たとえば人間の平均寿命が50歳だった時代と比べ、現代は進歩したと幸福に感じたり昔の人を憐れんだりする人は多いかもしれない。だがもしいま100年後の人がやってきて、「未来の平均寿命は120歳だよ」と言われても、自らを不幸に感じる現代人は少ないのではないかと思う。「90歳で死ぬなんて可哀想」と言われても、大きなお世話だと思うかもしれない*1。だとすれば昔の人も「50年生きれば十分だ」と考えていたかもしれず、現代人から憐れみを受けるいわれはないことになる。
おそらくこれは単に寿命に限った話ではないだろう。現代において前時代的と批判されるような社会制度や社会通念も、過去においては人々に当たり前に受け入れられ、それぞれの人生の土台になっていたというものはあるはずだ。もちろん当時においてもひどいと言うほかない社会制度や社会通念はあっただろう。実際にどうだったかは想像するほかない。しかしそうした別の時代の人間への想像を欠き、観念的・画一的に他者を不幸だと決めつけるのは、現代の特権的な立場からの傲慢だと思われる。

*1:あるいはそれは僕がいま40代だからそう思うのであって、80代ならばまた別の感じ方をするだろうか。