熊谷守一 生きるよろこび

東京国立近代美術館で、岡﨑乾二郎さんによるレクチャー「モリカズについて、いま語れることの全て」を聴き、「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展(〜3/21)を観た。昨日の話の流れで言うと、当然岡﨑さんは長いこと熊谷守一の作品に向き合っていて、自分の中に熊谷が生きている。ちょうどレクチャーの内容も、世俗的な紋切り型の熊谷像(「畳の上の水練」とまでは言えないものの)を相対化し、同世代および同時代の海外の画家の作品画像も多く用いながら、それらとの関係のなかに生きた熊谷守一のありようを位置づけようとするものだった。その意味でスタンスとしては3年前(2015年4月5日)のシンポジウム「歴史の停止」のときと通底していたように思う。
今日の岡﨑さんの話は、例えば僕がフィッシュマンズの音楽に忌野清志郎の音楽と重なるものを見いだす(11月17日11月30日)のと同型の行為の積み重ねに基づいていると言えるかもしれない。そう言うと「お前なんかと岡﨑さんが比べられるはずないだろ」と思われてしまいそうだけど、そう思わせるのはたぶん権威主義であって、むしろ岡﨑さんの作業は既成の美術史やジャーナリズムに備わる権威性を批判し、その作品に親しんでいれば誰でも素朴な実感として感じうるような作品同士の繋がりを、しかし膨大な知識と卓越した感覚によって美術史的なレベルで立体的に織りなしていく、というものではないかと思う。