BOOK AND SONSのギャラリースペースで、安藤瑠美写真展「TOKYO NUDE」を観た(〜8/22)。


ネットで目にして興味を持った写真。都市の表面を洗い流したような、不思議なたたずまいの建物群。しかし実際に大きくプリントして額装されたものを観る意味は今一実感できなかった。紙の写真集にもなっているようだけど、展覧会や写真集をとおして作品を社会的に成り立たせることの重要性はさておき、写真としてはレタッチが施されたデジタルの環境でそのまま観たほうが、その作品性を十分に体験しやすいのではないだろうか。そのときのモニターのサイズも体験に大きく関わってくると思う。
建物の表面を修整するだけでなく、切り抜いて貼り合わせたりされているのも、僕にはあまりぴんとこなかった。おそらくその作業で意図されているのは視覚的・造形的なレベルでの面白さだと思うのだけど、建築の二次元的なコラージュとしては、その建築の文化的・記号的なレベルまで含めて構成された作品が昔からあるだろうから(そもそも建築の設計自体がコラージュみたいなものだ)、視覚的・造形的なだけだといくぶん弱い気がしてしまう。むしろ現実の物体の組み立てやパースペクティヴや重力を崩すことで、写真表現が扱いを得意としてきたはずの空間のリアリティから縁が切れてしまいかねないのではないか。僕自身が、現実の都市において計画的なものと自然発生的なもの(人工的なものと自然的なもの、無時間的なものと時間的なもの、必然的なものと偶然的なもの)が混じり合った結果あるいは過程としての空間のかたちに興味があるから、余計にそういうことを思うのかもしれない。
今後このシリーズが展開されていくのかどうか知らないけれど、建物の表面や表層は専門的な建築論としても昔から様々に論じられてきた厚みのあるテーマだろうし、それをデジタルの技術によって操作する手法には可能性があると思う。こうした表現は時代の必然とさえ思えるし、また新しい展開を期待したい。