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TOTOギャラリー・間「中川エリカ展 JOY in Architecture」を観た(〜3/21、事前予約制)。同時発売の『中川エリカ 建築スタディ集 2007-2020』(TOTO出版)のデザインは『建築家・坂本一成の世界』(LIXIL出版、2016年)と同じく服部一成さん。
その後、国立新美術館で「DOMANI・明日展 2021」のプレス内覧会。明日オープンし、3月7日まで。文化庁新進芸術家海外研修制度の作家たち10名の展示。下の写真は利部志穂さんの作品《巨人─海からやって来た人》。
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《国立新美術館》(設計=黒川紀章・日本設計、2006年竣工)に来るとつい写真を撮ってしまうのは、やはりこの建物にどこか魅力を感じているということだろうか。釈然としない。
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すこし前にある雑誌で発表された評論文がいかに受け入れがたいかについて書こうとしたのだけど、その評論の論理を分析したり評論対象の作品を見直したりしているうち、そうやってきちんとした作文をするために必要な手間がたいへんな徒労に思えて書くのをやめてしまった。その評論そのものには大した興味を持てないのだった。
ある作品をめぐって、自身の体験を下敷きにしつつ様々な抽象概念を用いながら独創的な展開で論を進めるその評論は、しかし刺激的な外見と裏腹に僕には特に得るものがない文章だった。その論が起点にしているはずの現実の事物(僕にもそれなりに思い入れのある作品)に対する直観のレベルで腑に落ちない点が少なからずあり、したがってそこから導かれる論に確かな手応えが感じられない。せっかくかなりの労力をかけて書かれただろう評論が、その評論対象の作品に近づくための手がかりにも足がかりにもなりそうにないというのは残念なことだ。
腑に落ちないというのは、たとえば著者が当然のごとくその作品を「幾何学的」と決めて話を進めているところが僕にはそう思えず、むしろどちらかというとあれは逆に「身体的」なのではないかと感じるといったようなことで、論理以前の根本的な認識の食い違いが散見される。この両者の食い違いは、第三者の立場からすると「正しいのはどちらか」あるいは「両者の認識はほんとうに相反するのか」といった見方がされるのかもしれないが、僕の立場にいる僕からすると、その評論の筆者は評論対象である作品や作家の存在よりも自分の思考や自分の文章のほうに重心を置いており、自分が思いついた論を成り立たせるために無意識のうちに評論対象へのまなざしを偏向させてしまっているのだと思われる。
このことはこの評論やこの著者に限ったことではなく、とりわけ対象を見るよりも自分を見せたくなる現代の消費的な情報環境において顕著な傾向として指摘できることだろう(だからわざわざ書こうと思った)。小林秀雄に言わせると、結局そこでは真にものと向き合っていない、すなわち考えるという行為がされていない、ということになるのだと思う。小林は本居宣長を引きながら「考える」という日本語の語源に触れ、「考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう」と述べている。同様のことは福田恆存や前田英樹も書いているけれど(2018年1月12日)、こうした思考自体は必ずしも本居宣長が起源というわけではなく、洋の東西を問わずに、「考える」ことと「考えているようで考えていない」ことが分かれ始めた太古の昔から、「考える」側によって多少の苛立ちとともになされてきた批判的思考だろうと思う。

彼[本居宣長]の説によれば、「かんがふ」は、「かむかふ」の音便で、もともと、むかえるという言葉なのである。「かれとこれとを、比校(アヒムカ)へて思ひめぐらす意」と解する。それなら、私が物を考える基本的な形では、「私」と「物」とが「あひむかふ」という意になろう。「むかふ」の「む」は身であり、「かふ」は交うであると解していいなら、考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。実際、宣長は、そういう意味合いで、一と筋に考えた。彼が所謂「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、彼の学問の建前からすると、物しりは、まるで考えるという事をしていないという事になるからだろう。

  • 小林秀雄「考えるという事」『文藝春秋』1962年2月(『考えるヒント2』文春文庫、1975年)

外的な拘束が何もない思考、いかなる懲戒もない思考、しっかりと定義された行為や作品を目指すことのない思考、そういう思考は、人間全体と調和するというその本当の性質を知らず、みずからを全能で万能だと容易に信じ込む

  • ポール・ヴァレリー「楽劇『アンフィオン』の由来」1932年、今井勉訳(『ヴァレリー集成Ⅴ 〈芸術〉の肖像』筑摩書房、2012年)

しかし一方で、仮に現実のものに対する偏向や浅慮があったとしても、その結果としての文章なり活動なりが刺激的であったり創発的であったりすればそれでよい、むしろ現実に縛られて常識の範囲でしか動けなくなるよりよほどよい、という見解もあるだろう。あるいは現代においてはそう考えるほうが多数派かもしれない。それに対しても反論なり限定なりしたい気はするのだけど、とりあえずそれはまた別の機会の話としておく。

ここ最近、家で観た映画。ヴィクター・フレミング『オズの魔法使』(1939)、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』(1959)、マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』(1980)、ダリオ・アルジェント『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(2007)、西川美和『ディア・ドクター』(2009)。その他、デイミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』(2016)は観るのを途中で挫折した。
『勝手にしやがれ』と『レイジング・ブル』は、学生の頃、「観ておくべき映画」と思い込んで観たけれど、今になって思えば、自分とはとくに関わりのない作品だということが分かる。尤もそれも、若い頃に「観ておくべき映画」をそれなりに観たからこそ実感できることかもしれない。

坂本一成先生の論説集『建築に内在する言葉』(編集=長島明夫、TOTO出版、2011年1月20日刊)が、今日でちょうど刊行10周年。大学の定年退職を記念した企画で、出版パーティーも予定されていたのだけど、その数日前に東日本大震災が起こり、パーティーも中止になったのだった。

その本もいつからか出版元で品切れになり、現時点では「日本の古本屋」でも1冊もなく(ヤフオクでもメルカリでも)、Amazonだと古書の最安値が1万円弱と、かなり手に入りづらくなっている。古書の品薄と価格の高騰は潜在的な需要の裏返しでもあるはずだけど、今の雰囲気からして今後の増刷は期待しにくい。
書き下ろしの序を除いて、収録されているのは過去に雑誌等で発表されている文章だけど、単行本化の際に校正には相当力を入れたので(僕のこの本での仕事はほとんどそこだった)、図書館で元の雑誌を当たるのなら、この本を借りて読むほうがよいと思う。初出時の文章との異同を確認する学術的な意味もたぶんあまりない。ただし特に第2部は、元の雑誌掲載のときのほうが図版が充実しているところがある。
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ホームセンターで買ってきた1×8材(1820mm)で、室内に植木鉢を並べるための台を作った。クリヤーのニスを塗り、小さなゴムの脚を付けている。

NOBODY毎年恒例の年間ベスト企画。

荻野洋一さんが挙げている、マリオ・プラーツ『生の館』(上村忠男監訳、中山エツコ訳、みすず書房、2020年、原著1958年)に興味を惹かれる。「蔵書と美術品に彩られた自宅という記憶の森を600ページ以上にわたって語り尽くす。まさにステイホームの金字塔的な、狂気の大著である。」

「生の館」(La casa della vita)は「生きられた家」と言い換えてもよいのかもしれない。実際、多木浩二は『生きられた家──経験と象徴』でマリオ・プラーツを参照している。「マリオ・プラーツは、部屋や家具の文化を辿りながら、きわめて明確に、家は人なりという古いことわざを肯定している。かれは「あなたの家がどのように見えるか言ってごらんなさい。あなたがどんな人間か話してあげますよ」とも書いている。」(岩波現代文庫、p.101)
ただ、そういう抽象的なレベルで興味を惹かれるとしても、具体的なレベルで本書を埋めているだろう数多の事物、その固有名の嵐に果たして立ち向かえるのかどうかという懸念がある。本体8,800円。まあとりあえず今度都会の本屋へ行ったときに探してみよう。


去年書評を書いた写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)に関して、編者による展覧会が開かれているらしい(トーキョーアーツアンドスペース 本郷、〜2/7)。以下、紹介記事。
architecturephoto.net
写真集の制作過程におけるリサーチの発表ということならば、写真集で明らかにされていなかった資料の情報も開示されているとよいと思う。つまり多木浩二はいつどんな建築の写真を撮っていて、それらはそれぞれどこで発表されているのか、また今回の写真集の写真はその全体のなかで質的・量的にどう位置づけられるのか(たまたま現存していた写真を集めているらしいのに、なぜ「多木浩二の建築写真」というタイトルを付けて全体を代表させられるのか)、他に現存する写真はないのか(例えば前に書いた(10月11日)磯崎新の建築の写真はどうか)など、写真集の制作/出版に必要なはずの基本的なこと。そういうところの不明瞭さが、あの写真集の捉えどころのなさや閉塞的な雰囲気の一因になっていた気がする。作家研究では誰しも行っているそうした客観的な情報の共有が、対象を歴史に開いていくことになると思うのだけど。

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昨日はその後、渋谷駅方面へ歩いて行くなかで《乗泉寺》(設計=谷口吉郎、1965年竣工)も訪れた。実はこちらもこれまで内部に入ったことがなかった。廻廊で繋がれた本堂棟・講堂棟・福祉館が中庭を囲むように配され、その中庭には池の上に六角形平面の霊堂が立つという構成。竣工時と比べると、中庭は生け垣で分節され、池は規模が縮小されているようだった(池はともかく、生け垣は中庭が取りもつ建築の一体感を損ねている気がするし、手入れの手間もかかるだろうから、なくてもよいのではないかと思った)。以下、写真6点。

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代官山ヒルサイドテラスに隣接する旧朝倉家住宅(1919年竣工)を見学。1947年に相続税への対応で売却され、農林大臣公邸や経済企画庁の会議所として使用された後、2005年に重要文化財指定。さすが内部はいろいろと見どころがある。2階の廊下に午後の陽が射していて、アーチが連続する西洋建築のような影を落としていた。

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南洋堂書店から山田脩二さんの新しい写真集『新版『日本村』1960-2020』(平凡社、2020年)が届いた。先日(1月6日)お店を訪れたときに買うつもりだったのだけど、ちょうど在庫がなく、それならばと山田さんの展覧会が開かれているkanzan galleryで買うことにしたものの、会場で実物を手に取ってみると思いのほか大きくて重く、持って帰るのが大変そうなので断念したのだった。28.5×28.5cm、442ページ、函入り、12,000円+税。

山田さんの写真は「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」でも多木さんの写真との比較で話題にしたし(動画後編56:10頃〜)、それなりに知っているつもりでいた。けれどもあらためて大判で印刷の質もよい写真集で観てみると、思っていた以上に引き込まれる。
建築関係者にとっては特に第1章「突出し始めた巨大建造物 1966-1971」が、いわゆる「これだけでご飯3杯はいける」という写真ではないだろうか。《霞が関ビル》《パレスサイドビル》をはじめとする12の巨大建造物が、設計者名は記されずに、建築家の作品というよりは都市の現象として、周囲の街並みとの対比のなかで捉えられている。一般にそういう写真は、建物の新旧や大小や高低の対比を際立たせてジャーナリスティックで告発調になりやすいけれど、山田さんの写真は不思議と中庸の品があり(山田さんに暴力的な都市開発に対する批判意識がないわけではないだろう)、都市の現象をありのままに見つめているような印象を受ける。
その客観的ともいえる全体のあり方は、同時に「主題」以外の魅力的な細部を写真に包含させることにもなる。山田さんの写真がどこまで「建築写真」らしいかはともかくとして、しばしばその超越性を批判される「建築写真」は、しかしその撮影者自身も超えるような超越的なまなざしを持つからこそ写し取れるものがある。たまたまその時そこにいた豆粒のような人々や電信柱の張り紙、場末の飲み屋の看板、空に浮かぶアドバルーン……(多くの写真で物干し台の洗濯物が目に付くのは、晴れた日に太陽を背にして撮影することが多かったことを示しているのだろうか)。そうして時を経た写真に残る小さなものに目を凝らし、思いを馳せるのも、机に広げた写真集をのぞき込む体験ならではという気がする。
 
以下、最近古本で買った『新アサヒカメラ教室4』(朝日新聞社、1979年)より。建築写真のパートの執筆者は、渡辺義雄・高井潔・山田脩二の3名。

 しかし、オーソドックスな建築写真は、撮影の対象とされたひとつの建物のみにあまりにも表現が集中しすぎてしまい、おとなしい優等生的な美しい建築完成写真になってしまう傾向が強いようである。エネルギッシュに変貌する都市や街の中の建物の表現が、ただ美しいというだけで、生きた姿から遠ざかってしまっては困ると思う。[…]
都市空間におけるドキュメントとしての“よい建築写真”とは、この不調和で、多要素が混在しながら膨張する都市へのまなざし(視点)なしには撮り得ないだろう。

  • 山田脩二「建築写真と都市空間」『新アサヒカメラ教室 4』朝日新聞社、1979年

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書類の整理中に出てきた。学生の頃、研究室で夜中に一人だったときに、どこかから引っ張ってきたテキストをレイアウトしてプリントアウトしたもの。20年くらい前。この当時は自分が入力した文字列がレーザープリンターで鮮明に出力されるだけで悦びがあった。いつのまにか俺も川島雄三が死んだ歳を超えてしまったかと思ったけどまだだった。


2月上旬の閉店が予告されている(11月17日)QUICO。社会状況や在庫状況を見据えつつ、現時点でまだ閉店日は決まっていないらしい。今の店舗部分にはまた別のお店が入る予定とのこと。
写真を縦位置で撮るのは苦手なのだけど、それは僕がズームレンズの標準〜望遠で撮ることを好んでいるせいもあるのかもしれない。iPhoneのカメラだとどうしても広角(35mm判換算で約28mm)になってしまうけれど、それで撮影位置を探りつつ強制的に構図を作ってみると、意外と縦位置でもうまくいく。
その後、電車で移動して竹橋の東京国立近代美術館へ。企画展の「眠り展:アートと生きること」と「男性彫刻」、所蔵作品展の「MOMATコレクション」(特集展示:岡﨑乾二郎「TOPICA PICTUS たけばし」を含む)を観た(いずれも〜2/23)。それから神保町の南洋堂書店に立ち寄りつつ、東神田のkanzan galleryまで歩き、山田脩二「新版『日本村』1960-2020──写真プリントと印刷」展を観た(〜1/24)。また緊急事態宣言が出るようなので、その前にいくつか行きたかったところを回っておこうと思った。