ニュースになっている岸和田市新庁舎のデザインビルド(設計・施工一括発注)のプロポーザルの件、1次審査を通過した3社のうち2社を市当局の独断で失格とし(これを批判して審査委員の専門家のほとんどが辞任)、結果残った1社が公式に選定されたということか(梓設計・隈研吾建築都市設計事務所・大成建設・矢野建設共同企業体)。


失格になった2社の「違反」とは現実的にどの程度のことなのだろうか。部外者や非実務者にはなかなか分かりにくい。仮に刑事事件になるような誰の目にも明らかな違反ならば、たとえ市当局の独断で失格にしても審査委員はここまで強く出なかった気がするけれど、リンク先の元審査委員による文書では「さまざまな解釈が可能」とされている。
登場人物の配置や最近の世相からして、どうしても下のような例を思い起こしてしまう。最近読んだ本で知ったこと。

 記憶に残る派手なところでは、「日本武道館」がある。山田守がコンペで取った。
 このコンペは指名された4人で争う指名コンペだった。[…]
 審査委員6人が審査した。すると第一次審査でO氏(Oが付くのは2人いるがそれ以上は伏せられている)の案に5票、山田守の案には1票しか入らず、1対5で決定的に分が悪かった。ところが委員長はどうしても山田守を1位にしたい事情があった。これに触れると長くなるので省略するが、とにかく山田守に勝たせたかった。
 このまま決選投票に持ち込めば負ける。
 そこで委員長は、「最終審査は後日やり直す」と宣言して、決定を延ばしてしまった。
 そして最終審査までの間に、委員長は仲間の国会議員6人(武道館建設の理事でもあったが)に声をかけ、彼らを審査委員に加えて最終審査、決選投票をした。

  • 吉田研介『コルビュジエぎらい』画=岩辺薫、自由企画・出版、2020年、p.80

O氏は大江宏、審査委員長は松前重義らしい。松前は東海大学の創立者・理事長・総長であり、山田守とはふたりが逓信省時代からの知己で、山田は東海大学の理事・教授を務めつつ大学校舎の設計も担っている。本の著者の吉田研介さん(『建築と日常』No.5に寄稿していただいた)は1967年に東海大学の専任講師になり、その後教授まで歴任した言わば「身内」なわけだけど、この件で学術論文まで執筆する批判精神の逞しさ。