東京藝術大学大学院映像研究科オープンシアター「ホン・サンス映画はどのように生まれるのか?」に行った。最新作『自由が丘で』の公開記念として、下記のふたつのプログラムでのイベント。

以前のオープンシアター(3月22日)の会場と同じで座席数も限られていそうだし(先着順)、すこし躊躇したのだけど、行って本当によかった。特別講義では、創作の真実に触れるような(あるいは僕がホン・サンスの映画に惹かれる理由が明らかになっていくような)、とても誠実な言葉が聞けたと思う。世界の豊かさを直観で捉えること、自己の視点はあくまでその豊かさを捉える一つの視点にすぎないこと、その視点を常に相対化し、常套的にならないように注意すること、世界の事物はそれぞれ別個に存在しているのではなく、それぞれの関係のなかで存在していること(それを撮ること)……
講義全体、ぜひ丁寧に文字にして公開してほしい。あるいは今日の講義のような内容のことを監督が書いたり喋ったりしたものがあるなら、ぜひ日本語にして発表してほしい。講義ではたびたび手元の紙にラフな図式が書いて示され(下記リンク先レポート参照。線が細くて客席からはまったく見えなかった)、そんなところにも監督の抽象的・空間的な思考が窺えるように感じた。
今日はこの先またとない機会になるかもしれないので、ぜひなにか質問(会話)をしたいと考えていた。終盤、客席にマイクが向けられた瞬間、図々しくも久しぶりに「ハイ!」と声に出して手を上げた。さすがに司会の松井さんも僕を指してくれた。あくまで素人である僕がこの場に寄与できる質問をするとなると、やはり小手先のことではなく、自分の日常や自分の人生に関係することでないといけないと思っていた。
質問は、講義で話題になっていた即興的な手法について。ジョン・カサヴェテスを引き合いに出して聞いた。両監督とも現場での即興的な手法によって生きたものをすくい取ろうとするのは共通するけれど、カサヴェテスがあくまでその対象の生に迫ることで普遍性に至るのに対し、ホン・サンスはその生きたものをもう一度引いて見ようとする、そのことは講義で話されたセザンヌの具象性と抽象性のバランスへの共感にも繋がると思うのだけど、基本的に即興が具象性に向かう手法であるなら、ホン・サンスはそこに抽象性を重ねようとする、そうやって物事を相対化して客観的に見るまなざしは、映画の制作に限らず、日常において監督自身が世界を見る見方なのか? 通訳を挟むにしてはちょっと複雑な質問だったかもしれない。監督には多少ずれて伝わっていたようだけど、それでも非常に丁寧に答えてくれた。
他に考えていた質問は、「セザンヌブレッソンの影響というくだりで、しかし作品の体験以外に、なぜその作家を好きなのか考えたり、個々の作家の評伝を読んだりすることには興味がないと言われていたが、監督がなんらかの作品を見る時、それはあくまで作品を見るのか、それともその奥にあるだろう作者という人間まで見るのか?(自分はホン・サンスの作品の奥にホン・サンスという人を見ている)」と、「監督の映画はいつも同じような日常の設定と筋書きだけれども(例えばロメールや小津のように)、ある種の革新性がないその繰り返しは、なにを意味しているのか?」。
nobodyのサイトにイベントのレポートが掲載されていた。