前に「感想」の不当な地位の低さについて書いたけど(2021年6月14日)、それと反対に「批評」という観念は一部で高く持ち上げられすぎている気がする。今の世の中でよく言われる「批評は大事」というのは、まあそうだろうと僕も思うけど、「感想」や「批判」や「評論」よりも「批評」のほうが偉くてかっこいいということはないだろう。それらは単に各文章の属性を示しているだけで、「よい感想」もあれば「ダメな批評」もある。またそれらは明確に区別できない場合も多く、わざわざ区別する意味がない場合も多い。
たしかに「批評」は、「感想」や「批判」や「評論」よりもすこし立場が上というか、メタレベルにあるような気がする。だから「批評」という観念自体がことさら権威化することで、より地道な「感想」や「批判」や「評論」をすっ飛ばして「批評」をしたがる人が出てくる。これも問題だと思う。
昔ある講評会で学生に対し、「みなさん、批判はよくありませんが批評は大切です」みたいに言われるのを聞いた。そうして「批評」と「批判」に線を引くのも間違っていると思う。そのような認識はむしろ双方を硬化させ、極端な肯定と極端な否定の二極化を招くことになるのではないだろうか。ある事象を否定的に扱うということはそれとは別の事象を肯定的に扱うということだし、逆にある事象を肯定的に扱うということはそれとは別の事象を否定的に扱うということだ。だからある事象について丁寧に言葉を重ねていけば、褒めるにせよけなすにせよ、何を肯定し何を否定しているかの両面が明確にされることになるのだから、結局どちらも同じことではないかという気がする。しかし今は何かを批判すると、それがいかに正当で良心的な批判であっても、即座にその当事者や関係者から敵認定されたり、傍観者から党派で括られたりということが起こる。批判自体よりむしろその空気のほうが殺伐としている。