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『「自画像」は、どう探求されたか──特別展「日本建築の自画像 探求者たちの もの語り」記録集』(香川県立ミュージアム、2020年)をいただいた。『建築と日常』No.3-4()の大江宏関連の企画でご協力いただいた富永讓さんと石井翔大さんが参加したシンポジウム「大江宏の建築を語る」の記録が収録されている。種田元晴さんが『建築と日常』No.3-4に言及してくれていた。熱のこもったシンポジウム。

富永 そうではない、大江さんはもっと民主的な精神で、建築が一人一人の人間にどういうふうに働きかけているか、ということをクローズアップしていた。だから、分かりにくくなった。分かりにくい、というのもおかしいんだけれども、今はメディアの社会でしょう。メディアの社会だから、写真に写らないものは無いも同然というわけですよ。[…]みんな建築を「見てきました」、「知っています」と言うんだけれども、みんな人差指でぱっとスマホの画像をたぐってみただけ。それだけの経験なんです。[…]だから、逆に建築家そのものの今のアクチュアルな状況というのは、メディアが喜ぶものを造らないと売れない、という状況があるんですよ。それは、大江さんが言っている建築とは、全く正反対のもの。メディアの中に出ている写真とかいろんなものというのは、お札でいえば偽札みたいなものだ。だから、本札つかまないで、偽札をいっぱいポケットの中に入れて、内ポケットの中に入れて、見て知っているような感じになっているんだよね、今の建築状況って。

他も盛り沢山の充実した内容で、香川県立ミュージアムがその土地のミュージアムとしての責任のもとに、主体的に企画に取り組んでいる熱意が伝わってくる。そうでなければ次のような言葉は決して出てこないだろう。「特にパネルディスカッションでの緊張感あふれるやり取りは、そのまま文字化した方がその場での臨場感が伝わるし、そのことで相互の意見の相違を浮き上がらせることができるはずである。残念ながら、発言者の方の意向で「きれいな」文章へと変容してしまった」(「おわりに」)。編集の立場として、こう書いてしまいたくなる気持ちはよくわかる。