松江泰治写真展「ギャゼティアCC」をキヤノンギャラリーSで観た(〜3/7)。去年の写美の展示(2022年1月18日)とわずかに重なっていたかもしれないけど充実の内容。細部まで存在感をもって写し出す大きなプリントで、これと比べると豪華な大判の写真集()もサムネイルに見えてしまう。
会場全体は暗く、個々の写真のみを浮かび上がらせるような照明なので、細部を見ようと顔を近づけると画面に自分の影が映ってしまう。それは作品の性質からして必然的に多くの人が経験する現象だと思うけど、なにか積極的な意図はあるのだろうか。あるいは理想的にはプリントではなく、同等の大きさ/細密さで画面自体が発光するモニターでの展示が適しているのかもしれない。
また理想的には、画面に写るものすべてを無限遠から等価に捉えるのが本質であるような作品群だと思うのだけど、比較的近距離から俯瞰で撮られた写真(ヒマワリ、ペンギン、お墓…)は、ことさら手前が大きく後ろが小さく写っていて、遠近法的な秩序が画面を覆っている。これは作者にとって他の空撮などの均質的な写真と区別されるべきものではないのだろうか。しかしその比較的近距離から撮られたもののうち、エルサレムの嘆きの壁の写真()は印象深かった。この写真家にとって珍しく意味性が強いと思われる写真。嘆きの壁に対して水平に立つ壁と直角に立つ壁。この2枚の新しい壁を含む空間の全体を俯瞰する。