下の一連のツイート、あらためてこのブログでまとめ直そうかとも思ったけど、考えてみると特にそれをする意味は見出せなかった。
この件で槇さんが発言しなければならない理由はなんだろうか。新国立競技場のときは具体的な一個の建築とプロポーザルの話で、槇さんはそれに関する専門的な知見を十分に持ち、専門家として論点や代案を提示する能力ないし責任があった。今回の再開発計画は状況が大きく違う。https://t.co/d5BpIE5XDW
— 個人雑誌『建築と日常』 (@richeamateur) 2022年2月11日
ひとつ引っかかるのは、こうして神宮外苑の再開発について槇さんに発言の義務があると訴える人たち自身が、この再開発をどう考えているのか伝わってこないということ。少なくとも、現在の計画に大きな問題を感じているからこそ槇さんに知恵や力を貸してほしい、という雰囲気ではない。だとすると彼らは再開発に賛成する立場なのだろうか。しかし仮にそうだとすると、反対派であるべき槇さんの発言は再開発にとって不利になるものだから、槇さんに発言を求める行為は矛盾している。そして特に賛成でも反対でもないということなら、別に槇さんが発言しようがしまいがそれもどっちでもいいじゃないかと思えてしまう。