「風景写真の現在:『風景写真』編集長・永原耕治氏に聞く」(聞き手=甲斐義明、iiiiD、2023-02)を読んだ。

ある部分、風景写真を建築写真にも読み替えられて興味深い。写真のプロとアマの関係、「建築写真」と「建築の写真」の関係など。たとえば次のような言葉に興味を惹かれる。「やはり風景写真家は、風景が美しいと思って撮りに行くんですよ。自分が感動したものを、自分の視点で。」、「写っている風景自体に興味があるのか、他のところに興味があるのかは、多分、絵柄を見ればわかりますよ。」。僕自身、素人の写真愛好家として、まず「対象」への興味があって撮影する。たまにそれなしに色気を出して「写真」を撮ろうとすると、その作為に自分で恥ずかしくなったりする。それは対象の力に頼らずに写真を成立させる力がないということでもあるだろう。
このまえの潮田登久子(2月5日)も「対象そのものへの興味」を前提にした写真家だと思うけど、写真家としての赤瀬川原平も、このあたりの問題を強く感じさせる。この展覧会は観に行きたい。赤瀬川原平写真展「日常に散らばった芸術の微粒子」SCAI PIRAMIDE(1/26〜3/25)。