先週の東工大キャンパス見学(11月11日)では、見学した建築のうち特に坂本一成先生の《蔵前会館》(2009、)について、学生たちに写真1点と批評文400字を提出してもらった。桑沢デザイン研究所での課題(5月12日7月14日)の形式を踏襲したもの。もともと授業としての設計課題が、都内で適当な敷地を選び、地域に開かれた日工大のサテライトキャンパスを設計せよというものなので、《蔵前会館》は用途や規模などで通じるところが多い。そのことを踏まえて、一緒に授業を担当している教授の武田光史さんが僕向きの小課題としてプログラムに組み込んでくださった。一連の工程は以下の通り。

  • 事前の資料配付(①坂本一成「新たな時代のキャンパスに求められるもの」『週刊建設ジャーナル』2002年1月14日号 ②坂本一成インタヴュー「建築にしかできないこと」『建築と日常』No.0、2009年9月)
  • 現地見学→数日後にメールで課題提出
  • 長島による添削→全員分のコピーを全員に配布
  • 後日、グループ(5人×4グループ)ごとに30〜40分程度のディスカッション

単に見学だけでなく、あるいは見学&課題提出や、見学&ディスカッションだけでもなく、このくらいまでやって初めてなんらかの勉強になるという感じがする。坂本先生の建築や最新の大学施設を学ぶというよりも、建築の見方や言葉の使い方を、自らの行為を通して学ぶことの重要性。全員分の文章&添削が配布されるというのも、自分の行為を相対化し、視点の広がりを得られるという意味で効果があると思う。そしてそのような前提において、坂本先生の建築は、単に設計課題との用途や規模の類似だけでなく、それが論理的・客観的に捉えやすい建築である点、また建築家自身によって多くの言葉が書かれているという点で、教材にしやすい。さらに《百年記念館》(1987)をはじめとする東工大の他の建築も合わせて見学できるので、ひとつの建築の固有性をより相対的に正確に捉えることも可能になる。
もっとも、こうした課題を設計製図の授業内でやるべきかどうかという話はあるかもしれない(歴史の授業なんかでもできると思うけど、というか桑沢では歴史系の授業でやっているけれど、人数として20人を大きく超えてくると難しい気がする)。特に設計の場合、言葉(論理)を重視するあまり、それに囚われて手が動かなくなるということが起こりえる。僕も学生の頃、どちらかといえばそちら側だったかもしれない。ただ一方で、やはり人間は言葉なしにはものを考えることもできないわけだし、今回の学生たちの提出物を見る限り、むしろ今の状態こそ言葉に囚われていると言えそうな気がした。
例えば坂本先生が肯定的な意味でよく使われる「中性的」「開放的」という言葉がある。しかし本当に「中性的」や「開放的」が望ましいことなのか、坂本先生の言葉に囚われずに自分なりに考えなければならない(日工大には坂本先生の弟子筋の方が多いので、学生にとって坂本先生は「先生の先生」だったり「先生の先生の先生」だったりする)。つまり「中性的」や「開放的」が「良い」というなら、じゃあ《蔵前会館》の隣にある東急ストアの建築は「中性的」だから「良い」のか、またさらにその隣にある《百年記念館》は「開放的」でないから「良くない」のかという話にもなり、それは自分たちの現実の実感から乖離してしまう。もちろん、だから坂本先生の言葉が間違っているというわけではなくて、坂本先生の言葉は坂本先生の思考の総体のなかで息づいている。坂本先生風に言えば、言葉を個々に独立した〈オブジェ〉としてではなく、様々につながった〈関係〉として捉えることが大切になる。
また例えば「現代の大学は地域社会とのつながりを求められている」というような、一見自明の事実であるかのようなおもむきの言葉がある。たしかに世の中の多くの人がそうした言葉を口にしているだろう。しかしそれもそのまま真に受けるのではなく、はたしてそのつながりを求めている主体は誰なのか、つながりが求められる理由はなんなのか、そもそもつながりとは具体的にどんなものなのか、立ち止まって考えてみれば疑問点はいろいろと浮かんでくる。
こうした曖昧な言葉を正確に捉えようとすることは、設計の足かせにならないばかりか、むしろ観念的な言葉の枠組みから自分を解放し、建築としてより確かな線が引けることにもつながってくるのではないだろうか。あるいは建築設計だけでなく、これから大学を出て生きていく上でも、基礎的な能力になるように思える。このあたりのことは一昨日書いた「正確な文章」(11月16日)とも重なってくる。別に小林秀雄が言うような文学的なレベルでなくても、若い頃に重要なのは、表面を取り繕って自分の言葉をうまくパッケージングしてみせる技術より、自分の言葉や自分の認識に鍬を入れて、それを耕すような経験なのだと思う。