市原出・岩城和哉・元岡展久・萩野紀一郎『建築/かたちことば』(鹿島出版会、2022年)を読んだ。東京大学香山壽夫研究室(1971〜1997年)の出身者による共著書で、香山先生も巻頭に文章を寄稿されている。
読んでいてなんとなく、坂本一成ほか『建築構成学』(実教出版、2012年)と、富永讓ほか『現代建築解体新書』(彰国社、2007年)が思い浮かんだ。どちらも大学の研究室の教え子たちとともに作られた本であり、特定の視座で多数の建築を分析するような内容。そうした共通の形式を持つためもあってか、各書籍にお三方それぞれの建築観が、弟子たちの経験や思考を介しながら表出しているように感じられて興味深い。香山・坂本・富永の三先生は現代を批判的に捉え、建築の文化を重視する点で相通ずるけれど、歴史性・体験性・抽象性・作品性などの比重の違いで3冊の表れ方が変わってきているように思える。坂本研本では抽象性(構成論)、富永研本では作品性(作品論)に重きを置いているとすると、『建築/かたちことば』は古今東西100超の建築が、執筆者の体験をもとに歴史的な存在としての意味も含めて捉えられており、やはり香山先生らしい*1
さらに本のあり方としても3冊は好対照だ。『建築/かたちことば』は共著書でありながら香山先生はその外部にいて、各著者もそれぞれ一定の独立性を保ちつつ作業するような構成になっている。一方、『建築構成学』はすでにそれぞれの大学で研究室を構えている弟子たちが集い、そこに坂本先生も参加して、たぶん当時の坂本研のゼミを再現するような議論を前提として本が作られている。『現代建築解体新書』は現役の学生たちと作っていることもあり、おそらく一個の建築家としての富永さんの建築観や歴史観が全体を統合しているだろう。こうした本のあり方も、いかにもお三方のキャラクターを反映しているように思える。
『建築/かたちことば』を開いてまず意外だったのは、写真がすべてカラーであることだった(本のテーマやたたずまい、出版元などから無意識に全編モノクロだと予想していた)。写真は執筆者自身が撮影したものが主だというけれど、建築家の視点で撮られ、魅力的なものも少なくない。各建築は右ページに文章、左ページに写真の見開き2ページで紹介されており、その構成の明快さとカラー写真の魅力は一般の読者も惹き付けるだろう(構成の明快さは分業のしやすさにも通じる)。ただ、ページを読み進めていくと、その写真だけでは文章/建築が理解できないという個所が散見された。おそらく掲載写真のみで理解できる文章を書くという意識が絶対的にあるわけではなく、一種の割り切りがされているのだと思う。今ならネットですぐに調べられるという言い訳は成り立つとしても、このあたりに「一般読者も想定した建築専門書」の難しさが感じられた。

*1:ただ、そうした態度は各建築の固有性や全一性を前提とするぶん、より抽象化・一般化されたレベルでの「かたちことば」というコンセプトは背景に退いているように見える。様々な時代や地域の建築、天才的な建築家の作品を対象にする全体構成も、バラエティに富んで読み物としては豊かだとしても、それぞれの建築同士に通底するものは見えづらく、あくまで事典的であり、辞書的ではない。香山先生にとっての建築の「かたちことば」の意味は、6年前のトークイベントでも語られていた。「言葉というのはある程度習えば下手でも使えるわけです。誰でも喋れるようになる。ゴシックの建築は、細かい色々な違いはありますが、ゴシックの方法を習えばゴシックの建築が作れた。古典主義の時代には、ルネッサンスの人たちが定型化したギリシア・ローマのかたちをきちんと習った。学校で文法を教えるように、例えばフランスのエコール・デ・ボザールはそうやって教えていたわけです。パリを埋め尽くしている古典主義の美しい建物も、そういう教育システムが作り出した。そうやってヨーロッパの近代の都市はできていた。しかし今行くと、新しい地区にはそれがない。パリの中心部、ロンドンの中心部は、今も昔と変わりません。僕が50年前に入ったパブに行くと、もう涙が出るくらい、カウンターまでまったく変わらないですね。だけど郊外はもう玩具箱をひっくり返したのと同じです。/ここから先は意見が分かれて、それがいいんだと言う人もいるかもしれない。要するにもうみんなギャアギャアと奇声を発して、それが楽しんだと、踊りたくなる、みんな勝手なリズムで踊ればいい、そういう考えもあるでしょう。しかしそれは言葉として原始的な状況に戻っているということです。そしてカーンは、そこでもう一回きちんとした言葉を持たないといけないと思った人です。彼の「沈黙」という言葉は、そこに向かっている。僕たちに聞こえていないけれども言葉は発せられている。だからみんながそれを理解するようにしたら、すこしずつ共通の言葉ができるのではないか。」(「建築と言葉の関係について──映画『もしも建物が話せたら』から考える」https://www.10plus1.jp/monthly/2016/04/pickup-01-2.php