渋谷パルコのほぼ日曜日で、写真展「はじめての、牛腸茂雄。」を観た(〜11/13)。次回10/30のNHK「日曜美術館」のテーマのようなので、混雑する前にと。
牛腸茂雄はある時期から大辻誠子さん(『建築と日常』No.1でインタヴューした)が話す「ゴチョーくん」という音で頭に再生されるようになってしまった。別になにも深い話を聞いたわけではないけど、誠子さんのあっけらかんとした声が、今も牛腸茂雄の写真を見る経験に影響している気がする。牛腸茂雄も大辻清司(牛腸の写真の先生で誠子さんの夫)も篠原一男(大辻家の住宅の設計者)も、どちらかというと陽気なタイプではないというかシリアスなイメージがある人たちだけど、誠子さんが彼らを語る声はそのシリアスさを否定することなく相対化する。

「ほぼ日」的な展覧会の作り方が写真畑の人たちに批判されてもいるようだけど、僕は門外漢だからか特に気にならなかった。初見者向けの案内人云々の仕掛けは牛腸の作品性とあまりにかけ離れているせいで、むしろ作品体験に干渉してこなくてよかったし(へたに専門的な解釈で意味づけられるよりも)、ああいう見せ方が展覧会を開催するのに必要で、なおかつ未知の観客の興味を引いて鑑賞の敷居を多少なりとも下げるのなら、そんなに問題視しなくてもいい気がする。たぶん今回の展示の表層的なところは後には残らないのではないか。その意味では出版予定の写真集や今度のNHKの番組のほうにこそ歴史的・社会的な影響力があると思う。
展示品自体は会場の規模に比べてたいへん充実し、空間構成や文章の抜粋も的確だったように見えた。プライベートな側面の露出も牛腸の作品性と無縁のことではないはずだし、全集が編まれるような作家ならば(どの分野であれ)必然的な範囲に思える。
牛腸が写真を志すことになった渋谷の桑沢デザイン研究所の近くで開催されたのにも何かしら意味はあったかもしれない。今回の展覧会がなければまったく接点がなかった渋谷の若者(の幾人か)に牛腸茂雄の写真が刺さるようなことがあれば素晴らしいけれど(牛腸の写真はその状況を想像させる)、会場はパルコの上層階のあまりひとけのない端のほうで、入場料も少額ながらかかるので、ふらっと足を踏み入れられる構えではなかったのは惜しい気がした。昔の(といってもそれほど前ではない)パルコの地下のブックセンター周辺にはそういう偶発的な出会いが生まれる空間性があった気がする。そういうのを文化というのかもしれない。

自分の名前がたくさん書かれたノートで、いちばん右下は桑原甲子雄(牛腸よりも33歳年上の写真家)? お、と目に留まりつつ、きっとよく知られた話なのだろうと思ったけど、帰宅して両者の名前で検索してもそれらしい情報は見当たらない。まあノートに名前を書いているからといって特別なシンパシーや憧れがあったとは限らないし、単に珍しい名前だからなんとなく書いてみたというだけかもしれない。