昨日は夜に、井上雄彦『THE FIRST SLAM DUNK』(2022)を109シネマズ港北で観た。映画そのものには乗り切れず、もしいま自分が『SLAM DUNK』(1990〜1996年)で映画を作るならどのように組み立てるか想像しながら観ていた。かつての(幾千万もの)読者たちの経験や記憶と響き合わせるような作品を考えるのは興味深いことだけど、その層だけに向けた映画にするわけにはいかない。とすればストーリーはさておき、まずは当時から大きく進歩したはずのアニメの技術でいかにバスケのシーンを見せるかが創作の軸になるだろう。それを前提に、試合は複数にするか一つに絞るか、一つながりで見せるのか別のシーンを挟むのか。漫画はその性質上、バスケの試合でも物語の意味を担った場面しか描きづらいけれど、映画(最新のアニメ技術)ならば物語に従属しない運動のみを見せる時間を成立させられるかもしれない。漫画で見知ったキャラクターが、そうしておのずから自由に動くさまは新鮮ではないか。寄りのダイナミックなカットだけでなく、実際のテレビ中継のような俯瞰のカットも魅力的に使えそうな気がする。映画の運動性を損なわせるような説明的な言葉(心の声)はなるべく減らしたい。ストーリーはどうするか。原作全276話のダイジェストとするのは現実的ではないから、一部分を取り上げるか、それともオリジナルを作るか。もともと主人公だけが際立つのではなく、各キャラクターが特徴をもった物語なので、知らない人に手際よくその全体像を把握させるのは難しい。とすれば中心となる人物を絞ったオリジナルか。原作はやや唐突に終わっているから、その後日譚ならば昔の読者の興味を引けるし(原作者が監督・脚本ならば尚更効果的)、未知の人に向けても新しく作りやすい。登場人物の一人の生い立ちにクロースアップした完成作は、昔の読者が年月を経て親となり家族を持っていることを想定しているだろうか。そういう狙いがあれば功を奏していそうだけど、物語の未来ではなく過去を描いているので、これまでの原作漫画の読み方に影響を与えるかもしれない。そういえば原作では(たぶん当時としても珍しく)家族がほとんど描かれていなかった。そのことに何か特別な意味を見いだせるだろうか。