東工大の塩崎太伸さんの研究室で開かれた「Utopia Night」()というイベントに参加した。塩崎さんと同門の中村義人さんの2人が中心になった建築記述研究会で、ユートピアの概念について調べているということで、その途中経過報告のようなプレゼンテーションがあり、その後自由に議論し歓談するというイベント。いきなり行って喋りすぎてしまったかもしれないけど、久しぶりに議論をした感じがあって楽しかった。僕は『建築と日常』No.3-4()の編集後記で引用したフィッシュマンズの「明日に頼らず暮らせればいい」という歌詞(「POKKA POKKA」)や、かつて多木さんが塩崎さんや中村さんの先生である奥山信一さんたちとした座談を例に出しつつ、理想主義の在り方を問題にした。それは理想主義を革新として捉えるか保守として捉えるかの問題でもあるかもしれない。

多木 […]もし建築家を特筆大書するなら、理想主義者であるべきだと僕は思います。そういうことを言うとアナクロニックに聞こえるかもしれませんが、どこかで理想主義者にならないとメタ原理も出てこないし、自己と他者の間の境界に対する解決も出てこない。そういうことを言うと、確かにアナクロに聞こえるけれど聞こえてもいいと思う。そう言えるくらいに世界がむちゃくちゃになっているから、もう言ってもいいんだという気がしているわけです。
[…]
奥山 建築の世界で理想主義を考えるとき、危ない方向に向かう可能性がひとつあると思います。建築は社会的な資本をかなり背負っているところが多分にあるので、全体主義とまでいかないにしても、その理想主義が社会を直接的に変革していけるという想念に直結することが、常に建築家の中での危険性としてあるわけです。僕たちはそうした事実を歴史的にも知っているし、それらが一体何だったのかもある程度知っているわけです。当の建築家たちあるいはその建築家をサポートした人たちが、最初からそうした危険な状態を目論んでいたのかどうかわかりません。おそらく後押しした人たちはかなりの確信を持ってやっていたと思いますが、建築家はどこか踊らされていた可能性がある。そうした危険性について思い巡らすたびに、社会と建築のつながりの恐ろしさに気づいてくる。理想主義がもってっているそうした側面を考えなければならないと思います。
多木 現代世界が一番めちゃくちゃなのは、あした戦争が始まっても不思議ではないところです。理想主義という場合、そこまで押さえている必要があり、それに反対する立場をとることを含んだ理想主義です。だから、それがないと、理想主義は明らかに全体主義的になりえる可能性を持ちえる。
奥山 戦争の問題もありますし、政治の問題もありますね。戦争までいかなくても、戦争に近いような政治があるわけです。
多木 現に身の回りにあるわけです。もうひとつ、これは建築が解決できるとは思わないけれど、いま人間の平等が失われていて、不平等がものすごく広がっている。だから、人権もどこかに行ってしまった。そういったことまで視野に入れた上で「理想主義」と言ったのですが、そういう理想主義はどこかで持つべきです。情報社会が人間に及ぼす影響と同時に、政治や経済や人間の存在の問題が建築に影響を与えると思います。それを解決する答えを建築の形であらわすことを言っているのではなく、そういうものなしにやると、いつまでたってもメタ言語は生まれてこないという気がするわけです。
 こんなことを言うとばかにしか聞こえないような言説ですけれど、僕はどうでもいいからそういうことを言いますが、建築の世界では、そこがあるかないかは情報社会を考えることと同じくらいのウエイトである。今人間も社会もおかしくなっているわけで、その中で建築をつくることは、人類の能動的な活動に意味を与えることができるかどうかという瀬戸際まで来ているわけです。

  • 多木浩二・奥山信一・安田幸一・坂牛卓「建てるということ──多木浩二と若い建築家3人との対話」『建築技術』2003年2月号

研究の成果は冊子としてまとめ、2017年5月7日の文学フリマ)で発売するとのこと。『建築と日常』の新刊の見込みは今のところないけれど、僕も久しぶりに出店してみようかと思った。それから塩崎さんは『建築家・坂本一成の世界』()の書評を書いてくださって、来月刊行の『SD2016』(鹿島出版会)で発表される予定。