一つの典型的な楽しみ方なのだろう。ベルイマンの言葉を思い出す。

私が芸術の中で大嫌いなものと言えば、それは《自覚されたシンボル》です。効果を計算してシンボルみたいなものをはめこむなんて、アイスクリームの上のイチゴみたいなもんです。身ぶるいするほどひどいですね。

  • イングマール・ベルイマン『ベルイマンは語る』三木宮彦訳、青土社、pp.93-94

前掲記事のなか、「監督が本作を制作する上で影響を受けた映画」としてベルイマンの『叫びとささやき』(1972)が挙げられていたけれど、確かに宗教や性、老いや死などのテーマはベルイマンの映画と重なるとしても、ベルイマンはこの影響関係を喜ばないような気がする。

「風景写真の現在:『風景写真』編集長・永原耕治氏に聞く」(聞き手=甲斐義明、iiiiD、2023-02)を読んだ。

ある部分、風景写真を建築写真にも読み替えられて興味深い。写真のプロとアマの関係、「建築写真」と「建築の写真」の関係など。たとえば次のような言葉に興味を惹かれる。「やはり風景写真家は、風景が美しいと思って撮りに行くんですよ。自分が感動したものを、自分の視点で。」、「写っている風景自体に興味があるのか、他のところに興味があるのかは、多分、絵柄を見ればわかりますよ。」。僕自身、素人の写真愛好家として、まず「対象」への興味があって撮影する。たまにそれなしに色気を出して「写真」を撮ろうとすると、その作為に自分で恥ずかしくなったりする。それは対象の力に頼らずに写真を成立させる力がないということでもあるだろう。
このまえの潮田登久子(2月5日)も「対象そのものへの興味」を前提にした写真家だと思うけど、写真家としての赤瀬川原平も、このあたりの問題を強く感じさせる。この展覧会は観に行きたい。赤瀬川原平写真展「日常に散らばった芸術の微粒子」SCAI PIRAMIDE(1/26〜3/25)。


【訂正】上記、大室佑介さんのお名前に誤字がありました。お詫びして訂正します。

昨日は夜に、井上雄彦『THE FIRST SLAM DUNK』(2022)を109シネマズ港北で観た。映画そのものには乗り切れず、もしいま自分が『SLAM DUNK』(1990〜1996年)で映画を作るならどのように組み立てるか想像しながら観ていた。かつての(幾千万もの)読者たちの経験や記憶と響き合わせるような作品を考えるのは興味深いことだけど、その層だけに向けた映画にするわけにはいかない。とすればストーリーはさておき、まずは当時から大きく進歩したはずのアニメの技術でいかにバスケのシーンを見せるかが創作の軸になるだろう。それを前提に、試合は複数にするか一つに絞るか、一つながりで見せるのか別のシーンを挟むのか。漫画はその性質上、バスケの試合でも物語の意味を担った場面しか描きづらいけれど、映画(最新のアニメ技術)ならば物語に従属しない運動のみを見せる時間を成立させられるかもしれない。漫画で見知ったキャラクターが、そうしておのずから自由に動くさまは新鮮ではないか。寄りのダイナミックなカットだけでなく、実際のテレビ中継のような俯瞰のカットも魅力的に使えそうな気がする。映画の運動性を損なわせるような説明的な言葉(心の声)はなるべく減らしたい。ストーリーはどうするか。原作全276話のダイジェストとするのは現実的ではないから、一部分を取り上げるか、それともオリジナルを作るか。もともと主人公だけが際立つのではなく、各キャラクターが特徴をもった物語なので、知らない人に手際よくその全体像を把握させるのは難しい。とすれば中心となる人物を絞ったオリジナルか。原作はやや唐突に終わっているから、その後日譚ならば昔の読者の興味を引けるし(原作者が監督・脚本ならば尚更効果的)、未知の人に向けても新しく作りやすい。登場人物の一人の生い立ちにクロースアップした完成作は、昔の読者が年月を経て親となり家族を持っていることを想定しているだろうか。そういう狙いがあれば功を奏していそうだけど、物語の未来ではなく過去を描いているので、これまでの原作漫画の読み方に影響を与えるかもしれない。そういえば原作では(たぶん当時としても珍しく)家族がほとんど描かれていなかった。そのことに何か特別な意味を見いだせるだろうか。


潮田登久子写真展「永遠のレッスン」を横浜市民ギャラリーあざみ野で観た(〜2/26)。作者は1940年生まれで、桑沢デザイン研究所で大辻清司に学んでいるので、このまえ(2022年10月25日)の牛腸茂雄(1946年生まれ)のすこし先輩。様々な家の冷蔵庫を撮ったシリーズにとりわけ魅力を感じた。
仮に人/物/空間に写真の対象を分けるなら、やはり作者の資質は物に向いているのだろう。日常世界と物の世界との回路は大辻清司の写真と通じるところがありそうだけど(展覧会名の「レッスン」という言葉も大辻的だ。時代の表現や社会に向けたメッセージというものではなく、内省的な創作のあり方)、若いころに魅了されたのはロバート・フランクの『アメリカ人』(1958年)というから、少なくとも学生時代からの連続的な影響関係ではないらしい。文化や記憶を湛えたような物を撮り、その被写体には建物もあるので(『みすず書房旧社屋』幻戯書房、2016年。鈴木了二さんも寄稿している)、建築の人も取っかかりを得やすいように思う。建築はほぼ写っていないけど、「先生のアトリエ」シリーズは篠原一男設計の大辻邸(上原通りの住宅)での撮影。また、作者がかつて一家で間借りしていた世田谷の古い洋館(旧尾崎行雄邸)は、柴崎友香さんの『春の庭』(2014年)に出てくる「水色の家」を思い起こさせる。小説内の住人夫妻がともに写真を撮る人だったことも一因だろう。しかし本を読み返してみると、その他の部分は色々と異なっていた。
ギャラリー上階では「横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展 写真をめぐる距離」が同時開催(〜2/26)。写真の誕生からその時々の多様なカメラを展示しつつ写真の歴史をたどる内容で、こちらも見応えがあった。

年末の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年12月31日)からの流れで、久しぶりに阪本順治の『どついたるねん』(1989)を観た。この映画で流しのボクシングトレーナーだった原田芳雄が、時を経てケイコのジムの会長をやっていたらどうだったかなと不遜なことを思う。
ボクシング映画はたいていロードワークのシーンがあるので、自ずと街が描かれ、地域密着型になりやすいのかもしれない。『あしたのジョー』なんかが典型的だけど(映画じゃないけど)、『ケイコ 目を澄ませて』でも『どついたるねん』でも、ジムの建築空間がその地域を象徴し、社会的な属性を象徴して物語に奉仕する。



昨日はその後、代々木上原の東京ジャーミイ(設計=ムハレム・ヒルミ・シェナルプ+KAJIMA DESIGN、2000年竣工)へ。以前NHKの「ドキュメント72時間」で見て行きたいと思っていたのが、それからもう6年近くも過ぎていた。

現代の宗教建築にありがちなわざとらしさが感じられないのは、オーソドックスな様式で丹念に作っているのみならず、その建物を真に必要とし、日常に根ざして使う人たちが大勢いるからではないかと思う。

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《杭とトンガリ》(設計=能作文徳+常山未央、2023年竣工)を見学。木造2階建ての小さな貸店舗で、内装は未完。環境負荷を考慮してコンクリートの基礎は用いておらず、8本の鋼管杭による高床式とすることで、地面/土壌を建物から解放するというストーリー。

東京都美術館「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」を観た(〜4/9)。下の写真は帰りがけに上野駅で撮ったもので、1930年代末にフランスでマティスに学んだ猪熊弦一郎による壁画《自由》(1951年)。東京都美術館は次回マティス展(4/27〜8/20)。

1951年は同じ上野の東京国立博物館でマティス展が開かれていて、《自由》を制作する猪熊の頭にはきっとその意識もあっただろう。この展覧会については谷口吉郎が「ヴァンス礼拝堂の模型」という文章を書いており(『アトリエ』294号、1951年)、あるいは二人で感想を語り合ったりもしたかもしれない。猪熊と谷口には親交があり、《自由》の2年前、谷口設計の慶應義塾大学学生ホール(1949年)では、《自由》とよく似た壁画《デモクラシー》を制作している。

ベン・ニコルソン(1894-1982)の〈ホワイト・レリーフ〉シリーズ()。谷口吉郎が好んでいたらしい。本人が設計した建築そのものより、案外こういう愛好したもののほうが、そのひと自身を身近に感じさせることがある(過去の建築に対する時間的距離感と過去の芸術作品に対する時間的距離感の差が新鮮な印象をもたらしているかもしれない)。
下記、戦後まもない時期に、東工大の研究室で谷口吉郎の机の上にいつもあったという本。

私が記憶している先生の座右の書は、一つは仏像の写真集です。[…]それから、ベン・ニコルソンというイギリスの抽象アーティストの作品集で『ホワイト・レリーフ』という有名なものがありました。そしてもう一つは、『スイス・ビルヂング』という本です。谷口先生がこれを通読してらっしゃるのを見て、私も欲しくて欲しくて……、安月給の中からついに買いまして、今でも大切にしています。(由良滋)

  • 由良滋・杉本俊多「谷口吉郎」『素顔の大建築家たち──弟子の見た巨匠の世界 02』建築資料研究社、2001年

そしてこう続く。

先生がいつも『スイス・ビルヂング』を眺めていたのを思い出します。水平線、垂直、そして格子などのボキャブラリーの建物が、とくに学校建築などにあるんです。[…]著作集からも谷口先生がスイスの建築にすごく愛着をもっていたということがわかりますが、私は垂直線や格子は、シンケルよりもむしろこっちが下敷きになったのではないかなと思うんです。

谷口は瓦屋根の石川県繊維会館でもスイスの現代建築に言及しているし(2019年10月4日)、〈ホワイト・レリーフ〉みたいな(詩情溢れる?)抽象表現への関心を見ても、「日本的」「シンケル的」という谷口建築の定型化した語り口には再考する余地がある気がする。
下のは谷口吉郎の渡欧前のテキスト(『建築雑誌』621号、1936年)。「建築グラフ1935-1936」という臨時増刊号で、各執筆者が自分の興味のある(よく知る)国を担当したのだろうか。谷口は当時からスイス建築の評価が高く(現代建築の王座)、その内容も自身の建築観をよく反映しているように思える。