『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)の書評として、多木陽介さんが下のように書かれている。

 例えば、それが撮影者の意図であったかどうかは別として、明らかに写真によって建築が比喩化されている例として、実際には建築を撮っているのに、父の先出の講演にも出て来るオリヴァー・ボバーグの作品のように、建築を模した模型か舞台セットを作って、それを本物らしく撮ったかのように見えるものがあるのだ。殆ど抽象的な空間の中に、かろうじてそれが「家」だと思えるように、椅子等最低限の家具が舞台装置のようにセットされ、時には本物らしさを増すために撮影者自身の人影まで導入する、そんな演出の下でリアリティとシミュラークルの境界に戯れるかのように。

  • 多木陽介『「家」ではない建築たちの写真──『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』刊行に寄せて』建築の建築、2020年

僕自身は多木浩二の建築写真を見て「模型っぽい」と思ったことはこれまでなかったけれど、言われてみると確かにそう見えなくもない(ただしそれを多木の建築写真の特徴とするには、同じ建築を同様のコンディションで撮った他の撮影者による写真が「模型っぽくない」ことを確認する必要があると思う。建築写真も建築模型も、実物の建築を縮減して写すという意味では同等の行為を前提にするので、どこかしら類似した印象を抱かせるのは不思議ではないかもしれない)。
しかし、多木浩二自身が意図して建築を模型写真のように撮ったということは、特定のカットで例外的に行われた可能性は否定できないとしても、おそらく基本的にはない気がする。多木の建築写真が他の建築写真と比べて特に模型写真のように見えるとすれば、それは多木が人より強く建築を抽象化して捉えていたためではないだろうか。つまり実物のディテールやテクスチャーを写すことは重視せず、空間構成や部材の組み合わせ方に主眼を置けば、それらはとりわけ建築模型で表現される要素なので、結果として模型を写したような印象を与えることもあると言えるかもしれない(実際の建築の空間よりも写真としての構図を優先させたような写真も、建築の体験的視点や撮影者の身体性から離れるという意味で、模型の印象に近くなるかもしれない)。そして一方では、撮影対象である篠原一男の建築が、そうやって多木に建築を抽象化して見る視線を要請したとも言えると思う。
そういえば『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』に磯崎新の建築を撮った写真を載せることはできなかったのだろうか。収録された4名(篠原一男・坂本一成・伊東豊雄・白澤宏規)の建築の写真と同様に、もし磯崎さんの手元に多木さんが撮った建築写真が残っていて、それを今回の写真集で借りられていれば、その効果は大きかっただろう。磯崎新の建築は篠原一男の建築と並んで初期の多木浩二にとって決定的に重要なものだったし、単に写真集の総量が増すというだけでなく、「篠原スクール」として括られる上記4名の建築を相対化するものとして、より多面的に「多木浩二の建築写真」の実体を示すことになったに違いない。また、多木が撮影した磯崎の建築は他の4名の建築と異なり住宅ではないので、その意味でも多木の建築写真の広がりを示し、なおかつ多木の建築写真を『生きられた家』(初版、田畑書店、1976)と絡めて語ることに対して一定の慎重さを求めることにもなったと思う。