事前に《雲野流山の家》(1973)の図面と写真を見ていて気になったのは、これも西洋建築史のことが頭にあってか、主室の4.5m角の正方形断面がどのように体験されるのかということだった。特にルネッサンスの建築では、単純な比例関係がこれでもかというくらいに用いられるわけだけど、その幾何学性が現実の空間にどう現れてくるのか、図面と写真を見るだけでは今ひとつ実感がない。しかし結局《雲野流山の家》では、正方形の幾何学性はほとんど感じられなかった。そもそも断面における正方形は平面や立面の正方形よりも知覚しづらいし、《雲野流山の家》では左右の壁面の構成(開口の採り方)も違えば、正方形の内部立面が目に見えることもない。おそらくそのように幾何学性を打ち消す要素があるからこそ、坂本先生も正方形断面を用いたのだろう。ご自身でも正方形にそこまでのこだわりはなかったようで、むしろ天井高はもうすこし低くてもよかったかもしれないと言われている。
もうひとつ事前に気になっていたのは、2階からトップライトを介して屋上に上がる階段の扱いだった。日常的な用途や使用頻度の違いにもかかわらず、その階段は1階から2階へ上がる階段と同じ形式で連続的にデザインされている。それは有機的というよりも抽象的な扱いであり、次作の《代田の町家》(1976)に続いていく傾向のように思える。そのように階段を下から上まで同一の形式で設計することによって、2層吹き抜けの階段室/廊下のもつ空間性が明快になり、他の室との関係も明快になる。《代田の町家》でも間室や外室の空間性を明快にして、他の室との関係を明快にしている、ということを「《代田の町家》の危機」()では書いていた。
《雲野流山の家》と《代田の町家》の大きな違いとして、建築を構成する複数の室の関係が包含関係から隣接関係に移行したということが言われるけれど、そこで重要なのは、ヒエラルキーのある構成からヒエラルキーのない構成への展開というよりも(《水無瀬の町家》や《雲野流山の家》、あるいは《散田の家》(1969)がヒエラルキー構造に基づいているとしても、それぞれの住宅に階層性というものがもつ嫌らしさは感じられない)、坂本建築に一貫する「複数の場所の関係」が、可視的なものから想像的なものに移行したということではないかと思う。そしてその想像的な関係を可能にしているのが全体の抽象的な構成・骨格の強度であり、《雲野流山の家》の階段の扱いは、その兆しと言えなくもない気がする。《水無瀬の町家》では、たぶん全体はもっと有機的に構成されていた。