建築の設計者名をメディアで表記するとき、実際に仕事を請け負った組織の名前にするのか、それともその組織を代表する個人の名前にするのか、その選択がしばしば問題にされる。去年読んだ(2020年11月1日)村野藤吾の『建築をつくる者の心』(なにわ塾叢書4、ブレーンセンター、1981年)にはこういう発言があった。

自営でなく、他所に勤めている人がこの中におられますが、その場合には、自分が担当したのを、自分の作品というのは、避けた方がいいと思う。やはり、事務所を代表している人の、その人の作品であるだろうし、そうでなければなりません。(pp.43-44)
担当者にある程度やらせる場合もあるし、そうでない場合もあります。ところが、それは等しく私の作品だと思っております。どこまでかかわれば自分の作品だとかいうものではありません。(p.44)

この村野の考えはおそらくあまり現代的ではなく、今日のインターネット上では「搾取」と言われて糾弾されかねないものだろう。ただ、村野の発言を見ると、作品を個人名義にすることで建築ジャーナリズムや建築史に自らの名前を刻みたいというより、むしろ極めて実務的に、建築は社会的な存在であり多くの人が関わるものだからこそ責任者としての自分の名前を冠しておく、というような意識があるようにも思える。このまえ(9月21日)見学した赤坂離宮の改修設計は世間で「村野先生の仕事」と認識されがちだったのではないかと思うけど(公式には建設大臣官房官庁営繕部+村野・森建築事務所)、完成時、村野本人は「なるべく(取扱いを)地味におねがいします」、「ただ建設省のをお手伝いをしたに過ぎない」と、自分の関わりを限定している(『新建築』1974年6月号)。
建築は社会的で多面的な存在だから、設計者名の表記をどうするかの判断は、その時々の状況や文脈によって違っていてよいと思う。ただ最近は(建築に限らず美術や映画などの分野でも)政治的・権利的な視点から、集団制作であることを重視する傾向が強い気がする。本当に大衆的なレベルでは「隈研吾」なり「安藤忠雄」なり少数の個人名が突出しすぎる構造があるので(たとえば地下鉄の渋谷駅の使いづらさを安藤さん個人の作家性に帰結させて非難するのはあまりに無茶だろう)、それを批判する意義はよく分かるけど、僕はやはり建築に特定の「作者」を見る視点も大切だと思う(それは必ずしも個人に限らず、コンビでもトリオでもよい)。
たとえば映画も大勢の人によって作られるものだけど、すぐれた監督の作品を何本か観れば、仮に作品ごとに出演者や脚本家や撮影監督といった重要なメンバーが違っていても、何かしら通底するものが感じられるはずだと思う。きっとオーケストラの指揮者なんかもそういうものだろう。クラッシック音楽に馴染みのない人(僕だ)は、指揮者によって何が変わるのかよく分からない。でも分かる人には分かる。というかそこで変わってくるようなものこそ芸術において大事なのだろうと思う。
そういうときの作家性=個性とは、どの建物も打ち放しコンクリートでできているとか、ファサードに板がくっつけてあるとか、そういう分かりやすいものではなく、もっと文化を湛え、時にそれとせめぎ合うようなものだ。たとえば伊東豊雄さんが最初に《みんなの家》(2011年)を作ったとき、それまでの伊東さんの作品と明らかに異なる保守的なかたちが話題になった。伊東さん自身にも「作家性のない普通のもの」を作ったという自覚はあったと思うのだけど、実際に建物を体験した妹島さんは、「あ、やっぱり伊東さんの建築だなと思った」と仰っていた。作家性とはそういう表れ方をするものでもあるだろう。
以下メモ。最近読んだ文章より。

名建築の設計を巨匠ひとりの功績に帰すことも多いが、そこにも注意が必要である。多くの建築家が考えつかないような形やアイデアを提案できる、独創的で際立った個性を高く評価するのは、ルネサンス時代からである。しかし、大規模な建物をつくることは、スタッフや、構造や設備の技術者、施工者、そして施主をも含む共同作業である。私は、有名建築家の弟子たちからいろいろ話を聞いてきたが、その際、「あれは私がやりました」といわれることもあった。しかし、その弟子たちの独立後の作品にはさほどの輝きが見られないこともあるので、それをそのまま受け入れることはできない。とはいえ、巨匠がひとりですべてを決めているわけでもない。