昨日は学生のとき以来で、小金井の江戸東京たてもの園を訪問。一昨年は《すみだ北斎美術館》(2016年12月15日)、去年は《太田市美術館・図書館》と《太田市民会館》(2017年12月7日)を見学した日本工業大学大学院「建築文化リテラシー」の授業で、今年は学生の希望を受け、《前川國男邸》(1942年竣工、1973年解体、1996年移築復元)を観に行った。伊勢神宮を参照したという*1中心性・垂直性が強い南面のファサード(元の敷地は南側が崖で開けていたらしい)に対し、内部はそれを感じさせない、天井が張られた白い箱型の空間の組み合わせ。その外部と内部の不一致には興味を惹かれるけれど、この建築が竣工後すぐに発表されるようなものではなかったことを考えても、おそらくそれほど狙いすました「対比」の表現ではなかったのだろうと思う。この建築の充実は、モダニズムや伝統に対するコンセプチュアルな思考だけでなく、当時の材料や技術や慣習、使い勝手の問題も含めて、原理的で明確なヴィジョンがないまま総合的に検討されたからこその結果と言えるのではないだろうか。建築家自身の住まいであるという条件も、その不純な豊かさに寄与しているかもしれない。以下写真2点。

*1:中田準一『前川さん、すべて自邸でやってたんですね──前川國男アイデンティティー』彰国社、2015年

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旧中野刑務所(旧豊多摩監獄、設計=後藤慶二、1915年竣工)正門を見学。フェンス越しに裏側だけだけど、それでも全体のプロポーションやレンガの積み方に非凡なものが感じられる。僕も意見書を提出した(10月21日)存続の問題については、一昨日、中野区が保存の意向を示したらしい。

パナソニック汐留ミュージアムジョルジュ・ルオー──聖なる芸術とモデルニテ」展を観た(〜12/9)。ルオー(1871-1958)は生涯キリスト教をテーマにしたけれど、秘教めいた閉鎖性がなくて取っ付きやすい。一方、たとえば最近観たボナール(10月27日)などとは異なり、展覧会でたくさんを並べて観るよりも、それぞれ教会なり民家なりで1点ずつその環境とともに経験すべき作品という気にもさせられる。時系列やカテゴリーごとに相対的に観る必然性をあまり感じさせない。
下は今回の展覧会のメインヴィジュアルにも使われている《ヴェロニカ》(1945年頃)という絵で、「キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと向かう道で、ヴェロニカという女性が布でキリストの汗を拭ったところ、その布にキリストの顔の跡が残ったとされる伝説」()に基づいているらしい。乾いた土のように絵の具を盛り重ねた最晩年の絵よりも、このくらいの時期のみずみずしい色彩の絵のほうが今の僕には響いてくる。しかしその好みはいずれ変わるかもしれないという予感も抱かせる。


昨日は大江宏の建築を見学した後、そのまま歩いて神保町を訪れた。写真は東京堂書店神田神保町店。新刊の『建築と日常の文章』()をはじめ、『建築と日常』を広く展開してくれていた。建築の人間からすると、東京堂は立地的に南洋堂と三省堂に挟まれ、どうしても影が薄くなってしまいがちだけれど、他の芸術系や人文系も含めて丁寧な棚作りがされた名店。今年5月の『建築と日常』No.5()からツバメ出版流通()に取次をしてもらうようになったことで、こういうお店にも細かい単位で雑誌が届くようになった。


特別公開中の農林水産省三番町共用会議所別館(旧農林省大臣公邸三番町分庁舎、設計=大江宏、1956年竣工)を見学した。『建築と日常』No.3-4()の「現在する大江建築」(→誌面PDF)にはなぜか載っていない建物。旧山縣有朋邸の庭園に向かって開かれ、細い丸柱と薄いスラブの秩序が全体を規定している。その外観はスレンダーできれいと言えばきれいだけど、その後の大江建築と比べると、形式性の度合いが強いように思える。庭に面する東面と南面ではプランニング上の条件は異なるはずなのに同等の柱廊が巡らされているし、大臣公邸といういかにも機密性が求められそうな建物で、内部の間仕切り壁をまたいで外廊下から各室を覗けてしまうのはいかがなものかという気もする。2階の凝った造りの和室から庭園を眺めようとしても、その間に座敷とほぼ同じ高さの土足の柱廊を挟んでいるのは、内部と外部(建築と庭園)の親和性を意図したデザインとは言いがたい。大江宏においてこうした建築の形式性の優先が、同時期の《法政大学55/58年館》を経て、より体験のなかで現れてくる空間の重視に移行していくと言えるのかもしれない。以下写真2点。

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第二十七回文学フリマ東京が無事終了(また遅刻した)。6回目の参加で、売上げは以下のとおり。括弧内は前回以前の数字。

  • 『建築と日常の文章』……8部
  • 『建築と日常』No.5……9部(19部)
  • 『建築と日常の写真』……1部(2部/16部)
  • 『建築と日常』No.3-4……0部(1部/7部/15部)
  • 『日本の建築批評がどう語られてきたか』……1部(0部/0部/0部/10部)
  • 多木浩二と建築』……2部(1部/7部/4部/2部)
  • 『窓の観察』……2部(10部/6部/8部/13部/22部)
  • 『建築と日常』No.2……0部(1部/2部/5部/2部/9部)
  • 『建築と日常』No.1……在庫なし(在庫なし/在庫なし/在庫なし/6部/13部)
  • 『建築と日常』No.0……在庫なし(在庫なし/在庫なし/在庫なし/1部/2部)
  • 販売合計=23部(34部/38部/32部/34部/46部)
  • 売上げ=31,400円(47,300円/53,900円/49,700円/31,815円/48,990円)
  • 参加費=5,500円(5,500円/5,500円/5,500円/5,000円/5,000円)

今回は出店数が過去最多で、入場者数も過去最多だったようだけど、『建築と日常』の販売はかなり厳しく、前回からも大幅に落ちて、過去最少になってしまった。目玉となる商品をうまく設定できなかったのがよくなかったかもしれない。僕の出身研究室(大学4年次)である明治大学建築史・建築論研究室が隣のブースで初出店していたのだけど、交替で店番をしていた学生たち4〜5人がほとんどまったく『建築と日常』に見向きもしなかったのも、主観的かつ客観的に印象ぶかく残念なことだった。


号外『建築と日常の文章』が印刷所から到着。全56ページの薄い冊子だけど、A4サイズの大判の誌面に20万字近くの文字(一般的な書籍1〜2冊分程度)を詰め込んだ。判型にしろ文字組にしろ、文章をもっとゆったりと読みやすくすることもできなくはなかったものの、経費の都合や去年の『建築と日常の写真』()との相同性、それと自分の文集を自分で出版することの僭越さもいくらか意識にあって、このようなかたちに落ち着いた。自分の文集を自分で出版することは、たしかに行為として気恥ずかしい気もする一方、これまでの文章を1冊の自律的な本にまとめることで、「ネットの文」「編集者の文」「無名の書き手の文」といった先入観からすこし離れたところで文章を読んでもらえるのではないかという期待もしている。

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小学校の5〜6年次の担任だった先生が今年度で定年を迎えるということで、地元で同窓会があった。ほとんどが20数年ぶりに会う人たち。ちょうど多くが40歳に達して、それぞれ社会や家庭でそれなりの立場にいるだろうにもかかわらず、印象は記憶のなかの小学生の姿と大して変わらない。子供から大人への成長の幅などその程度のものなのか、ひさしぶりに会ってみんなが瞬時に子供の頃に戻ったということなのか、それとも記憶のなかのそれぞれの姿は知らず知らずのうちに自分とともに成長していたのだろうか。そもそも小学生の時から印象が大きく変わったような人はこういう同窓会に参加したりしないという原理がある可能性も考えられる。
下の写真は今日先生が持ってきてくださった、当時の「班日記」のノートの1ページ。新刊の『建築と日常の文章』のはしがき(→PDF)で、「小学校高学年の頃、担任の先生に「長島は作文は今いちだな」と言われたことがある。」と書いたのはこの先生のことで、そんなことを書いたのはそれを書いた時すでにこの同窓会が予定されていて、先生のことをなんとなく思い出していたからでもあると思う。しかし下の文は今いちというより、今の自分でも普通に書きそうなものだ。むしろ文体など今より闊達で魅力があるくらいかもしれない。ただ、これは他にいくつかあった僕の文のなかでもよく書けていたもので、他のはいかにも大人に受けることを狙ったようなつまらない文だった。この文にもそういう意識は多少あるのかもしれないけど、しかし視点の置き方として、ある程度具体的な実感がないと書けない文でもあるように思える。誰のどんな絵を思ってこう書いたのかはまったく覚えていない。この朱字を書き込んでくださった時の先生よりも、もうだいぶ歳を取ってしまった。

建築×写真

東京都写真美術館「建築×写真 ここのみに在る光」展を観た(〜2019年1月27日)。見慣れた写真も多いなかで、初めて見る原直久〈イタリア山岳丘上都市〉シリーズに目を引かれた。対象自体の魅力も大きいかもしれないけど、対象の魅力をそのまま魅力として感じさせるのも建築写真の重要な役割だろう。人物が入ると甘くなりすぎてしまう気もしたものの、客観的に撮られた写真は美しかった。
展示全体としては、有名な写真も多く出展されて見応えがある一方、良くも悪くもキュレーションの印象は薄かった(「ここのみに在る光」という副題だけど、光と影の表現が際立つ建築の写真が集められているというわけでもない)。収蔵作品を中心にした展示で、批評的な視点を設定するのが難しかったのかもしれない。世界初とされるニエプスの写真を指して、「写真と建築の関係は写真の黎明期の時代から密接にかかわっています」という指摘がされているわりに()、写真と建築の本質的な関係を探求するような志向はうかがえなかった(写真と建築の関わりが深いということは、建築を写した写真はそれ自体別段珍しいわけではなく、世の中に無数に存在するということでもある)。
写美の元学芸員である金子隆一氏は、かつて建築雑誌の連載で、一般的・芸術的な「建築を写した写真」と建築界の専門的な「建築写真」とを区別し、後者の「建築写真」は「写真史のなかに存在していない」と書いている(『建築知識』1994年11月号)。確かにそのとおり、「建築を写した写真」と「建築写真」は社会的に明確な棲み分けがされていると思うのだけど、しかしそれでも建築の存在を捉えるという点で通じるところがあるのは間違いないのだから、両者の性質や意味の相異を踏まえた上でなお個々の写真を同一平面上で見比べてみることに、建築写真をテーマにするひとつの確かさがある気がする。今回の「建築×写真」展はそうした問題系は曖昧にされていて、建築畑の人間としてはやや残念だった(出展写真は基本的に時系列で並べられていて、やんわりと「写真史」ないし「建築写真史」を感じさせるようになっているのだけど、その「歴史」はどこまで確かだろうか。例えば展示の最後が瀧本幹也さんの写真ではなくホンマタカシさんの写真だったとしたら、それだけでその「歴史」のあり方はずいぶん変わるはずだ)。特に写美は単なる写真ギャラリーではなく日本を代表する写真の研究機関でもあると思うので、今後の展開に期待したい。
鑑賞後、ミュージアムショップ(NADiff BAITEN)に立ち寄り、号外『建築と日常の写真』と、ついでに別冊『多木浩二と建築』の営業活動。『多木浩二と建築』は阿野太一さんによるテキスト「多木浩二の建築写真を通じて、写真と建築の関係について考える」を載せているほか、著作目録には多木さんの写真論や写真批評も可能な限り記載している。『アサヒカメラ』などいくつかの写真雑誌を通覧してチェックしたりもした。


二夜連続で飲み歩く。今夜はatelier nishikataの小野さんと西尾さん。1軒目から2軒目へハシゴする途中に、これもiPhoneで撮影。普通に撮るつもりが意図せず連写になってしまい、そのおかげでお二人の足並みがうまくそろったカットが撮れた。
下の写真はブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)図書館の本棚で、下段中央に僕が編集と執筆をした『建築家・坂本一成の世界』()が置いてある。文化庁の新進芸術家海外研修制度で1年間バンクーバーに滞在していた西尾さんが撮ってきてくださった。

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新刊の号外『建築と日常の文章』の表紙ができた。この10年くらいで僕自身が書いた文章を集め、去年の号外『建築と日常の写真』()と対になるようなものとして制作している。号外ということで今回も表紙のデザインは自分でした。『建築と日常の写真』でも書いたけど、縦位置の写真をあまり撮らないので、横位置2点で構成。11月25日(日)の文学フリマで発売予定です。

BSで放送していた、エリック・ロメール緑の光線』(1985)と『木と市長と文化会館 または七つの偶然』(1992)を観た。『木と市長と文化会館 または七つの偶然』のほうは初めて。風光明媚な田舎町に計画された文化会館の建設をめぐる喜劇で、ロメールのなかでも特に言葉が多くて知的な作品だと思う。恋人と比べたときの市長は保守的だけど町の教師と比べると革新的というように、保守と革新、右派と左派、現実主義と理想主義、文化と経済、都会と田舎、大人と子供といった二項対立を相対化して宙吊りにしていく。かといってそれで全体が虚無に覆われることはなく、それぞれの状況においてそれぞれの存在に真実があるように見える。白か黒か二元論で観念的に世界を切り分ける思考に対し、「偶然」を織り交ぜながらすぐれた平衡感覚で世界を動的に組み立てる。こういう作品を観ると、フィクションによって建築論や建築批評を展開することの可能性を感じる。

国立新美術館で岡﨑乾二郎さんと松浦寿夫さんによる公開対談「ボナールの教え」を聴き、「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」を観た(〜12/17)。「ボナールの絵には〈私〉がある」というときの〈私〉は、どちらかというと私小説的な〈私〉というより現象学的な〈私〉ではないかと思うのだけど、有名なマッハのイラスト()と例えばボナールの《ボート遊び》()の類似性みたいなところを指して、「ボナールの絵には〈私〉がある」と捉えたのではあまりにベタな気がする。しかもその場合の〈私〉は、具象画でしか成り立たないことになってしまう。対談ではボナールとロスコの類似性も語られていた。具象と抽象の両方で成り立ち得る〈私〉とはどういうものなのか。とはいえボナールの〈私〉にとって、具象であることはやはり決定的に重要にも思える。

岡﨑さんも松浦さんもこのバルコニーにあの人は描けないけどそれを描くのがボナール、ということらしい。とするとボナールの〈私〉は私小説的な〈私〉でもあるのかもしれない。

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