昨日の話との関連。下記のインタヴューで語られているような谷口吉郎の性質(二元性、曖昧さ、不純さ、割り切れなさ……)も、坂本先生と通じると思う。ただこの類似は東工大の系譜というより、両氏の性格や人間性によるところが大きいかもしれない(その間の二人──清家清と篠原一男の作品にもモダニズムと伝統の二元性は見られるとしても)。確かに谷口吉郎の時代には日本と西洋みたいな問題があったり、坂本先生の時代にはポストモダニズムの複合性みたいな問題があったりするけれど、それらもあくまで副次的な要因であって、それぞれの作家の作風を呼び覚ますきっかけのようなものだという気がする。

浜口 こうした二元性は谷口さんの建築作品の方面にもみられるような気がします。例えば戦前の作品ですが、工大の水力実験室とか慶応の日吉の寄宿舎とか、ああいうメカニックな合理主義的工業主義的な感じと、それからもう一つ、例えば藤村記念堂とか金沢の繊維会館とかいつたもの。こうした二筋があるような感じがします。
谷口 それは私が持つている作風の断面だと思うのです。作家の作風というのは死んでからでなくては本当にわからないものでしようが、私のは、いつも二元性を持つているように思います。このことはひとつには僕達の時代の性格だと思うのです。これから僕達の後の時代の人には少いかもしれないですが、例えばピカソはやはりそういう二元性を持つていたのです。ピカソ以後の人にはそれは或る時代的に克服された問題として消化されていく。だからそれは僕にとつて時代的なものであるとともに、個人的なものでもある。そういう点はヨーロッパでも、例えばオットオ・ワグナーなどもやつぱり二元性を持つている。スタインホーフ教会に対して、ウインの貯金局、あれははつきりと二元性です。
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 ものの巾とでもいいますか、即興詩もあれば、それから劇詩みたいなものもある。僕は一つに限つてみたいとは思わない。いい逃れするという意味でなくて。ものを割切つてしまうことは近代建築の発達時代にはそれでいいでしよう。例えば、合目的性一言でわかつたわけです。しかしいまとなつてくるとその合目性がもつと巾を持つていつていいのではないかという気がするのです。
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 だけど私があれをやつているのは完全だと思つてやつているわけではないのです。完全だと思えれば主張もできるのでしようが、もともと主張する勇気というものは本来、割り切ることのできないものを、ともすれば無理に割切つてしまうものだ。つまり素朴な英雄主義ですが、これは警戒しなければならないと思う。
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 今まで建築の中で建築を支配したものは宗教の権力だつたのです。現代宗教はそれを持つていない。それを支配するのはさつきおつしやつたように一つの世界観だ、世界観が一つの支配を持つている。世界観を求めるのは、もちろん理論的な型*1があり得るけれども、それだけとは限らない。僕は詩というものはよくわかりませんが、詩というものは割切つてしまわないことだと考えている。人間というものはそうみんな聖人、英雄じやないわけです。そしてこれは最近の気持だが、そういう詩精神をうちにもつて作品を創つてゆきたいと思つています。それをどう進めていくかがこれからの僕の課題だと感じています。

  • 谷口吉郎インタヴュー「谷口吉郎氏との30分」聞き手=浜口隆一、『新建築』1956年1月号

*1:郷土主義的デザインか合理主義的デザインかといったようなこと。坂本先生的にいうとイデオロギー