すでにたびたび引用(孫引き)してしまっているけれども(9月11日9月19日)、前に読んだ(8月21日)大塚幸男『フランスのモラリストたち』(白水社、1967年)からの流れで、同じ著者の『花咲く桃李の蔭に──モラリスト・島崎藤村』(潮出版社、1972年)を読んでみた。「わが藤村」という思いにあふれている。大学教授でもある学者がここまであからさまに一人の人物への思い入れを込めて本を書くのは今日では滅多にないことのように思える。アマチュア的とも言えるこの熱っぽい態度は、書かれている内容をすこし割り引いて読ませもするけれど、こうした態度自体がそのような読者を生み出す藤村という人をよく伝えるのではないかと思う(あるいはこうした私性の表出は著者がモラリストの研究者であることとも関係しているだろうか)。僕も藤村がいくらか身近に感じられるようになった。

 仮りに日本近代の作家のうち、モラリスト的作品を書いている他の二人──芥川龍之介(『侏儒の言葉』)、および亀井勝一郎(多くの人生論)──と比較してみるならば、芥川のは才気煥発ではあるがその才気は鼻につくところが多く、彼の言葉は再読・再吟味に堪えないものが少なからず、底の浅さは蔽うべくもない。亀井のは説教調の濃厚なのが難点である。しかも彼の人生論はいたずらに量的にのみ豊かで、じっくりとあたためられておのずから醸し出されたというところがない。
 そこへ行くと、わが藤村の感想集は一見、何の奇もないようでありながら、静かに味読すればするほど底知れぬ深さを湛えている。けだし藤村はわが国最大のモラリストの一人であろう。彼は筆を執れば、おのずから巧まずして、モラリスト的文章を書いた人であったのだ。(pp.11-12)

(志賀直哉は藤村を非難して、いかなる芸術家も妻子を犠牲にする権利はない、といった。けだし志賀のようなブルジョワ生活者には、藤村の悲しみの深さはついにわからなかったであろう)(p.45)

以下の一節は著者自身の言葉ではなく、藤村の『春を待ちつつ』(アルス、1925年)からの抜粋。藤村は芭蕉を好んでいたらしい。

 芭蕉には解りにくい句が多い。〔…〕私は自分に感知し得る程度にとゞめて、解らない句を解らないなりに繰返して居る。〔…〕芭蕉の句の解りにくいのは、結局、物を言ひ切つてしまはないところに落ちて行く。言ひ切るな、言ひ切るな、とは弟子に教へた芭蕉の言葉としても残つて居る。(p.100)

この藤村の一節を、著者はフランスのモラリストらの言葉──「私は本を読みながら、むずかしいところにぶっつかると、それをいつまでも考えてはいない。ひと突き、ふた突きあたってみて、あとはそのままほっておく」(モンテーニュ)や「あらゆる単調さの中でも、物を言い切ることの単調さは最も悪い」(ジューベール)などと関係づけている。このあたりは僕にも興味深い。