昨日見学した《宮代町立笠原小学校》(1982年竣工)は、同じ象設計集団の設計で、同時期にすぐ近くに建てられた《進修館》(1980年竣工)()と比べても、格別によいものだと感じられた。そしてそれは単純にふたつの建築のデザインの差というよりも、社会における「小学校」と「コミュニティセンター」の存在の必然性の差に大きく起因するような気がした。それぞれ建てられてから30年以上経ち、様々な状況の変化はあるとしても、やはり建築はそれが建てられる目的や意志に、より深く根ざしているほうが強いのではないかと思う。ゴシックの大聖堂なんかは、歴史上まさにその顕著な例だと言えるかもしれない。

[…]エジプトのピラミッドや、インドの塔のような巨大な遺物を見ると、建築術の最も偉大な成果というものは、個人個人がつくったというより、社会がつくったのだということがわかる。建築術がどの程度まで原始的なものであるかを悟らせてくれるのである。そうした建築は、天才の頭から生まれたものというより、むしろ営々として働いた諸民族の努力の産物であり、民族が残した沈殿物であり、いくつもの世紀が積み重ねたものであり、人間社会がつぎつぎと発散させていったものの残り滓なのである。