日本工業大学大学院「建築文化リテラシー」の授業で、最近岩波文庫に入ったヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』(1831年発表)を起点にゴシック建築(と古典建築との対比や近代社会におけるその意味)について話し、その流れで学生たちと大学の近所にある《宮代町立笠原小学校》(設計=象設計集団、1982年竣工)を見学。期待以上のすばらしい建築だった。ゴシックについての授業と小学校の見学の日が重なったのは偶然だったけど、色々と響き合う点があって幸いした。
下は岩波文庫版『ノートル=ダム・ド・パリ』の宣伝文の一部。

〈宿命〉によって結ばれた登場人物たちが,運命にもてあそばれ,愛や情熱や嫉妬といった感情のドラマを繰りひろげる.

ここで使われている「宿命」や「感情」という言葉だけからでも、ユゴー(1802-85)の立ち位置がうかがえる。「宿命」と対立するのは「自由」や「平等」、「感情」と対立するのは「理性」といった言葉だろう。対立するのはみな近代のキーワードとされる言葉であり、そういった反近代的な色合いが濃い物語において、その中心にノートル=ダム・ド・パリゴシック建築)が置かれるのは肯ける。一方で、「宿命」や「感情」を表現するために、あくまで作者個人が超越的な視点に立って全体を操作する小説という形式が用いられているのも興味深い。これは同じく反近代的な立ち位置にいる象設計集団が、しかし計画学や幾何学を用いて(その土地の伝統的な建築とは極めて異質な形態を持つRC造の)建築を設計していることに通じるように思う。近代を生きるなかで近代を批判しながら創作をするという姿勢。
《宮代町立笠原小学校》は『新建築』での発表時、多木浩二が談話というかたちで批評を寄せている。当時編集長だった石堂威さんが、批評をより分かりやすくしたいという目的でインタヴュー形式の文章を増やしていた頃のものだと思うけど、実際多木さんの建築批評としては非常に分かりやすい。そこで多木さんは、笠原小学校には思想があると語っている。多木さん自身もしばしば言及していたユゴーは、かつて(15世紀に印刷術が発明されるまで)建築は「人類の思想を書き記した重要な帳簿の役目をつとめてきた」()と書き、そのことを論じていたけれど、この両者の主張の関係も、考えてみると色んな広がりを持つ興味深い視点になりそうだ。

思想は印刷されることによって、かつてなかったほど不滅なものとなった。空気のような、つかみどころのない、こわすことのできないものになってしまった。思想は空気に溶けこんでしまったのだ。建築が人知を代表していた時代には、思想は山のような建物に表現されて、ある時代と、ある場所を力強く占領していた。だが、思想は、今や鳥の群れと化して風のまにまに四方に飛び散り、世界じゅうのあらゆる場所をいっぺんに占めてしまうようになった。

[学校を設計する建築家が肝に銘じておくべきことは]どんな貧しい空間でも教育は立派に成り立ち得るし、同時にどんな立派な空間でも教育が成り立たないこともあるという認識です。ルイス・カーンだったと思いますが、教える人間がいて、教えられる人間がいればそこに教育の場ができる、という教育の空間の始源を語っていたことがあります。それはどんな学校建築でも、もっとも根底にひそむひとつの思想です。笠原小学校の場合には、そんなことを口にはしていないが、そういう思想がある。
[…]オープン・システムが良いか悪いか、たんに教室が閉じているか開いているかだけの比較を、他の計画との間でやってみても意味がないと思います。教室がひとつひとつ自立し、外部からの入口をそれぞれにもち、畳敷きのコーナーがあるなどという計画も、ここでは一貫した思想に支えられているから、十分納得がいくのです。

  • 多木浩二「学校のつくる宇宙」聞き手=編集部、『新建築』1983年9月号

以下、19世紀のユゴーと同時代に撮られたノートル=ダム・ド・パリ(写真=エドゥアール・バルデュス)。