三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』(2022)を109シネマズ川崎で観た。今まで観たなかでいちばん静かなボクシング映画。「物語」や「テーマ」や「ショット」や「構造」が支配的にならずにこれだけの精度で確かな人間を描き出した現代の映画はそれほど多くないのではないかと思う。
現代の都市の情景も相当意図的に描写されている。時代設定を現在にしてスマホやコロナを物語の構成要素にする一方、昭和の雰囲気のボクシングジムや16ミリフィルムによる粗い映像が80年代くらいの雰囲気も感じさせ、そのフィクショナルな重層性がむしろ映画空間の実在感をもたらしている気もする。建築畑の人間からすると、したり顔で「都市の映画」などと言ってしまいたくもなるけれど、しかし実際にはそこが特別にテーマ化されているわけではないということもまた重要なのだと思う。以下、三宅監督の発言。

ケイコさんという人が、ボクサーとして、この世界のなかで、いろんなものを感じとっていると思うんです。だから、ケイコさんの感覚を──たとえばバスに乗っているときの世界であるとか、川べりにいるときの世界であるとか、そういうものを街ごと撮らないと、ケイコさんを描くことにもならないと感じていました。あくまでぼくは、ケイコさんを描こうと考えていたんです。

『ユリイカ』2022年12月号の三宅唱特集(三宅唱×松井宏の対談がよかった)で濱口竜介さんが「多くの評者はこの映画について詳細な言葉を編むことに苦労するのではないか」と書いているとおり、シンプルで有機的・全一的な強さを持つ『ケイコ 目を澄ませて』は、生きたままそれを分解するような批評の言葉を寄せ付けない性質があるのだと思う。だから生まれていく様を伝える作り手側の言葉により確かさが宿る。以下のようなインタビューや対談もそれぞれ興味深かった。