たとえば小池百合子や竹中平蔵だと、私利私欲という絶対的な行動原理が分かりやすい。しかし安倍晋三は、基本的にはやはり私利私欲だとしても、ときおりその行動原理に反することをするように見える。客観的に見て明らかに自分の得にならない、それどころか自分の首を絞めることになるようなことでも、それをせずにはいられない。それは単に彼の知性の低さだけによるのではなく、子供じみた意地というか、ある種の他者への根本的な恨みがあるのではないかとさえ思わせる。他のことがどうなっても、ただただ自分が相手よりも上であることを示したい。
国の政治家、それも内閣総理大臣がそのような態度でいること自体が致命的な問題に違いないけれど、それとの相関関係はさておき、今は世の中の政治をめぐる態度が同様の方向に傾いているように思える。つまり、ただ単にそれぞれが信じる「良い政治」の認識のずれが対立を招いているのではなく、またそれぞれの私利私欲の衝突が対立を招いているのでもない、「あんなやつらの言うとおりにはさせない」という、政治の具体的内容を欠いたポジショニングの意識だけがその人の態度を自動的に決め、空虚な対立を生み出している。少なくともネット上では、そうした現象がかなり蔓延している気がする。対立が空虚だからといって、解消しやすいかというとそうでもなく、一方にとってはもう一方から意見されること自体が気にくわないのだから、そこで言葉の可能性は閉ざされている(別に対立しているのはふたつの勢力だけではないし、同じ勢力同士に見えても単に「敵の敵は味方」という程度の集合で、必ずしも個々に信頼関係があるわけではない)。