先週の関西出張1日目。京都東山五条の河井寛次郎記念館(1937年竣工)。もともとは河井寛次郎(1890-1966)の自邸で、没後の1973年から記念館として公開されているという。館内で購入した冊子には次のように書かれている。

河井寛次郎が、現記念館である自宅を自ら設計・建築をしたのは昭和12年のことで、彼は47歳であった。昭和9年に関西を襲った室戸大風によって傷んだ旧居を解体し、日本や朝鮮の農家のもつ建築美を生かした自宅を新築したのであった。明治23年、出雲の安来にて、代々建築を業とする家に生れ育った寛次郎は建築にも深い関心と才能を持ち、発揮した。

前から訪れてみたかったのは、色んな人たちが口を揃えて良いと言っていたことに加えて、柳田國男柳宗悦をめぐる前田英樹さんの本で、河井が特筆されていたことにもよる。

河井の死後出版になった『六十年前の今』(昭和四十三年)は、「町の景物」に書かれたのと同じ郷里の思い出を綴った一冊だが、その筆はさらに冴えわたっている。本の前書きで彼は言う。「此等は私には過ぎ去つた事ではなく、今もまざまざそんな中に立つてゐる自分──時の経過の中にゐない自分を見るのはどうした事でありましやう」と。実際、過去が過ぎ去るということはない。過去はそれ自体で、まさに今人がいる場所に現存し、時として、人が作る物のなかにそっくりそのままの顔を出すのである。

じつは去年刊行した「現在する歴史」特集では、ある時期まで、吉田健一や大江宏とともに河井のことも扱えないかと考えていたくらいだった。引用した文で前田さんが指摘している「過去が現存する」ということは、まさにこの記念館にも見て取れるのではないかと思う。伝統的な素材や建築言語を用いながら、主屋の吹き抜けを中心とした回遊式のプランや、床のレベル差を生かしたそれぞれの場所の作り方、他の建物(陶房、茶室など)や回廊の配置と中庭の在り方などには、近代的な空間把握によるコンポジションの思考が感じられる。はたして「近代的な空間把握によるコンポジションの思考」というのが本当に近代に固有のものなのかという疑問も含めて、過去と現在が渾然一体となって息づいているような気がする(きっと河井の本業である陶芸や彫刻の作品にもこうした質はあるのだろうけど、そこを見極める目は僕にはまだない)。以下、写真7点。吹き抜けに置かれた家型の棚は、正面が神棚、側面が飾り棚になっている(ポストモダンに見出されたような複合性)。