下記、柳宗悦「「見ること」と「知ること」」(『柳宗悦全集著作篇第九巻』筑摩書房、1980年)より。初出は『工藝』102号(1940年3月)。

 見ることと知ることとは屢々違ふ。一致すれば之より幸なことはない。併し往々その間に縁が切れて了ふ。仕事の性質によつては之でも差支へはない。がひと度美学や美術史のやうな仕事になると、この二つのものの絶縁は又とない悲劇になる。こんなことは当然のことだが、案外この悲劇が省みられてゐないのは不思議である。似た例はいくらも挙げることが出来よう。信仰を味はぬ者が、信仰に就いて詳しい理論を有したとて、結局は一物を欠いて了ふであらう。そんな信仰論に権威は出まい。例へば不道徳な倫理学者があるとする。たとへその学者が卓越した頭脳の持主であつたとしても、彼の学説に最後の信頼が置けるであらうか。活きた真理に就いて何も摑むところがないであろう。だがこんな種類の悲喜劇の中で、最もこまるのは美に携はる者の場合である。私は有名な美学者にして、少しも美の見えぬ人の数々を知つてゐる。私は彼等の学問を信用しない。彼等は美学の学者であらうとも、美学者ではない。哲学の学者と哲学者とは区別されてよい。歴史に詳しい人を必ずしも歴史家と呼べないのと同じである。

 幾らもある例である。一枚の絵の解説を、かかる美学者や美術史家が書くとしよう。若し彼が直観の人でなかつたとすると、直ちに彼の解説に一つの顕著な傾向が現れてくる。第一彼は彼の前にある一幅の絵を必ず或る画系に入れて解説する。或る流派の作に納めないと、彼は不安なのである。絵はきれいに説明のつくものでなければならない。だから筆者・年代等の探求は何をおいても彼の重要な任務となる。彼は彼の知で凡てを説明し尽す時に満足を覚える。彼は彼の解説に不明な神秘を残すことを極度に恥ぢる。人は之を学者的良心と呼ぶ。併し省みると、それ以外に仕事がないからではないであらうか。又それ以上に仕事がないからではないであらうか。それつきりで果してよいものであらうか。又それで美の理解として足りるものであらうか。
 彼の文章はここでいつも或る特色を帯びる。例外なく私達が逢着する事柄は、彼がその絵の美しさを現すために、如何に形容詞に苦心するかにある。言葉は屢々大げさであり、又字句は異常であり珍奇でさへある。而もその言葉数が極めて多量である。彼は形容詞の堆積なくして美を暗示することが出来ない。之は彼の解説のまごうことなき特色である。
 だがなぜかういふ性質がいつも現れてくるのか。結局美への認識を概念で組み立てようとするからである。知ることで見ることに換へようとするのである。知ることで説かうとするから概念に訴へるより仕方がない。苦心する形容詞は概念の要求である。それは感じられた説明ではなくして、知られた解釈に過ぎない。感じが乏しい故に、強ひて形容を重ねて感じを装ふのである。感じが波々と溢れれば、形容詞で造り上げずともよい。それは言葉を越えた言葉を求めるであらう。形容出来るような美は、寧ろ深く感じられた美とは云へないであらう。

 見る力が知る力に伴はない時、即ち見る力が鈍い時、美術史家や評論家や、又は蒐集家は、当然一つの混乱に陥る。彼等に共通した現象は次の通りである。美しいものを讃へる彼等に誤りはないとしても、醜いものをまできつと讃へるのは惨めである。そのことはやがて美しいものを正当に讃へてゐるのではないといふことを告げる。彼等には美醜の見分け方が曖昧である。美の標的が握られてゐないからである。だから歴史に上すべからざるものをまで詳しく研究する。彼等は平気で美しいものと醜いものとを並在させる。謂はば価値判断がないのである。それが正確を得てゐる場合でも、まぐれ当りだといふに過ぎない。併しもともと美は「価値」世界であるから、価値標準に混乱があつたり、無標準であつたり、又非価値的なものが標準に入つて来たりすると、美への判断はその根拠を失つて了ふ。如何に巧みに美を説明したとて、的のはづれた美論に終つて了ふ。

以上、かつて引いた多木浩二の言葉を思い出させる(2012年5月25日)。このまえは特に触れなかったけど、「内容が重なる文がいくつも」ある(12月14日)というのも、柳宗悦ほどひどくはないにせよ多木さんにも言えることで、そのことは別冊『多木浩二と建築』()のなかでも示していた。柳宗悦多木浩二のキャラクターはかなり違うようにも思えるけれど、あるところでは重なっている。