アッバス・キアロスタミの『トラベラー』(1974)と『ホームワーク』(1989)をブルーレイで観た。『トラベラー』は長編デビュー作として驚くほど完成度が高い。ただ、キアロスタミ特有のマジックのような詩性はあまり感じられず、ネオレアリズモを思わせるストレートでシビアな作品。この画面にみなぎる緊張感を巧みに解いていったのが後の作品と言えるかもしれない。
『ホームワーク』は一転してレトリカルな作品。ドキュメンタリーの制作主体を透明なものとせず(撮影対象の側からのカメラでやたらと見返される)、対象となる子供たちも、登校時の無垢的な子供、集会時の社会的な子供、そして薄暗い部屋で取り調べのようにカメラの前にさらされた個としての子供と、3つの様態を写す。そのことで映画を一元的な安定したパースペクティブに収束させず、当時のイランの教育や社会の状況をありありと浮かび上がらせるとともに、より普遍的なレベルでの子供というものの存在を照らし出す。
「大人になったらパイロットになりたい」と言う子供に、インタビュアーであるキアロスタミが「なぜ?」と問うと、「サダム(フセイン)を殺すため」という答え。それに対して「君が大人になる前にサダムが死んだら?」とさらに問い、あらためて考え込む子供──。