昨日引用した発言で富永さんが言っているような建築とメディアの状況は、まともにものを見る目がある人ならみんな分かっていることだろうけど(それに対する態度は人によって分かれるにしても)、富永さんの研究対象である吉田五十八も、50年以上前、それこそ富永さんの学生時分に同じようなことを書いている。『饒舌抄』(中公文庫、2016年)より。

 建築家の洋行土産のスライドも、近来はすこし、鼻についてきたようであるが、このスライドを見ながら、色々のことを、質問してみると、案外わからないことが多い。そのくせ、本物を見ているのだから、わかっているはずだと思うのであるが、そうでないのだから、不思議である。よくよく、これを考えてみると、写真をとることばかりに専念して、肝心の本物をよく見ていない、のである。つまり、あの小さな、ファインダーの穴を通してのみ、外国建築を見ていた、ということになる。[…]
 若い建築家が、京都奈良へ古い建築の見学に行った報告を、よくきくのであるが、どこのお寺の柱はどうだとか、長押はこうだとか、廻りぶちが何センチあったとか、そんなデーターばかり報告して、肝心の古建築全体からくる感じを、一向につかんでこない。その雄大なる構想とか、何百年の歳月からかもし出された、言うに言われない、格調からくる味わい、といったものを、感得することが、見学の眼目であるということを、忘れているようである。

  • 吉田五十八「スライド建築家」『室内』1962年1月号

 これはまた芸とは方面違ひの建築の話であるが、私の若い頃、ある古老からきいた話に住居でほんたうに良く出来た家と云ふのは、こんな家を云ふのですよ、と老人の表現をそのまま記せば「かりにある人が家を建てて新築開きに招ばれたと思召せ、その家に這入つたとたん、ああいい家だ、何と云ふ気持のいい普請だらう。かう云ふ家に一遍でもいいから住んで見たい、と心に思ひながらつい長居して、さてこの御宅をお暇して自分の家に帰り、今見て来たばかりの家を思ひ出して見ると、どうも、何処がどうと云つて取り立てていいところもないし、さてまた嫌なところは一つもなく、唯何となくいい気持の家だつたと、頭に残るやうな家がほんたうに良く出来た家なんですよ」ときかされた。

  • 吉田五十八「隠された芸のやま」『文藝春秋』1952年11月号