批評家は、うっかりすると、すぐ作家の回りをブンブン回る蠅になってしまう。作家の付属品になってしまう。付属品になってしまえば、実は公平な批評というものは存在し得なくなる。流行作家の腰巾着になる。あるいは流行出版社のお出入りそば屋になる。出前一丁、「ざる」といったら「へい」といって解説的批評を書く、「天ぷらそば」といったら「へい」といって批評的解説を書く。それでも暮らしは立ちますよ。暮らしは立ちますけれども、それじゃ批評じゃないじゃないですか。ただの売文じゃないですか。

  • 江藤淳「小林秀雄と私」『文化会議』1983年9月号(『批評と私』新潮社、1987年)

さすがにたとえも気が利いている。江藤淳は今までほとんど読んだことがなく、読みやすそうなものを図書館で借りてみた。