雲野流山の家

機会があって、《雲野流山の家》(1973)を見学させていただいた。坂本一成先生の30歳頃の設計作品。陸屋根のRC造で、内部の床に舗道用のブロックが敷かれていたり、発表時の文章で「無色で、無性格で非情な何も語らぬ空間」への指向が表明されていたり(「乾いた空間──即物性と存在性」『新建築』1974年2月号)、坂本先生の作品歴では比較的硬質なものという印象を持っていたけれど、実際訪れてみると、思っていたよりも《水無瀬の町家》(1970)および《代田の町家》(1976)との連続性が感じられた。
あらためて言葉にしてみれば、その3軒の住宅はいずれも銀色の外観をしており、背の低いカーポート脇の玄関を入って、建物の長手方向に走る廊下/階段室(トップライトが付く)を抜け、2層吹き抜けの主室に入る。主室は白いペンキが塗られた壁で大部分を囲まれつつも、一つの面はガラス戸を挟んで庭に接していて、それと向かいの壁に大きめのハイサイドライトがある。また、主室を上から見下ろせる小さな場所が一つ以上ある。さらに《水無瀬の町家》と《雲野流山の家》には主室と庭や台所との接続の仕方に明らかな類似があって、《雲野流山の家》と《代田の町家》では、どちらも主室の短手方向、頭のすぐ上に、幅の狭い水平材が架かっている。床でもあり覆いでもあるその水平材は、主室の吹き抜けの空間の一部を上下に分節し、主室の大きなヴォリュームを相対化しながら、水平材自体の上部と下部に、それぞれ質が異なる親密な場所をつくっている。
こうした複数の作品の共通性・連続性は、坂本先生の作品歴において、おそらくこれ以外の作品群でも指摘できることだろう。ふと、例の講義のために最近読み漁っている西洋建築史の描かれ方が頭に浮かんできた。たとえばブルネッレスキのサン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂や、ミケランジェロメディチ家礼拝堂とロレンツォ図書館前室、パラーディオのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂とイル・レデントーレ聖堂など、前作のかなりの部分を踏襲しながらも、そこに課題を見いだし、テーマを展開させる。こうした西洋建築史の進化論的な記述は、そこで論じられているほとんどの建築を訪れてもいないので十分慎重に受け入れなければいけないけれど、しかし現実的に多くの条件が異なるはずの個々の建築において、それでも作家が自分のものとして実感をもつテーマを展開させていく様は、その作家の創作行為の確かさを示すひとつの指標になるように思える。単にテーマを展開させるだけではなく、前作の一定以上の要素を踏襲するということも、建築の保守的な本性からすると重要かもしれない。
《雲野流山の家》は、前掲の『新建築』1974年2月号のほかに『都市住宅 住宅第6集』1974年5月臨時増刊号でも新作として掲載されている。その号の巻末に載っていた坂本先生の短い談話(《雲野流山の家》とは直接関係ない)が、上の話とも絡んでくるようで、あらためて読んで面白かった。以下、その前半1/3程度。

今はどういう建築的状況かってきかれても、ぼくには答えにくいんですよ。とくにジャーナリズムでは整然と状況の移り変りがあるように説明してきている傾向があるし、建築家や評論家のなかでも、自分の仕事をつねにそういった状況と結びつけて説明する人はいるようですけれど、ぼくはその辺と関係がなかったものだから……
近頃改めてル・コルビュジエってすごいと思っているんです。それもまたアメリカでの初期コルビュジエ再評価とは違う意味でなんですが、これまで本や教科書で知ってきたコルビュジエ、のり超えや攻撃の対象にしてきたコルビュジエ、どれもコルビュジエのごく一部にすぎなかったのではないかということを、図面を読み直したり、新らたに撮られた写真などを見て、感じるんです。ぼくは実際に見たのは、パリのスイス館とブラジル館だけなので、ラツーレやロンシャンのコンクリートの荒さ、それが厳密な空間構成のなかで使われていることに今更驚いているんですが……
こういうことは、あくまでぼく個人の範囲内で起っているわけですから、現代建築の状況というようなことには結びつきようがない。つまりいろいろな建築が次々と評価されていく現象を、建築の一手法としてみるか、現代建築の中心的流れがそこに集中しているとみるかは、きわめて相対的な問題ですから、近代建築の終焉などといっても、はじめからそういう説明の仕方と関係なければ、終焉とも関係ないんですね。(「PEOPLE」p.139)

「状況」に依存しない創作の自律性。これに続く後半部分も、ではなにが建築を建築たらしめるのか(なにが建築の問題ではないのか)ということが語られていて興味深いのだけど、ともかく坂本先生のこうした認識が、前の作品と次の作品との共通性と連続性を保障するのだろう。この坂本先生の認識はおそらく現在も変わっていないし、最近よく引用するT・S・エリオットの「歴史的感覚」(「過去がすぎ去ったというばかりでなくそれが現在するということの知覚が含まれるのであり、またこの感覚をもつ人は、じぶんの世代を骨髄のなかに感ずるのみならず、ホメロス以来のヨーロッパ文学の全体が──またそのうちに含まれる自国の文学の全体が──ひとつの同時的存在をもち、ひとつの同時的な秩序を構成しているという感じをもって」)を、そこに見いだすこともできると思う。