すこし前にある雑誌で発表された評論文がいかに受け入れがたいかについて書こうとしたのだけど、その評論の論理を分析したり評論対象の作品を見直したりしているうち、そうやってきちんとした作文をするために必要な手間がたいへんな徒労に思えて書くのをやめてしまった。その評論そのものには大した興味を持てないのだった。
ある作品をめぐって、自身の体験を下敷きにしつつ様々な抽象概念を用いながら独創的な展開で論を進めるその評論は、しかし刺激的な外見と裏腹に僕には特に得るものがない文章だった。その論が起点にしているはずの現実の事物(僕にもそれなりに思い入れのある作品)に対する直観のレベルで腑に落ちない点が少なからずあり、したがってそこから導かれる論に確かな手応えが感じられない。せっかくかなりの労力をかけて書かれただろう評論が、その評論対象の作品に近づくための手がかりにも足がかりにもなりそうにないというのは残念なことだ。
腑に落ちないというのは、たとえば著者が当然のごとくその作品を「幾何学的」と決めて話を進めているところが僕にはそう思えず、むしろどちらかというとあれは逆に「身体的」なのではないかと感じるといったようなことで、論理以前の根本的な認識の食い違いが散見される。この両者の食い違いは、第三者の立場からすると「正しいのはどちらか」あるいは「両者の認識はほんとうに相反するのか」といった見方がされるのかもしれないが、僕の立場にいる僕からすると、その評論の筆者は評論対象である作品や作家の存在よりも自分の思考や自分の文章のほうに重心を置いており、自分が思いついた論を成り立たせるために無意識のうちに評論対象へのまなざしを偏向させてしまっているのだと思われる。
このことはこの評論やこの著者に限ったことではなく、とりわけ対象を見るよりも自分を見せたくなる現代の消費的な情報環境において顕著な傾向として指摘できることだろう(だからわざわざ書こうと思った)。小林秀雄に言わせると、結局そこでは真にものと向き合っていない、すなわち考えるという行為がされていない、ということになるのだと思う。小林は本居宣長を引きながら「考える」という日本語の語源に触れ、「考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう」と述べている。同様のことは福田恆存や前田英樹も書いているけれど(2018年1月12日)、こうした思考自体は必ずしも本居宣長が起源というわけではなく、洋の東西を問わずに、「考える」ことと「考えているようで考えていない」ことが分かれ始めた太古の昔から、「考える」側によって多少の苛立ちとともになされてきた批判的思考だろうと思う。

彼[本居宣長]の説によれば、「かんがふ」は、「かむかふ」の音便で、もともと、むかえるという言葉なのである。「かれとこれとを、比校(アヒムカ)へて思ひめぐらす意」と解する。それなら、私が物を考える基本的な形では、「私」と「物」とが「あひむかふ」という意になろう。「むかふ」の「む」は身であり、「かふ」は交うであると解していいなら、考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。実際、宣長は、そういう意味合いで、一と筋に考えた。彼が所謂「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、彼の学問の建前からすると、物しりは、まるで考えるという事をしていないという事になるからだろう。

  • 小林秀雄「考えるという事」『文藝春秋』1962年2月(『考えるヒント2』文春文庫、1975年)

外的な拘束が何もない思考、いかなる懲戒もない思考、しっかりと定義された行為や作品を目指すことのない思考、そういう思考は、人間全体と調和するというその本当の性質を知らず、みずからを全能で万能だと容易に信じ込む

  • ポール・ヴァレリー「楽劇『アンフィオン』の由来」1932年、今井勉訳(『ヴァレリー集成Ⅴ 〈芸術〉の肖像』筑摩書房、2012年)

しかし一方で、仮に現実のものに対する偏向や浅慮があったとしても、その結果としての文章なり活動なりが刺激的であったり創発的であったりすればそれでよい、むしろ現実に縛られて常識の範囲でしか動けなくなるよりよほどよい、という見解もあるだろう。あるいは現代においてはそう考えるほうが多数派かもしれない。それに対しても反論なり限定なりしたい気はするのだけど、とりあえずそれはまた別の機会の話としておく。