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東京ステーションギャラリーで「没後90年記念 岸田劉生展」を観た(〜10/20)。日本近代の絵画史をよく知らなくても、熊谷守一や岸田劉生の作品は、その良さにじかに接することができる。それはカタログの解説文で引用されていた下の文章における指摘が、岸田自身の作品にも当てはまるためかもしれない。

ゴーホやゴーガンやセザンヌの芸術は人格の芸術である。自我の芸術である。生命の芸術である。ゴーホやゴーガンやセザンヌの人格を見なければ、彼等の芸術は要するに「時に支配された新らしき」芸術に過ぎない。

  • 水野源十(岸田劉生)「興味の芸術及二つの自己、其他」1911年、『随筆ノート』

たしかに岸田の作品には、油彩から日本画まで、単にさまざまな絵画形式の流行的模倣というだけではない、それぞれの形式の文化的土壌まで含めて自分のこととして追体験しているような感じがうかがえる。上の画像は今回とくに印象深かった《路傍秋晴》で、死の前月である1929年11月に描かれた作品。晩年(といっても岸田は38歳で死んでいるのでかなり早いが)の作品が良いというのも、岸田の芸術が「時に支配された新らしき」芸術ではなく、人格なり自我なりに根ざした芸術であるということの証拠になるだろう。変遷する創作のなかで、自画像や麗子像、土と緑と青空の風景画など、特定のモチーフが持続している様子も、以前書いた「どの作品も大体同じ」系の問題(2017年2月6日2018年1月14日)に関連するものとして、僕には興味ぶかく感じられる。それは『建築と日常』No.5()でも、(岸田と親交があった)柳宗悦の言葉を引きながら、以下のように言及していたことだった。

しかし考えてみると、作品間の変化のなさを特徴とする作家が往々にして世の中の平凡なものをモチーフにしているのは興味深い。例えばジョルジョ・モランディ(1890-1964)の絵画や小津安二郎(1903-63)の映画を、その代表的なものとして挙げることができる。一見してどれもほとんど同じに見えるそれらの作品は、柳が言う「多種の作を欲するは自然ならず」の実践とも思える。吉田鐵郎を含め、彼らの作品はそれ自体決して平凡とは言えないが、ありふれた平凡なものをモチーフにしており、それが単なる題材という以上に、作家自身にとっても選択不可能であるような、作品の存在と切っても切り離せない関係を結んでいる。こうした創作のあり方に、平凡あるいは日常というものの一つの真実が内在しているような気がする。

  • 『建築と日常』No.5(特集:平凡建築)、2018年、p.87

白樺派(とくに武者小路実篤)と深い交流があったという岸田が書いた文章も、そのうちまとめて読んでみたい。今回のカタログにも「岸田劉生活動記録」(編=山田諭)として、膨大といってよいほどの岸田の文の断片が収録されているけれど、非常な労作とは思うものの、編者によってかなり細かく抜粋や中略がされているので、ニュートラルには接しづらいような気がしてしまう。岩波文庫に『岸田劉生随筆集』(編=酒井忠康、1996年)というものがあるらしい。