『映画空間400選』について昨日書いた建築界での位置づけみたいなことは、基本的に僕の建築系の編集者としての考えだけど、建築関係以外の読者には、そういったことは特に関係なく手に取れるような本になっていると思う。去年、結城さんと2人で書いた「建築と日常と映画30作」という記事をきっかけに「建築と映画の夕べ」というイベントをやることになって、その会場を貸してもらう相談をINAX出版の高田さんにしたときに打診された建築と映画に関する本の企画は、しかし「建築映画」ではなく「映画空間」というタイトルになった。「建築」をタイトルに入れることにもメリットはあると思うけど、本のイントロダクションで結城さんが書いているとおり、「空間」はより多様な映画のあり方を許容するし、今回の本の意図と内容に即している。
「空間」は「建築」より建築専門外の人が馴染みやすいにしても、一方でその言葉は過度に曖昧になってしまう恐れもある。例えば雑誌の『批評空間』の「空間」のような、かなり抽象的なものとして受け取られることで(本の主旨としてはその「空間」も含むのだけど)、本のコンセプトが却ってぼやけてしまうのではないかとも考えた。けれども、「映画空間」の後ろに「400選」を付けることによって、個々の「空間」が微妙に具体性を帯び、曖昧さを避けられるように思えた。「400」だと危ういけど、「400選」なら大丈夫という気がした。タイトルに数字を用いることは、本のイメージに客観性や形式性をまとわせることでもある。
あくまで一方の建築の側から見てのことだけど、建築の出版物と映画の出版物はあり方がすこし違う気がする。それは建築の本の多くが学生を含めた専門家向けであり、また建築がアカデミズムのなかで体系的に確立していることに対して、映画の本の多くは一般向けであり、映画が建築に比べれば多様な評価軸を許容していることと関係しているだろう。その両分野のあり方それぞれの良し悪しはともかく、映画のガイドブックが数多くあるなかで、今ひとつ決定的なものがないように見えるのも、そうした前提によるのだと思う。もちろん、決定的なガイドブックなど作り得ないだろうと思う。だから「空間」という切り口に特化し、建築の専門家が多数参加して、本屋の映画の棚で異物感を放つこの本は、そのあくまで限定的なあり方のなかで、映画の読者に対してもなんらかの拠り所になる価値を見せられるのではないか。そしてそのときの「空間」というテーマは、例えば「社会」や「政治」、「大衆文化」、「ジェンダー」などといったテーマよりも、「映画そのもの」に寄り添えるものではないかと思う。