先週の事件以来よく聞かれる「暴力は許されない」という言葉がなんとなく腑に落ちない。具体的に誰が誰の暴力を許さないのか、その人が許すのと許さないのとでは現実に何がどう異なるのか。法で裁かれ刑に服せば許すのか、それともそれでも許さないのか。多くの場合、その辺りのことがぼんやりしている。むしろ「暴力は許されない」と盛んに口にする人の大多数は、その暴力を許すよりも先に忘れてしまうのではないかと思う。忘れないまま許さずにいるのは大変なことだろう。それは基本的に、個々の暴力をごく近くで自分のこととして感じた人にしかできないことではないかという気がする。
下の小林秀雄の講演では、伝聞の伝聞というかたちで、ある殺人者のことが語られている。そこでは「暴力は許されない」とは決して言われない。とはいえ暴力を正当化するわけでもない。ただ人間の人生の問題として、その出来事を安易に解釈することなく、記憶し、噛みしめている。

下記リンク先、講演で引用された柳田國男のテキスト(「山に埋もれたる人生あること」『山の人生』初版1926年)@青空文庫。