下記、谷口吉郎25歳の文章。どことなく貴族的な雰囲気がある谷口だけれども、若い頃にはかなり勇ましい批評文も書いている(分離派批判やル・コルビュジエ批判など)。ただそれでも若者らしく観念を振り回すというより、そうして観念を振り回すことを戒めるような文を書いているのが興味深い。

 お互いに論争をやったあとのあの空虚な感じ──啄木の言ったあの感じ。──しかも、言い合った同志が、気まずさを破って、相手の心の尖を、単語めいた語調でさすり合わねばならない、よそよそしい感じ。こんな感じが過去、いろいろと建築を語り合った自分達の内に残らないだろうか。
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 一体理論の君臨がどんな働きをするか。それを考えない者が、論客ぶった羅列の論理を振り翳し、しかも自身が用うる小児病性という言葉の意味をも判明していないのだから愕く。単に建築的という文字を冠詞として利用するだけで、理論の転用が成立するなら、こんな容易な駆引きはない。だから、社会の他の部門の初歩的な理窟が、建築の高等理論として事新しくニュース・ヴァリューをかち得、更にいわゆる「哲学的」という市場価値を安価に付けられて、厚顔にも建築論の尖端な、「話の輪」を捲いていられるのだ。認識不足な独りよがりの理論ほど片腹いたいものはなかろう。自身さえも飲み込まれていない内容を、言葉の形式で盛り上げる仕業は、他を混迷にし、建築を毒し、建築の健全な発展を阻害するばかりではないか。まさに筆を折るべきだ。

下は32歳、東工大助教授の頃の文。プロフェッサーアーキテクトの自覚。倫理観が強い。

 私は自身を広い意味で建築家と思いながらも、建築の公職にたずさわっている関係上、一般の建築家とは当然に立場が異なるべきものと自覚している。従って公務にある我が身が、実際の建築に関係することは、何か一種の余事にわたることのような感じさえする。それは実際の建築設計が「職業」として、建築設計者の生活権に関わることであるため、その生活権擁護のために職業建築家の立場が正当に主張されんとしている中へ、一個の自由建築家として設計に従事することは、何かその主張に、たとえわずかであるとしても、摩擦を及ぼすような危惧を感ずる。
 しかし、建築行為は職業であると同時に、その効用は常に一般生活への任務を意識しなければならぬ。それで私のごとき者がかかる建築行為への参加は、現実の建築に更に何か価値あるものを加えようとする探求の道においてのみその参加は許されることと思う。

大学に勤めながら設計の仕事をすることについて、以前坂本先生は下のようなことを言われていた。谷口吉郎から何か連続するものはあるだろうか。倫理的な感覚というのは、ある程度その人が学んだ環境で受け継がれていくものかもしれない。

 例えばこれは小さな例ですが、僕が大学で教師をしていた頃にも産学協同の話がありました。それが当時どんなふうに語られていたかというと、産業と結びついて研究のためのお金を貰うなんてとんでもない、産業と学問は独立しているべきものであると。つまりそれは、建築家が大学の外に事務所を持って活動するようなことも批判対象だったわけです。それに対して僕は、実際にはそんなに単純にはいかないのではないかと思っていた。で、すこし時間が経ったら、今や産学協同を成り立たせられない学者は学者として認められないというふうにまでなっている。大学の教員の実績というのは、いかに社会からお金を集めるかだと。もう本当に一八〇度の転換ですよ。全然信じられない、両方とも。