面付けされた校正刷りを展示するということは、写真の上下が逆さにされたり、見開きでレイアウトされた写真が真ん中で切られて半分ずつバラバラに見せられたりするということ。作者の望まないところで辱めを受ける写真。https://t.co/J0cA37gNPy
— 別冊『多木浩二と建築』 (@takikoji_arch) January 14, 2021
去年書評を書いた写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』(編=飯沼珠実、寄稿=今福龍太、建築の建築、2020年)に関して、編者による展覧会が開かれているらしい(トーキョーアーツアンドスペース 本郷、〜2/7)。以下、紹介記事。
architecturephoto.net
写真集の制作過程におけるリサーチの発表ということならば、写真集で明らかにされていなかった資料の情報も開示されているとよいと思う。つまり多木浩二はいつどんな建築の写真を撮っていて、それらはそれぞれどこで発表されているのか、また今回の写真集の写真はその全体のなかで質的・量的にどう位置づけられるのか(たまたま現存していた写真を集めているらしいのに、なぜ「多木浩二の建築写真」というタイトルを付けて全体を代表させられるのか)、他に現存する写真はないのか(例えば前に書いた(10月11日)磯崎新の建築の写真はどうか)など、写真集の制作/出版に必要なはずの基本的なこと。そういうところの不明瞭さが、あの写真集の捉えどころのなさや閉塞的な雰囲気の一因になっていた気がする。作家研究では誰しも行っているそうした客観的な情報の共有が、対象を歴史に開いていくことになると思うのだけど。